BON's diary

「何考えてんだ、お前はっ!」 「い、いろんなこと」

よこみち【真読】№87「どうしよう、死んじゃった・・・」

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別に殺人事件の話ではない。問題なのは遺体処理なのである。
 本編№87で四種の葬儀法を挙げているが、ここで問題になっているのは死後の魂をどうしようとか、成仏あるいは成神(こんな表現があればだが)の儀礼的手続きはいかにすべきだとかの問題ではない。肝心なのはそんな高度な(?)宗教的問題なのではない。そのままほったらかしには出来ない「人体」をどう処理するかということなのだ。
 「葬」という文字の表意は、「艸」の上に「死」骸を置き、その上にまた「艸」をかけるということだとか。
 水・火・土・林、このほかにもたしか風葬とか鳥葬というのも聞いたように思うけど、これらのバリエーションということでいいのだろうな。こうした葬儀方法の種別は他の所でも目にするのだけど、あらためて思うのはこれらの仕分けする基準は、どうやって「ヒトノカラダ」を人の身体では無い「モノ」に変えるかということだ。
 くどい言い方になって恐縮だけど、ここにはまったく宗教的意味など関与していない。つまりここで問題になっている「葬法」には、信仰とか宗教的レベルの話はなんにも関係ないということになる。これってとても意外なことだと思うのだがいかがだろう。もっとも遺体をそのまま野ざらしにすること忍びなくてなんらかの手を加えることは死者への何らかの思いから発するのものだからそれだって信仰だ、とまで言っちゃえば別だけど今ここで言いたいのはそんなこっちゃない。
 たとえば「浄土真宗の葬法」とか「禅宗の葬法」と言った場合には、「極楽浄土へ往生させる」とか「授戒して仏位に入らしめる」などという答えが用意されているはずだ。だとすればそんな宗教的意味づけは、後付け・後載せのものだと了解できる。
 なんだかあたりまえのことをくどくどと繰り返しているようだけど、このあといろんな葬儀に関する話題をとりあげてゆく第四巻の最初だから気をつけておきたいわけなんだ。たとえば死後観なり来世観といった宗教的世界観が前提にあって、その上で「葬法」があるということじゃない。
 「死」をめぐるさまざまな宗教的意味づけって、これと同じようにそのほんの初めのところには、人間がひょっとすると普遍的に抱いている生理的感覚のようなものがあって、その後からいろんなかしこい人たち(それはしばしば宗教者であるんだけど)が都合よく説明できる「意味」をこしらえて来たのかもしれないってことを。
 では、その辺に注意しながら「意味づけられた世界」に進んでいきましょうか。