BON's diary

「何考えてんだ、お前はっ!」 「い、いろんなこと」

【真読】 №111「六地蔵」 巻四〈送終部〉(『和漢真俗仏事編』web読書会)

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テキスト http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/818707 コマ番号47

 具(つぶさ)には『谷響集』の中の如し。しかるに菩薩は普現色身三昧に入りたまへば、無辺の身を現ず。観音の三十三身の如し。今、六地蔵は六趣に普現したまうなり。
 ○『元亨釈書』に曰く、
 周州の玉祖(たまおや)の神官・惟高(これたか)は、累代の神職なれども、仏法を信じ、つねに地蔵菩薩の号(みな)を唱う。長徳四年(998)のころ、病みけるに六日を過ぎて俄に死せり。たちまち曠野に赴き路に迷う。時に、六たりの沙門来たれり。一人は香炉を持ち、一人は合掌し、一人は宝珠を持ち、一人は錫杖を持ち、一人は華筥(はこ)を持ち、一人は念珠を持つ。
 しかるにその中の香炉を持ちたる沙門の曰く、「汝、我らを知るや」。
 惟高、「知らず」と対(こた)う。
 沙門の曰く、「我らは六地蔵なり。六道の衆生を救わんために六種の身を現ず。汝は巫属なれども、久しく我を信仰せしを以て、今、汝を本国に還らしむ。汝、必ず我らの像を造って恭敬を致せ。我が居、南方に在り」と。
 聞きおわるに夢の覚むるが如くに蘇(よみが)える。すでに三日を経り。惟高、六地蔵を刻んで一宇に安じ、七十余歳まで地蔵の号を唱えて瞻礼供養して終わる。