BON's diary

「何考えてんだ、お前はっ!」 「い、いろんなこと」

下田正弘「仏(ブッダ)とは何か」『駒澤短期大学仏教論集』第5号、1999年10月

 さまざまなヴァリェーションがある仏教において、最低限の共通項は何かと問われるなら、それは「三宝の存在」であると考えられること、それだけを申しあげておきましょう。
 仏宝、法宝、僧宝の「三宝に帰依をする」ことによって人々は仏教徒になっていく。時が経ち、社会宗教となった段階の、生まれながらの仏教徒でない限りは、この入信は世界各地の仏教で共通する出来事でありましょう。
 そうしますと、帰依の対象である三宝は、仏教徒にとって何らかの形で「存在」していなければなりませんね。ありもしない世界に帰依をすることなど不可能です。では三宝が存在するとは、どんなことを言うのでしょう。

 あるものが存在するとは、なんであれ実際に「影響を与えること」になる、こう考えてよろしいかと思います。神、愛、自由、解放、平安、故郷、旅。何でもよろしいのですが、例えばこうした抽象理念であっても、人の心に中を訴えかけ、実際に影響を与えるとすれば、その観念はその人にとって「存在する」ことになります。周囲に転がっていて、はっきりと見える、ありふれたものよりもはるかに大きな影響を与えるとすれば、それはより明らかに「存在する」ものとなります。

 現在の学会の理解に従えば、ブッダはなによりも歴史上の実在であり、開祖であり、人間です。そうである限り、すでに亡くなった人を問題にしていることにならざるを得ません。しかしこの理解は、三宝が存在する、三宝に帰依をする、と言う時のブッダ理解を十全に説明してくれてはいないようです。

 現代の仏教研究者の間には、ある強固な観念が存在します。それは、最初は部通の人間だったブッダが、後世の仏教徒の手によって徐々に神格化され、やがては神話的装飾に満ち溢れたブッダ観に至る、というものです。これを人間ゴータマの「神格化deification」「神話化mythologization」と呼びならわしております。 
 この理解に立って〈実証的な〉結果を求めようとする研究者たちは、神格化される以前の「人間としてのブッダ」の探求に向かいます。「脱神格化」、「脱神話化」と呼ばれる方法によって、つまり現在残された文献から、徐々に大袈裟な装飾を取り去って行けば、やがて本来存在したはずの「純粋な人間ブッダ」が再現できるはずだ、と考えて仏典に向かうわけです。

 「ブッダをめぐる記述を当時のインド世界内のメタファーとして読み取る」。この態度と真っ向から対立するのが、ブッダを「理性的人間」であると前提し、その理解と矛盾しない記述を「本来のもの」として採用し、それに沿わないものを「後代の神格化」として退けようとする、現代の研究者が陥りやすい態度です。

 ある種の古代の学問は、民衆ときわめて近い世界にいることがしばしば指摘されます。殿堂に閉じた学問ばかりでなく、市井に開かれた学問が存在するわけでして、後者においては実際に民衆を動かせないならば、その存在意義はなきに等しいものです。ブッダの披露する学問の一部は、明らかに後者の立場に立つものでありまして、単に専門家に向けた、純粋に思索的な内容ばかりを扱ったものとは考えられません。われわれの言う理性では超えられない壁、むしろ非合理的な世界さえを取り込む説得力を持つことによってこそ、民衆ははじめて動くのですから。
 こうした問題を考慮した上で、さらに前に述べた初期仏典のジャンルの多様性を考え併せるなら、理性的なブッダに焦点を専一に合わせて仏典全体を読み解くことの危険は、十分に予想されるはずです。

 仏教徒たちは、歴史的ブッダによって開かれた教えを、(引用者注:ブッダ入滅の)その後にみずからの責任において展開していきます。生身のブッダは消え去ってしまいましたが、彼らにとってはブッダの入滅は、ブッダの消滅を意味しませんでした。言うなれば、ブッダは弟子たちの中に内化されて存在し続けました。外のブッダが、内のブッダに変わりました。
 ここに言う「存在」とは、すでに述べました「影響を与え続けること」という意味での存在です。人物としてのブッダはいなくなっても、自分に与えられた影響は存在し続けています。彼らにとってブッダは、この自らの内に存する運動そのものでありましょう。
 死を選ぶはずだった者がブッダに出会い、その力に救われたことによって今現に生きている。自らが存在しつづけていること、このことこそブッダの力がいまだに働きつづけている証拠であり、それはブッダが存在し続けていることの証でもあります。彼らにとってブッダとは、この力そのものにほかなりません。相手とする目に見えるブッダの存在がないからこそ一層、ブッダは自らの内に残された運動に求められることになります。

