よこみち【真読】№78「ストイックな欲張り」
「何をたるんでいるんだ。バケツ持って廊下で立ってろ!」
こんな言葉も、イマドキであれば言われた生徒の方が喜んで教室から出て行って、そのままどこかへ遊びに行っちまうかも知れない。それはともかく、昔であれば、悪さした生徒が先生から与えられるペナルティの定番がこんなことだった。似たようなのは、
「ウサギ跳びでグランド一周」とか
「便所掃除一週間」とか
「今夜は晩ご飯なし」とか
その他諸々の〈苦しく辛い行為〉が罰則として用意されていた。
これらは、悪事を犯してしまったことを償うものであって、いわば自分のポジションがマイナスに退行してしまったものを、善すなわちプラスの方向へ引き上げ、もとの日常的な定位まで復元するためのものだった。つまり〈苦しく辛い行為〉とは、その人をしてプラスの方向(善)へ押し上げる力があると言える。〈苦しく辛い行為〉言うまでもなく〈苦行〉が、世の人々から称賛されるのには、こういうからくりがある。
『恩讐の彼方に』の中で、主人の妾に手を出したり、それがばれて主人を殺したりと、さんざんの悪事を働いた了海こと元市九郎が、改心して難所に隧道を通したことにより、かつて手がけた主人の息子から許され、世間からも評価されるというストーリーは、ひとえにこの〈苦行〉による〈悪から善へ〉という浄化作用をモチーフにしているものだ。
さてそんな力のある〈苦行〉を、もともと悪ではないニュートラルな人間が行なったらどうなるか。プラマイゼロの地点からプラスの方へ進むのだから、こりゃもうどんどん善玉ポイントが貯まってゆくことになる。
※ここで用いるポイントという表現は、前に紹介したのでご関心ある方は参照いただきたい。
http://ryusen301.hatenablog.com/entry/2016/01/08/094022
仏教が〈苦行〉を勧めるのはこういう事情によるのじゃないだろうか。
本編では苦行のことを精進波羅蜜の行と言っている。波羅蜜の訳語の一つに、到彼岸というものがあるが、善に向うベクトルの積み重ねが、彼岸への道なの
だろう。
本編で説く苦行・精進のあり方は、ひたすらストイックだ。こうした禁欲的なあり方を突き詰めるほど、彼岸へ近づき、善玉ポイントが増えてゆくというのもおもしろい。なぜなら、ストイックな苦行者ほど、仏教的善に対しては貪欲だということになるのだから。