BON's diary

「何考えてんだ、お前はっ!」 「い、いろんなこと」

【真読】 №68「在家の斎会に酒を施す」 巻三〈祭礼部〉(『和漢真俗仏事編』web読書会)

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テキスト http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/818707 コマ番号35

 問う、「今の在家、斎会を設くるに必ず酒を施す。酒はこれ仏制なれば、亡者のために福とならず。還って修悪に似たり、いかん」。
 答えて曰く、「我もまたもとより汝の如くおもへり。然りといえども『十住婆沙論』の説に拠るに、酒を施すもまた在家の菩薩の行なり。いかんとなれば、菩薩の檀波羅密は、衆生の一切の願に応じ、施し与ふるをこの行とす。ゆえに酒を好む者には酒を施し、快楽を与えることを福を修すとす。
 彼の論に、問うて曰く、“もし人有りて酒を捨施すれば、未だ知らず、罪を得るやいなや”。
 答えて曰く、“施す者は福を得る。受くる者は福を得ず”と。
 また曰く、“檀波羅密の法は、悉く人の願を満たす。在家の菩薩、酒を以て施す者は、これ罪無し。”と云へり。しかれば今の俗の斎会に酒を施すも、この趣を得るものは、修善となって罪悪とならざるか(私に曰く、これ在家のために開す。出家の上の事に非ず)」。
 ○按ずるに、大乗戒にはかつて許さず。『梵網経』に曰く「もし自身の手に酒器を過ごして。人に与えて酒を飲しむるものは、五百世の中、手無からしむ。いかにいわんや、自ら酒を飲むをや。一切の人に飲むことを教え、及び一切衆生に酒を飲むことを得ずと説きたまう」これなり。彼の祇陀(ぎだ)太子、波斯匿(はしのく)王の末利夫人に酒を許したまうは、この人は酒に因って善心を起こせしを以て、却って酒に功徳ありとして、仏、許したまへり。然りといえども仏の権教方便にして、大乗実教の本意に非ずと云うこと、『法苑珠林』に曲(つぶさ)に弁ぜり。