BON's diary

「何考えてんだ、お前はっ!」 「い、いろんなこと」

よこみち【真読】№97「弔問のお作法」

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 本編にて「行て弔う法、ならびに弔いを受ける法、『行事鈔』に見えたり」とあった。この『行事鈔』とは『四分律行事鈔』と言い、中国僧・道宣(596-667)の手によるもの。『四分律』とは上座部に伝えられた戒律書で、中国・日本に大きな影響を与えたと言われるもの。本編にはこの書名を引いているけど、実際の弔問作法に係わる文章は載せていない。てなわけでその箇所を次に紹介してみよう。どうもこのブログはたまに葬祭業界の方もご覧になっているようだが、ちまたに広まっている葬祭マナーの大元にふれていただくのもまた一興だろう。
 さて次に挙げるのは同じ道宣の『四分律行事鈔』(具名:四分律刪繁補闕行事鈔)第二十六「瞻病送終篇」に載せる「送終の法」の一段である。

 初めに屍をひきいて出す法、二に葬法を明かそう。
 【屍を出す法】
 まさに像前より屍をかついで廊舎の下に至り、外には鄣幔を安じてこれをかこみ、内には絹棺を作りて屍を覆うべし。まさに竹木をもって骨となし、ないし麤衣をもって屍上を覆うべし。
 和尚・闍梨は牀(ゆか)を鋪(し)いて幔の外に在りて坐し、人客の来たりて弔慰するに擬し、同学弟子等の小なる者は草を布(し)いて立ち、大なる者は草上の屍に近き辺に坐せよ。
 『五百問』に云わく、師、亡ぜんに、声を挙げて大に啼(な)くを得ず。まさに小小に泣涙すべきのみ。『四分』に、尼にして胸を椎(う)ち啼哭し啼泣せんに一々に堕す、比丘は吉羅なり。
 もし雙林の終りに準ずるに、未離欲の者は宛転として地に在り、胸を椎(う)ちて大に叫べり。これ並びに悲しみ切に深重いなれば、自身を省みざりしが故なるのみ。もしこれに同ぜんには何ぞ嫌わん。
 もし高節、群を抜き由来清卓ならんには、故(ことさら)に世情に局(かかわ)らざるも、もし情に任せて喜怒し、俗に随うて浮沈せん者は、父母・二師の終亡するに至りて、而(いま)し夏(げ)を護りて来たらず。来ると雖も哀苦を展(の)べざらんには、また道俗同じく恥ずべきなり。
 彼の外来の弔人にして、亡者よりも小さき者は、屍所に至りて礼を設け、弟子の手を取りて慰問しおわり、然して後に師所に至り法に依りて弔慰すべし。
 もし喪に奔(はし)り来たれる者は、直に所に来たりて礼拝し、哀情を展(の)べおわるに、次第に位に依るべし。
 もし大徳上座の来たり弔らわんには、本威儀に依り時に随うて坐立すべし。

 ※原文〈二明送終法。(中略)就中分二。初將屍出法。二明葬法。初中當從像前輿屍至廊舍下。外安障慢圍之内作絹棺覆屍。當以竹木爲骨仍以麁衣覆屍上。和尚闍梨鋪床在慢外坐。擬人客來弔慰。同學弟子等小者布草立。大者坐草上近屍 画像邊。五百問云。師亡不得擧聲大啼。應小小泣涙耳。四分尼1椎胸啼哭泣涙一一墮比丘吉羅。若準雙林之終未離欲者宛轉在地椎胸大叫。此並悲切深重不省自身故耳。必同此何嫌。若高節拔群由來清卓者故不局世情必任情喜怒。隨俗浮沈者至父母二師終亡而護夏不來。雖來不展哀苦者亦道俗同恥。彼外來弔人小於亡者至屍所設禮。執弟子手慰問已然後至師所依法弔慰。若奔喪來者 画像直來屍所禮拜。展哀情已次第依位。若大徳上座來弔者依本威儀隨時坐立。(大正蔵40.145a­b)〉

 ところどころよくわからない語句もあるのだが、とりあえず弔問を受ける側も弔問する側もともに位次の高低があって、それにしたがって作法の別があるようだ。本文ではこの後に続いて屍(遺体)を葬所に送り、それを処理する四種の法(水・火・林・土)について述べている。
 この作法、注意されるのは、悲哀を表現するに出家者は節度を保つこと、しかし、「来ると雖も哀苦を展(の)べざらんには、また道俗同じく恥ずべきなり」という箇所に端的に表れているように、悲哀の情を伝えないのはいけないというところだ。今に至って「哀悼のまことを捧げる」という言葉があるが、その大切さに古今の違いはないということだろう。
 と、なんとなくいい話でした。