BON's diary

「何考えてんだ、お前はっ!」 「い、いろんなこと」

よこみち【真読】№111「年頭偶感」

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 本編の画像に貼り付けた「おそ松くん」。テレビの放映は1966年2月から1967年3月だったらしい。
 その頃、それまで家族でお世話になっていた秋田市内のお寺を離れ、両親と妹の家族四人で、小さな貸家に住み始めた頃だった。おそらくその転居に合わせて白黒テレビをふんぱつしたのだろう。イヤミやチビ太など主人公の六人以上にキャラの立った脇役を憶えている。小学校入学を翌春に控えた年のことだった。
 祖父母の住むお寺は貸家と同じ集落内にあり、子どもの足でも十分もかからないほどの距離。それでも同居しないのにはそれなりの事情があったと知ったのはずっと後のことである。そんな「事情」に無頓着なのはいつの世も子どもの常で、新しくできた友達仲間とよくお寺に遊びに行った。中に上がり込んでと言うのではなく、建物外の境内あちこちが目当てだった。裏に桑の木が何本もあり季節になると子どもたちはそこへ群がって、熟した桑の実を指先と唇が紫色に染まるほど飽きずに食べた。池には昔養鯉をやっていたという名残の鯉が何匹もいて一メートル近い大物が出てくると歓声を上げた。本堂玄関前には石とモルタルでしつらえたタタキがあり、ところどころ剥がれているモルタルのかけらで石蹴りに似た遊びに興じていると、よく祖父から叱られた。
 はっきりしないがたぶんお盆の前頃だったろうか。私たちが境内で遊んでいると近所のお婆さんが六地蔵のところへやって来た。なにしに来たの?と寄っていくと、これ取り替えるんだよと言って、地蔵菩薩のかけている赤い前垂れを一つずつ新しいものに掛け替えていった。聞けば自分で作ったものだという。すすけた前垂れから、鮮やかな赤い前垂れに変わったお地蔵さんは、地蔵菩薩それ自体が新しくなったように見えた。その時の気持ちを当時は言い表す言葉を知らなかったが、とても尊い行ないのように思え、このお婆さんには敬意を持って接しなくてはいけないという気持ちになった。それは後に芽が出て私の中に抜きがたい根を張ることになる一つのタネだった。
 その後、さらにいくつかの「事情」の積み重ねの果てにこのお寺の住職と成り、歳の改まった今日、三十一年目を迎える。あの時のお婆さんが宿してくれたほかに、いくつものタネをいろんな人たちからいただいた。このお寺に縁のあった自分を支えている根っこは、そんなたくさんのタネから生まれたものだ。
 元旦のご祈祷を終えて明るくなった外を見ると、気温が高いのか雨がちの模様で、例年ならまっ白に掩われている境内は雪が溶けてアスファルトが黒く見えている。暮れの12月、あの時とは別のお婆さんが「お正月来るから」と赤い前垂れを新調してくれたお地蔵さんが六体並んでいる。