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BON's diary

「何考えてんだ、お前はっ!」 「い、いろんなこと」

延岡の権藤圓立 (序)川のある街 

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 宮崎県延岡市

 五ヶ瀬川と大瀬川がゆっくり河口へ向かう。その二つの川つに挟まれた市の中心街が冬の朝陽を浴びてゆく。

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 延岡の友人が昨夜案内してくれたBAR KOBE。
 私と同い年だという女性オーナーの作ってくれた3杯のカクテルが思ったよりも残っている。五ヶ瀬橋を渡り、南国日向の国の「寒気」の中、光勝寺へ歩く。昨夜のBARの近くだ。

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 片側2車線の広い道路が十字に交わる中央通交差点。そのすぐ近くにお寺はあった。

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 商用ビルに囲まれて山門が覗くが、道幅の広さと車と人通りの少なさからか、雑踏というほどの混雑さはない。

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 山門をくぐり、振り返り空を仰ぐとよく知られた焼酎の広告塔が、あつらえたように山門屋根の上に鎮座する。

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 小さな境内の正面階段の上に鉄筋コンクリート造りの本堂。左手が庫裏らしい。目を引くのは本堂右側の建物。コンクリだが五重塔様の造り。後で案内してもらうことになるが、納骨廟とのことだった。

 

 権藤圓立。

 梅花流草創期、その端緒は真言宗智山派・密厳流の曲符に依っているばかりの「梅花流詠歌和讃」に、三宝御和讃、聖号はじめ、曹洞宗オリジナルの諸曲を作曲提供したひとである。そのアウトラインは先行業績の参照から概ね伺うことが出来た。

http://ryusen301.hatenablog.com/entry/2014/07/02/100452

http://ryusen301.hatenablog.com/entry/2014/06/30/221818

http://ryusen301.hatenablog.com/entry/2015/03/27/065203

 それ以来、いつか生家として伝えられる宮崎県延岡市の光勝寺を訪れてみたいと思っていた。幼い頃、お寺に集まってくる婦人達が唱えていたという御和讃のメロディが権藤の記憶に沁み込む。成長し、藤井清水、野口雨情と音楽活動をともにするようになる。ある時口ずさんだそのメロディを、藤井が採譜・編曲し、野口が詞をつけた『うつし世』。権藤の歌声を通し、世の人々に歓迎されたその歌。あるところに残っていたビクターレコードの音源を私も聴いた。後に曹洞宗梅花流の『観世音菩薩讃仰御和讃』となるのはこの曲である。

 子供時代の権藤が暮らしていた風景を歩いてみたい。その思いがふくらんだ。

 チャンスがめぐってきたのは、2015(平成27)年の11月下旬。福岡に3泊4日の公務。この機と定めて予定を延引し、延岡へ来た。九州地内であれば移動も容易だろうと踏んだのはあさはか。福岡ー宮崎間は電車では四時間前後かかる。結局飛行機利用。九州の友人・知人達によると、この2地域は対角線関係にあり、同じ九州の中でも移動に手間取る地域だとか。ともあれ、秋田ー福岡、秋田ー宮崎の往復をくり返すよりはベター。ありがたいことにくだんのBAR紹介の友人が空港に迎えに現れ、片道約2時間弱の道を延岡まで送ってくれた。

 11月28日の朝。南国とタカをくくってきたが、やはり冬。それでも秋田の寒気とはまったく違い、ささやかだが陽射しの暖かさもあって青空となった延岡の市街は気持ちよくさえ感じた。

 

 光勝寺で迎えてくださったのは権藤正樹師とそのご夫人。2年前に息子さんに住職を譲ったということだが、ご住職はちょうどご本堂にておつとめの最中だった。

 招かれた応接間のテーブルにはすでに飛鳥寛栗師の著作、正樹師がまとめられたという圓立師の略歴。正樹師の伯父がなにかの発表の際に作成されたという圓立師の年譜、それらがコピーして置いてあった。

 来意を告げ、正樹師のお話を伺う。法用の合間にご挨拶にお出で頂いた現ご住職、思い出話ならご一緒にということで同席していただいた正樹師ご夫人、交互に出入りする光勝寺の方々から約一時間半のお話をいただく。

 

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 辞去して、徒歩で1キロほど西の延岡市立図書館へ向かう。ゆったりした道幅と高層ビルの少ないせいか、街が広く感じる。図書館のすぐ近くに緑の杜・城山公園。カルチャープラザと一緒になった図書館へ至る。あらかじめチェックしていた郷土資料の他、お寺で伺った話から新たに興味を抱いた権藤の兄・権藤正行師と、彼らの父・権藤圓海師の資料を求めた。

 後年の権藤圓立の活動につながる兄と父の存在。今回の収穫の第一はその情報。整理しながら綴っていこう。