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BON's diary

「何考えてんだ、お前はっ!」 「い、いろんなこと」

延岡の権藤圓立 (1)浄土真宗・小林山光勝寺

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 権藤圓立(1891~1968。文中の人名は原則として敬称略)は延岡市船倉町・光勝寺十代住職、権藤圓海の五男として生まれる。 

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 光勝寺は山号を小林山という。

 当寺十二代住職。正樹師がまとめた文章に依れば次のように紹介してある。

 

 小林山光勝寺は、本願寺第十二世教如上人の代、釈正順により慶長3年(1598)に創建された古刹である。

 第二代永伝は、宮崎城主権藤種盛の二男で、宮崎城落城(1600)後、長じて出家し、延岡藩主有馬直純の要請で正順の養子となり、当時住職となった。

 創建時、寺の所在地は北町にあったが、第三代正慶の代、有馬康純の白道寺建立にあたり、慶安元年(1648)に現在地に移転した。爾来、代々血統相続して今日に至っている。

 その間幾星霜、本願念仏の教法を伝統相承してきたが、特に昭和20年(1945)6月29日、太平洋戦争における延岡大空襲によって本堂・庫裏は灰燼に帰した。その際、山門のみが銀杏大樹のお蔭で焼失を免れた唯一の木造建築物である。尚、樹齢300年を誇った大銀杏は、昭和33年に商店街アーケード建設により伐採された。

 平成10年(1998)4月、回忌400年に当たり、その記念事業として新本堂建立、更に平成12年(2000)12月、山門改修を行った。
 境内には、第十一代権藤正行師頌徳像(延岡市文化功労者受賞第1号)、その実弟・権藤圓立胸像(宮崎県出身声楽家第1号、仏教音楽家)並びに野口雨情詩碑(延岡小唄の一節で銀杏大樹を詠じた碑)がある。(以上、引用文)

 私のように真宗以外の宗派僧侶が公的に婚姻を認められるのは明治5年以降のことだ。そのため寺院住職が血縁の親子によって相続されるのは早くてもその時点をさかのぼることはない。せいぜい今に至って四代か五代くらいのものだろう。十代を越えて「血統相続」を誇る真宗寺院は他宗からすれば特別な例である。宮崎城主の血を嗣ぐ光勝寺・権藤家の相承は、圓立にとっても同じく出自への誇りとなって受けとめられていたことだろう。

 文中にも見えるが、後に圓立との親交から、いく度か光勝寺を訪れることになる野口雨情が大銀杏のことを唄にしている。

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  延岡小唄

 雨が降っても 光勝寺さんは コラサノサ

 傘はいらない 庭の銀杏 傘となる

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 楽浪苑の三羽烏と称された圓立と野口、そして作曲家の藤井清水の三人は、足しげく延岡を、そして光勝寺を訪れていた。その交流のようすはもう少し後で述べるが、光勝寺の人びとが三人を暖かく迎え、そして三人の音楽活動を支えていたのである。

 みごとだった大銀杏がアーケード拡張のために伐採されたことが大変残念であったと、一昨年(平成25年)に住職を引退された権藤正樹師と奥様が教えてくださった。お二人のお許しを得て、野口雨情の詩碑とともに1枚を撮影した。11月下旬の延岡の空は青く澄み、冬の陽射しはなお暖かさを残していた。

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