読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

BON's diary

「何考えてんだ、お前はっ!」 「い、いろんなこと」

よこみち【真読】№108「絶句」

f:id:ryusen301:20161222103927j:plain

 生まれてから五歳の頃まで秋田市内の寺町通りにあるお寺で過ごした。そのお寺に県の宗務所という宗派事務局があり、父がそこの員をしていた。同時にそのお寺の法務手伝いをしており、妻を娶り、妻はお寺のまかない手伝いとして二人一緒に住み込み暮らし。その二人の間に私が生まれた。なんと言うことはない、大寺で働いていた若僧夫婦の子どもだっただけである。ただその寺の住職夫妻には子どもがなく、寺内に住む子どもは私一人ということもあって、可愛がってもらった。
 五歳くらいになると小編の経文は憶えるようになる。Eテレビの幼児向け番組で、じゅげむじゅげむや、アメニモマケズなど長文の文章を子どもたちが得意そうに暗誦しているのを見ることがあるが、あれと同じことで、意味などわからずとも子どもの暗記力は高いものだと思う。
 そんな5~6歳の頃からだと思うが、お盆になるとお寺の墓経手伝いをするようになった。
 そのお寺は本編に掲載した写真のように(同じ寺ではないが)、本堂手前の境内に境内墓地がずらりと並んでおり、お盆に墓参のお檀家さんでたいそうにぎやかになる。墓経というのは、そうした墓参客の要請に応じて、各墓塔の前でお経を唱え、家々のご先祖の供養をするものだった。
 一件、約十分足らずだったと思う。墓参客はひっきりなしに訪れるので、墓経に待機している僧侶は四~五人いたと思うが、それぞれ一件終わればまた次のお墓へというように、ほぼ休みなく動いていた。
 頃は八月の半ば。三十度を超える炎天下であることがほとんど。私以外はみな大人のお坊さんであったが、「よいでねなあ(※容易なことではないなあ)」とぼやきながらのことだった。
 だがお経も憶えたて、僧服姿も初めての私にしてみれば、墓参客たちに珍しがられたり、褒められたりして、子供心にも楽しく誇らしい思いだった(じつのところはその頃の感慨があまり鮮明でないのだけど、きっとそうだったと思う)。墓石の前で一緒に記念写真を撮ったり、読経中の姿を撮られたりしていたのを憶えている。
 そうした記憶のもっとも印象深いことがあった。
 憶えていた経文は『般若心経』だった。これはその前に憶えた『舎利礼文』よりも三倍くらい長い経文で、自分にとっては一つレベル上のお経を憶えたぞ、と内心得々としていた。墓経の際は、墓石に向かって、手に引磬(いんきん)と呼ぶ携帯用の鳴らし鐘を持って読経する。両手はふさがっているので、経典は基本的には持たない。父からは「お経を忘れたりしないようにちゃんとお経の本を看て読みなさい」と言われていたが、引磬を手にしていると持ちにくいし、なによりももう暗記しているから大丈夫、という気持ちもあって、経典は持っていなかった。なにしろ午前中だけで数十件、夕方まで途切れることなくやって来る墓参客に対応していると、日に百件くらいは読経していることになる。頭で考えなくとも次々と口から経文は出てくるのだった。
 で、その時。家族連れの墓参客。小さいのにえらいねえ、かわいいお坊さんだね、などと言われつつ「カンジーザイ」と始めた。と、経文が途切れた。次の言葉が出てこないのである。あせるが、そこは子どもでも何とか回避策をひねり出した。もう一度「カンジーザイ」から始めた。読経のリズムに乗っかっていると、ひとりでに経文が続いてくるはず、と思っての試みだったが、さっきと同じところでまた止まる。さっき以上にあせり、再度「カンジーザイ」から。後ろに立っている墓参客が、こっちの不自然なようすに気づいたのがわかる。それもあせりに拍車をかけたのか、また経文は立ち止まり、もう後が続かない。さすがに始めに戻るのもためらわれた。後ろから声がかかる。「おやおやお経忘れちゃったかな」。私は凝固したまま。暑さのせいではない汗で背中がびっしょりしてきた。経文に続く回向文というものがある。「仰ぎこいねがわくはさ三宝・・」と、読経功徳を先祖の供養にふり向けるしめくくりの唱え言だ。ともかくもそれを読んでお勤めの終わりにした。肝心なお経をすっ飛ばしてしめくくりだけを言ったようなものだ。「もっと練習して、来年もお願いしますね」と笑って言われたが、胸に穿たれた穴は深く大きかった。
 爾来50年を経た。今でも読経することを仕事にしているが、ふがいないことにごくまれに経文を忘れてしまうことがある。ごまかし方だけは上手になったが。