よこみち【真読】№91「Our Favorite Things」
〈生者によるイメージの投影〉
まだまだその正体定かならぬものではあるけど、多分にこうした性格を負っている〈霊〉たちには、生者さながらのモード(流行)というものがあるようだ。
近頃は正木晃が文章にしているけど、次に挙げるような言い方はじつはわりと以前から多くの人たちがひそかに気づいていた。
「日本の幽霊によくある、足がなくて、両手をだらんとぶらさげて、という姿は江戸時代に絵に描かれるようになってから定着したものです」『いま知ってきたい霊魂のこと』(正木、2013)
多くの人が頭に浮かぶ「あの」幽霊画が円山応挙のものかどうか異論はあるらしいけど、「その後」のイメージをぬり変えてゆくいくつかのトピックというものが歴史上にはある。テレビの中からぞろりと這い出てくる山村貞子の姿もその一つ。身勝手な夫・伊右衛門の不貞ゆえに死なねばならなかった於岩姿もその一つである。さらにはお歴々の菅原道真、平将門、崇徳上皇etc.
生者のイメージの投影だからこそ、死者の世界はうつし世の浮き沈みに歩調を合わせる。いや、かっこつけずに平たく言えば、幽霊の姿なんてこちらのお好み、言わば「おのぞみの幽霊」ということになるだろう。もう少し言えば「おいしい幽霊」というわけだ。