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BON's diary

「何考えてんだ、お前はっ!」 「い、いろんなこと」

吉祥寺の権藤圓立(4)圓立邸跡

 童心居のある動物園から、吉祥寺通りを左へ。そのまま北に向かう。ほどなく吉祥寺駅を右に見て、立体交差になっているJR中央線の下をくぐる。権藤、野口、藤井の三人がいた頃からこの線路はあったのだろうか。だとすればまだ架橋にはなっていなかったろうか。踏み切り待ちをする彼らの姿を交互に思い浮かべる。自宅から童心居へ野口雨情ゆかりの品々を運んだという圓立の姿を思う。
 童心居から圓立の住まいした場所までは、この中央線まででほぼ半分、10分台後半でたどり着くことが出来る。

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 権藤邸に至る前に、三つの情報を紹介したい。
 その一は、圓立邸の現在の住所番地がわかった際に、電話番号案内で、その住所の「権藤」さんを訊いたのだが、現在そこに住まいしている方は権藤姓ではないとわかった。おそらくは権藤の血縁ではない人が住んでいるのだろう。
 その二は、宮崎県延岡の光勝寺前住職・権藤正樹師ご夫妻からお聞きしたものである。すでに述べたように光勝寺は圓立の生まれたところ。正樹師の祖父が、圓立の長兄・正行師である。ご夫妻は次のことを教えてくれた。
 圓立の妻・はなよが亡くなり、後添いに秋子という女性を迎えた。はなよとの間にも、秋子との間にも子どもはなく、Yという養女を迎えた。現在、光勝寺の権藤家は、Yとの交流はほとんどなくなっている。
 ということであった。私が権藤夫妻に「吉祥寺の圓立邸は今どうなっているのでしょう?」と訊いた時、「わからないんです」ということだった。
 その三は、一、二のことを踏まえて吉祥寺行きのことを考え、事前調査している時に出逢った思いがけない情報である。それは、権藤圓立邸から権藤夫妻が転居し、そのあとに移り住んだSという人のブログ記事だった。そしてSの家族も後にはその家を出て、他へ引っ越したというのである。ブログはSが、昔の思い出をたどりながら、吉祥寺の旧住まいの住所を尋ねるという文章で綴られていた。(ご本人の了解を得ていないので、名前は伏せておく)
 Sのブログ記事によると、Sの家族がそこへ入るに至ったのは、権藤はなよがSの母と親戚であったことによるという。圓立夫妻はそこを出た後、「五日市街道を北側に少し入った所」に移ったという。
 そのブログ記事だけでは圓立夫妻がいつまで住まいしたのかははっきりわからない。またはなよ夫人は昭和36年11月3日に亡くなっているが、ブログでは転居後になくなっているように読めるが、定かなところはわからない。
 以上の三つの情報が事前につかんでいたものだ。これから向かう住所に圓立の関係者はすでにいないとはわかっている。だが圓立が暮らしたこの街の空気と景色を確かめてみたいと思った。

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 「住みたい街」「住みやすい街」として現在高い人気を誇る吉祥寺だが、圓立の頃はどうだったのだろうか。歩を進め、今はない圓立邸の住所が近づいてくるにつれ気持ちが昂揚してくる。

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 「そこ」は、成蹊大学の近く、落ちついたたたずまいの住宅地だった。少なくとも圓立夫妻の転居後、二組以上の家族を迎えているその番地にある家は築後まだ10年を経ていないように見えた。家の前から周囲の眺めを確認し、その場所を後にした。一歩まちがえば不審者として通報されかねない。

 もしや昔から営業を続けているような商店や喫茶店などあれば、と期待したが、それらしい店はなかった。

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 延岡のこともある。吉祥寺駅そばにある武蔵野市立図書館吉祥寺館に立ち寄り、権藤関連資料を調べたが、これまで以上のものはない。

 圓立の足跡を街の中に探すのはいったんひと区切りにしよう。

 この吉祥寺行の直前に、ある古書を注文しておいた。吉祥寺から家に帰り、届いていたその本を開くと、さらに新しい情報にめぐり逢えた。街を離れ、あらためて吉祥寺の権藤圓立の足跡に接することができたのである。