 このように見てきますと、ブッダは特定の歴史上の存在でもあり、また特定の歴史を超えて存する実在にもなります。

 経典は「如是我聞、一時仏在・・・」から始まります。経典の冒頭において、伝承の中で先ず確認されなければならないのは、「自己の存在」と「ブッダの存在」であります。この二つは同時に存在が確認される事柄となっています。この確認は経典の成り立ちにとって重要な要素です。この経典で語られるブッダは、かつて歴史上の特定の時期に存在した歴史的ブッダですが、それが自分を通して現在に呼び戻されているのです。
 口伝の世界では、ことばの語り手は重要な意味をもちます。口伝である経典は語りを除いては存在しませんから、ナレーターが語り始める時に一頁が始まり、語り終わった時に経典の最後の頁が閉ざされたことになります。語り手は経典そのものを成り立たせていますから、、ブッダのことばをも成り立たせています。より正確に言えば、過去のブッダのことばを現在化しています。
 これが「伝承」の意味であります。過去は現在化されることがなければ単に過ぎ去って影響を持たせない死骸に過ぎません。伝承は、死骸を受け渡すことではありません。生きたものでなければ、伝承する努力は意味をなさないでしょう。こうして初期仏教の経典においてもすでに、聞き手と語り手が一つになって、ブッダを求める構造ができあがっているのです。

 これまで見てきましたように、歴史的ブッダであるゴータマに出会ったわずか一握りの人たちは、その後の膨大な数の仏教徒たちに、ほかならぬブッダの存在を伝えつづけました。後の時代の人々にとっては、ブッダに出会うことは、ゴータマという肉体に出会うということであろうはずはなく、分かりやすく言えば、伝えられる実感、感動に出会うことであります。それは、伝え聞いた過去が、現在として、現存する自己において蘇ってくることであり、そのとき、ブッダは、ゴータマに限定されない、「より根源的な名前を持つもの」として表現されはじめます。これこそが、伝統仏教に見られる過去仏思想であり、あるいは大乗経典に現れるさまざまなブッダであります。

 ブッダが歴史的存在の釈尊でもありながら、かつ、その根源となる真理そのものであり、また現在の歴史として現れるブッダでもあるとするなら、これこそは各地の伝統の中で、仏教徒たちが理解してきたブッダそのものではないでしょうか。歴史的ブッダ、つまり釈尊の存在を認めつつ、人々が他の新たなブッダをも同様に認めることは、少しもおかしなことではないのです。
 このことを認めさせない力として働くものは、いったい何でしょうか。ブッダが歴史的存在であったゴータマのみであり、他のブッダが捏造物に過ぎないのなら、ブッダの継承や存続は意味がありません。そこでは法・僧の二宝が存在していればよいのでああって、仏の存在は意味を持たないはずです。近代仏教研究は、ことにわが国において、事実上、三宝ではなく二宝の存在を立証してきたように思います。
 こうした強固な態度を産み出してしまう原因の一つは、「仏教の起源に純一なものを措定したい」という欲求であります。その純一なものとは、ここでは具体的には「理性的人間としてのブッダ」を指しますが、複雑で混沌とした存在を、研究者たちはなにかしら〈得体の知れないもの〉、ときに〈いかがわしいもの〉として敬遠する性癖があり、できるだけ単一で、純化された存在を求めるようです。
 ところが結果として伝わった仏教は、けっして単一、純一なものではなく、むしろ説明がつき難いほどに複雑多岐な様相をしています。この現象を前にして、研究者たちは、「その中には、正しいものと間違ったもの(ママ)混在しているからだ」と考え始めます。そして「正しい仏教は同質の正しい起源に、間違った仏教は同質の間違った起源に発しているはずではないか」と理解し、仏教の起源にあるブッダは、純一な、無誤謬な、理性そのものとでも言うべき人間として仮定されてしまうのです。

 まずわたくしたちは、資料に現れた複雑なブッダをめぐる叙述を複雑なままに記述し、そして今度は、その複雑さができるだけともに収まる、新たな次元を模索していかねばなりません。もしその作業が成功したなら、そのときは、釈尊とさまざまな大乗の仏が共存するに至った、仏教の歴史の訳柄が、手に取るように明らかになるかもしれません。