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BON's diary

「何考えてんだ、お前はっ!」 「い、いろんなこと」

【真読】 №94「経衣(きょうかたびら)」 巻四〈送終部〉(『和漢真俗仏事編』web読書会)

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テキスト http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/818707 コマ番号41

 問う、あるひとの曰く、「亡者に経衣(きょうかたびら)を着せるはかえって亡者に咎(とが)を与えるなり。その故は経巻を焼く罪、並びに不浄に触れる失(とが)、経律に見たり。ゆえに一向に経衣を無用にせよと云へり。いかん」。
 答えて曰く、これ局見なり。もし汎(ひろ)く顕密の聖経に渉って経意を精(くわしう)し、的(あきらか)なる文証を看ればなんぞここに泥(なづ)まん。大凡(おおよそ)仏、戒律を制したまうとき、戒は坊非・止悪の義なるを以て、一切の行事に亘(わたっ)て開遮(かいしゃ)持犯(じぼん)あって善悪決判す。この場に臨んでは経を焼き不浄に触れるはなんぞ許さん。もし如来、大悲を以て化他門に赴きたまうときは、適化無方なり。かの悪業深重の輩、悪趣に堕するを瞻(み)ては、大悲、黙止(もだ)したまはず。これがために種々の法を説きたまう。あるいは真言を以て土砂を加持して屍(しかばね)に散ずるに、業障即ち滅す。かくのごとき不思議の法は、末世の衆生のために如来、内証神変加持の法を直に伝えたまうものなり。この場に臨んであに浄不浄・開遮の弁あらんや。今の経衣も全くこの趣なり。既に秘経の中に出たり。この明文を看ば何ぞ今の経衣を疑わん。これより下に三経の本説を出す。
○『不空羂索真言経』(唐南天竺三蔵法師菩提流志訳)第六「羂索成就品」(第六之二之八葉左)に曰く、「もし衆生有って億劫に具(つぶさ)に四重五逆十悪の罪を造らば、身は壊し命終して阿鼻獄に堕せん。もしこの亡者のその身分・屍骸・衣服に随って真言を為(な)さば、身影の映著して、即ち解脱を得て、所苦の身を捨て直に浄土に生ず(文)」。
 私に云く、「真言を為(な)す」とは、いうこころは屍骸に向かうては真言を唱えて加持し、衣服に向かいては真言を書き写すを云う。この両意を含むゆえに「真言を為(な)す」と云うなり。
○『大宝楼閣経』上(十二葉)に曰く、「もしくは読み、もしくは誦し(これ陀羅尼を読誦するなり)、もしくは受持し、もしくは身上に佩(お)び、もしくは衣中に書せば(乃至)決定してまさに不退転の無上菩提を得るべし(文)」。
 私に云く、この経の「もしくは衣中に書す」の句、真言を衣に書するの文証とすべし。
○『普遍光明大随求陀羅尼経』(不空三蔵訳)巻下(三十四葉)に云く、「比丘あり。僧物を取て己が用とす。如来の制戒を犯するに因て、重病に遇うて大苦悩を受け、声を出し大いに叫ぶ。その処にひとりの婆羅門あり。かの叫ぶ声を聞いて愍(あわれ)み、即ち大随求陀羅尼を書いて比丘の頸(くび)に繋(かけ)さしむ。これに依りて苦悩息(やみ)て即ち命終す。因果のがれず無間地獄に堕す。しかるに不思議なるかな、地獄の猛火ことごとく消え、あらゆる罪人も苦痛休む。獄卒これを見て大いに驚き怪しみて、焔摩大王に告す。王の曰く、“この事はなはだ奇妙なり。かの者の善業所感ならむ。汝等、満足城に往て見よ”とありければ、獄卒、夜分に入りて満足城の南、比丘を葬る塔を発(ひら)き見れば、屍の上に大随求陀羅尼あって大光明を放つ。天・竜・夜叉・八部衆、囲繞(いにょう)して恭敬(くぎょう)供養す。比丘、この威力に依て罪滅して三十三天に生じ、号(なづ)けて先身随求天子と曰う(已上)」。
 私に云く、これ書写の陀羅尼を身に帯して地獄を免れたるなれば、今の経衣(きょうかたびら)のたしかなる証拠ならずや。
▲愚按ずるに以上三経の本説に拠れば経衣(きょうかたびら)には随求・宝筺等の陀羅尼・光明真言等を書すべし。何となれば真言陀羅尼は不思議法性の声字(しょうじ)なるがゆえに一字に無量無辺の義理法門を具し、一句に万法一切を含む。このゆえに声字、即ち神変の現じて利益を施すこと上み件の三経の得益のごとし。かくのごとき深義あるを以て専ら真言陀羅尼を書すべし。しかるに今の世、法華経阿弥陀経などを書くもの多し。恐らくは本意にあらじ。