BON's diary

「何考えてんだ、お前はっ!」 「い、いろんなこと」

よこみち【真読】№81 「らふ画」?

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「裸婦画拝見しました。これでけっこうですので、このままお願いします」
 一昨年、お世話になっている編集者にこんなメールを送ってしまった。

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 もう10年を越えるくらいになるが、毎月一度、子供向けの短い文章をある雑誌に連載している。それにはいつも挿絵が添えてあって、原稿とともにイラストの素案(こんなイメージで、と文章で指定したもの)を提出し、イラスト作家の先生に原案の絵を描いてもらう。その原画は編集者を介して私のもと届けられ、原稿との整合などをチェックして再び編集者を介してイラスト作家へ返送され、必要な修正を施して清書され、印刷へ回される。この原案の絵を「ラフ画」と呼んでいるのだが、冒頭のメールはそのオーケーを出した折に添えたメールの文章で、誤変換に気づかないまま送信ボタンをクリックしてしまったものだ。すぐに、あっと思ったが、すでにメールは飛んでいった後だった。編集者とは顔見知りの仲だったので、あとで笑って済ませることが出来たが、よい勉強になった。

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 今回、本編の「水垢離」をめぐる画像を見てみようとすると、すぐに「水浴び」というタグにつながる。そこに出てくる裸身の女性たちを見ているうちに、そんなことを思い出した。

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 さて今回の本編、意外の思いを抱いた方も少なくないのではないだろうか。
 「水は不浄!」。ふうむ。
 『真俗仏事編』では、ずっと前に取り上げた №5「河水に浴して祈る」 巻一〈祈祷部〉(『和漢真俗仏事編』読書会)
http://ryusen301.hatenablog.com/entry/2015/03/01/081738
では、仏教の水浴に触れた際、高尾山神護寺の文覚が、那智の大瀧に打たれた話を持ち出してきて、けっこうこの行については好意的な評価だった。
 そして、よこみち【真読】 №5「沐浴と禊ぎのあいだ」 
http://ryusen301.hatenablog.com/entry/2015/03/01/165609
でややふくらませて、「子登は、いや文覚にさかのぼる日本宗教は、滝行をベースにして「河水の沐浴」という修行儀礼を受容した、と考えられないだろうか。「滝行を」というよりも、もっと幅広く「水垢離」とか「禊ぎ」とか神道的観念もそこには大きく関わっているような気がする」と述べたのだったが、今回の「水=不浄」説に出くわすと、はたしてどうやって整合を取ろうかな、と戸惑ってしまう。

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 なによりも「実にこれ無益の勤苦なり。諸儀軌の中に、三時澡浴する等とはいえども、遂に河水に入って身を浄めると云うことを見ず」と言うに到っては、それじゃ№5の件はどうすんのよ、と詰め寄りたくなる。
 もっともこんな不ぞろい感も、諸般雑多な仏事習俗を扱う『真俗仏事編』の避けられぬところなのだろうか。
 子登が言うところの、神道の〈 水=不浄/湯=浄 〉という言い方もちょっと引っかかる。今回のところはもう少し静観して本編を読み進めてみることにして、しばらく保留しておこう。

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 あ、今回の画像ですか?
 ええ、この文章には何の関係もありません。ま、挿絵代わりの「ラフ画」ってことで。