BON's diary

「何考えてんだ、お前はっ!」 「い、いろんなこと」

よこみち【真読】№102「MOTTAINAI」

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 恐縮ながら楽屋オチの話である。
 卒塔婆の書き損じということがある。
 卒塔婆を使う頻度にもよると思うがおそらくどちらのお寺でも数の多寡は別にしてそれなりの本数が生じると思う。
 ごく一般には表書き、裏書きの両面に墨書することが多いはずだ。表書きの段階で間違う場合もあるし、裏まで書いて間違う場合もある。
 で、間違ったのはどうするか。
 これはそれぞれのお寺によると思うのだが、たとえばうちでは、昔なら間違えた箇所をナイフやカッターでそりそりそりそりと削ったものだった。だが木肌に墨液で書くものから、墨汁は木目の質によってある程度卒塔婆の表面から木の内側へ染みこんでいる。表面をそりそりしてもなお深く染みこんでいる場合は、そこんところを更にそりそり削る。その結果、墨の色は取れたが見た目の悪い削り跡が残ってしまうことが少なからずあった。
 みんなそうしているのだろうと同業仲間に尋ねると、みな似たり寄ったりだったが、中には電動カンナを用意しておいて、ことが生じた場合にビィーンと活躍するという所もあった。これなら手間いらずというのだろう。
 近頃のうちでは、自分で削るのを止め、ある程度本数がたまったところで知り合いの大工さんに頼んで作業場の電動カンナで削ってもらう。これだとなかなかの仕上がりになる。ただ手にした時の微妙だけどたしかな薄っぺらさはいかんともしがたい。
 たのめば葬祭業者で持ってってくれるよ、うちはそうしてる、という同業者もあった。これだと削りなおした卒塔婆は手元に残らないのだがそれもいたしかたないのだろう。だがごくまれにだが、葬祭業者で支度する新しい卒塔婆の中に、ん?と違和感を感じるような薄めのものがあり、これまたごくごくまれだが、墨の小さなにじみがあることがある。もしやと思ったりするのだが、自分でやっていることを振り返ると苦情めいたことを言う立場じゃないなと思ってみたりしている。
 ところで私の師匠は明治32年生まれの祖父だった。ゆえあって祖父の弟子となった私は、この明治生まれの師の薫陶を受けることになった。こちらの器が未熟なこともあって、仏事作法の次第を教えてもらったり、僧侶としての心得を教えてらうなどのことはほとんどなかった。日常の生活や仏寺にあまりかかわりない掃除や雑事の支度などについて「小言をもらう」という形式で教えられることが多かった。手先の器用なことに加え好奇心の幅広い人であったためか、いろんなことが出来た。能筆でありトタン屋根の板金は葺き替えたし裁縫も和裁洋裁とも達者で自分の法衣・袈裟から檀家の娘さんが女性教員と成った時はお祝いに婦人服をミシンで仕立てた。バイオリン、クラリネット、ピアノほかの楽器もよくこなし、ラジオを組み立て、養蚕、養鯉で子ども達を養い、薪小屋やちょっとした物置台・机なども自作のものだった。残念ながらそうした作り物の技術はついに教えてもらう機会が無かった。
 まだ建て替える前の古い庫裏の頃、居間に硯箱や電話帳など手近に置いて使うものを載せておく小さな棚があった。木製でやや赤みを帯びた茶色い塗料で仕上げたものだった。私が中学生か高校生の頃だったか、たまたま祖父が留守だったこともあって、居間にごろりと仰向けになってマンガかなにかを読んでいたときだったと思う。ふとその小棚を下から見上げて気がついた。その棚板の裏にはみな祖父の手で書いた戒名や経文の墨書の跡があった。
 隠し事をしていたわけでもないだろうが、なにかそんなささやかな秘密を見つけたような妙なおかしみをおぼえ、一緒に、ささいなものを大事にとっておいてはなにかに使い回す祖父の行為に感心したのだった。