BON's diary

「何考えてんだ、お前はっ!」 「い、いろんなこと」

【真読】 №90「葬送の幡」 巻四〈送終部〉(『和漢真俗仏事編』web読書会)

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 問う、「葬送の時、必ず白紙の幡あるいは素絹(しろきぬ)の幡を用うるは何の故ぞ」。
 答えて曰く、「蓋(がい)を捧げ幡を擎(ささ)ぐ。先ずは荘厳の具と見えたり。もし得益を尋ねば、『釈氏要覧』に云く、“七七の斎日には、僧を招いて白紙の幡を剪(き)らしむ”と。これを考うるに『正法念経』に拠る。十七種の中有あり。しかるに死する時、もし天に生ずるものは中有を観るに白氈(びゃくせん・しろきぬ)の垂(たる)るごとき物を観る。その人の識神(たましい)、手を挙げて攪(と)ればすなわち天の中有身となり。故に今これに依て七七日に白紙の幡・白絹の幡をもって亡者に示す。はなはだ『正法念経』の旨に合(かな)えりと云えり。已上。今の幡も本(も)とこれに拠るか」。
 ○『大荘厳論』十四(初葉)に、瞿曇弥尼(くどんみに)の涅槃の義、出(い)ず。これに幡・華の荘厳のこと見えたり。往(い)きて考うべし。