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BON's diary

「何考えてんだ、お前はっ!」 「い、いろんなこと」

よこみち【真読】№66「やんごとなきご質問」

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 それはたいそう昔のことでございます。能登總持寺のご開山・瑩山禅師のもとに孤峰というお坊さまが訪ねてまいりました。孤峰は人王九十五代・後醍醐天皇様のお遣いとして来たのでございます。その目的と申しますのは、十の項目にわたる天皇様のやんごとなきご質問を携えてきたのでございました。一つひとつ、孤峰は天皇様に代わって瑩山禅師にお訊ねになります。それに対し瑩山禅師はひとつひとつていねいにお答えになったのでございました。その答問の一部始終が文書となって今に伝えられているのでございます。

 という書き出しのもとに石川県永光寺に伝えられたのが『十種疑滞』という資料である。これと編集は異なるがほぼ同内容の資料が『十種疑問』というもので、こちらは總持寺に伝えられている。この二つ、「十種勅問」と呼ばれて、その資料的信憑性には疑念が抱かれているものの、江戸時代には広く伝わっており、曹洞宗教団史上は重要な資料として認められている。
 で、問題はその中にある一つの問答、一般に「亡霊供養」と呼ばれている一項目である。『十種疑問』の方から、その問答を挙げてみよう。

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 おたずね「世の者たちはみな、亡き父母のために霊供としてお膳やら茶湯やらを献じておるようじゃが、その備えたものはちっとも減ったり消えたりはしておらぬ。はて、それでも亡き父母の霊はちゃんと霊供を受けておるのかの?」
 おこたえ「陛下、たとえば蜂が花を採る時には、ただその味わいのみを取って、少しもその色かたちや香りを損なうことがございません。どうして霊の供養もまた、お供えしたものが消えてしまうことなどありましょうか。また『倶舎論』「世間品」の中に、このように述べているくだりがございます。人死して、後生に生まれ変わるまでの中有と申す期間は、その人の霊は香をもって食とする。それをケンダツバと呼ぶ。少福の者は悪香を食し、多福の者は妙香を食す、などとあるのでございます」

 お気づきのように、この『倶舎論』「世間品」の引用は、本編でも霊供の説明として引いているものだった。霊供をめぐる『真俗仏事編』と「十種勅問」の関係が気になる所だが、今はその問題に触れずにおこう。問題の焦点は、霊は供物を食するのかどうか、ということだ。
 ある老僧が言っていた。
「仏膳を備えた後は、ていねいに下げてきて、ご飯やおかずを別の器に移してからいただく。すると味噌汁でも煮物でもなんでも、みな少しずつその味が薄くなっている。それはな、仏さまが召し上がった後だからなのだ。仏さまはお膳の料理の味わいだけをいただいているのだ」と。
 もしかすると「十種勅問」のことを知った上でそう教えてくれたのか、あるいは曹洞宗の中に「十種勅問」をソースとしたそんな教えが広まっていたからなのか、よくはわからない。私もまたそのようにして「仏さまのお下がり」をいただいている。心做しか、味が薄くなっているように思うのだ。