BON's diary

「何考えてんだ、お前はっ!」 「い、いろんなこと」

下田正弘「神仏習合という可能性‐仏教研究と近代‐」『宗教研究』81(2) 2007年9月

〈論文要旨〉神仏習合の裏面の問いとしての神仏分離には、近世から近代にかけて中央集権国家を構築した日本の歴史全体が反映する。仏教の迫害と変容の基点となった明治維新をとりまく暈繝には、権力支配の構造の変容と諸知識体系化の歴史が重なりあう。経世済民の思想、国学の進展、一国史編纂の企図は一体化して明治国家の理念を形成し、仏教を非神話化しながらあらたな神話を完成する。この構造全体を読み解いて未来をみすえるとき、生活世界に基礎をおく解釈学としての仏教学の構築が強く望まれる。

 かつて仏教が活動した第三の領域が消失したとき仏教は世俗内存在となった。もちろん近世以前であっても仏教は常に時の権力と調和しなければならなかったのだから、十全な意味で世俗外存在だったわけではない。だが近世以前にあっては、たとえば仏教会の新興勢力を弾圧しようとしてあらわれるのは世俗政権そのものではなくそれとむすぶ旧勢力や対抗勢力仏教界というすがたを取っていたことを想起するなら、仏教はいまだ自立した原理のはたらく領域にいたとみてよい。けれども寺を直接に壊滅させる信長の弾圧や寺社組織の徹底した改編を実行する徳川の統制は異なっている。かれらは‐ゆいいつ公家、朝廷の長である天皇をのぞいて‐独自の価値が成り立つ領域を地上から一掃し世俗世界に一元化した。全国をすみずみまで網羅し、あらゆるできごとを同一の次元で漏らさず把握する、精度は高くないが〈一望監視システム〉を構築した。

 中世のように個々の伝統が閉じて自存し、おのおの独立して活動する領域が与えられていれば全体を俯瞰する知は生まれえない。近世になって元政の領域が一元化され知を閉ざしていた伝統が解放されたとき、さまざまな伝統的知が一覧できる環境が整った。

 さまざま隠喩の森に分け入ってことばを精査した国学と、みずからの来歴をひとつの物語として描く国史学とは、幕末期の社会的混乱にあって社会全体のアイデンティティを表現する主体となった。二つの学は現世へと越境し、実証的調査資料を根拠とする経世の学に重なりあった。国学国史学とは現実性のいくばくかを経世の学から手に入れ、経世の学は存在の意味づけを二つの学が提供する隠喩的言辞から手に入れた。尊皇攘夷という政治運動に結実し、明治維新を準備する理念形成の言語戦略に、もはや仏教が入り込む余地はなかった。

 神仏分離に託された明治政府の深謀遠慮は、それから七二年をへた昭和一四年(1939)、宗教団体法の制定によってその正体をあらわにする。あらゆる宗教はその信仰理念までもふくめ翼賛体制に参集しなければならないというのだ。この結末にいたったのは明治政府の誕生から七旬の歳をへたがための変節の結果などではない。そうではなく、この政府の誕生が近世までの世俗政権とは一線を画した超世俗国家の出現だったことの歳月をへての再確認である。
 近世に整えられた世俗一元的支配機構はその内部にさまざまな組織や知識のシステムを保持していたが、明治政権のにない手たちはこの政治機構に幕末から顕在化する国の自己言及的概念である〈天皇〉を重ね合わせる。ここに生まれたあらたな〈天皇=国家〉は人文、政治、経済、社会、あらゆる知識体系をうちに呑噬するひとつの巨大な隠喩となった。近世までの世俗のながれに逆行した世俗政権の再神話化がここに達成された。
 
 では仏教研究者たちは〈概念〉となり神話となったこの〈天皇=国家〉にたしていったい何をなしたのか。第二節で述べた対神話化という課題にいかに対処したのかという問いである。結論を述べるなら総体としては無力だった。それはおそらくこんにちにおいても変わるところがない。その最大の原因は、近世から近代への移行にみられるひとつの事態の進行‐すなわち体系化された全体知の整備、下位の諸システムを内包した支配制度の組織化、これらにたいする隠喩の宝庫から取り出された同一〈概念〉の付与と実体化という、国家総動員で進められる壮大な冀図‐を解明することがないまま、限定された方法にみずからを閉ざした点にある。
 日本の近代から現代にかけての仏教研究がかかえる問題点についてはこれまでもしばしば取り上げたので再説はしないが、ひとことにまとめるならそれは歴史主義的立場に立ち非神話化を進めてきた。近代ヨーロッパから取り入れられたこの方法は研究の題材を過去のインドのテキストに閉ざすので日本に現存する仏教は見えなくなる。生きた仏教の存在が必要ない西洋のキリスト教世界ならこの方法で何の問題もない。ところが神仏習合して一千年を超える歴史をかかえ、あまつさえ神仏分離という未曾有の経験をへて危機に立つ仏教をかかえた日本にとって、これはあまりにも貧困すぎる方法だった。
 なかんずく非神話化とは伝統のなかに機能してきた隠喩を解体する作業である。仏教研究者たちが得意になってこの作業を遂行してゆく裏面において、明治国家は着々と〈天皇=国家〉なる〈概念〉を構築してゆく。〈概念〉の形成はひとつのことばに複数の意味を籠めそれをより高次ものにしあげてゆくが、非神話化はひとつのゆたかなことばを一段と低い貧困な部分に解体する。双方まったく逆向きの仕事をすすめていったのである。
 ミレニアムにおよぶ歴史のなかに伝統として定着しながらも明治維新という政変のゆえに瞬時にしてそこから排除された仏教は、本来なら新政府の進める冀図をみずからあばくことのできる立場にいた。ここで仏教知識人たちのほとんどがアカデミズムにおける文献研究に道を見いだしながら現実の仏教を研究の対象としなかったことは、日本の思想界あるいは歴史にとっておおきな痛手となった。
 
 それにもかかわらず仏教学が推し進めたのは仏教のさまざまな隠喩の解体作業だった。いったん神仏分離によってとりかえしのつかないほどに解体させられた仏教をさらに文献内部においても解体しようとするのだから、ほとんどの存在は消え失せてしまうだろう。
 
 神仏分離を経験した仏教界は明治国家によって伝統的意味を解体され、くわえてあらたな神話を突きつけられているのであって、その神話をあばかずして仏教にとってもっとも重要な隠喩である仏をかんたんに非神話化してしまうなら、仏教にとっては泣き面に蜂である。
 袴谷憲昭や松本史朗らによる批判仏教、ブライアン・ヴィクトリアによる鈴木大拙批判、耳目を惹きつける仏教をめぐる言説はいずれもが既成仏教にまつわる主要概念や象徴的人物像の解体に向けられ、対神話化の課題にはついに気づかれていない。むしろ仏教研究者の内部から生みだされる近年の仏教批判は、正邪を弁別し、正統と異端を創出し、虚偽を暴いて糾してゆくという論調にみち、既存の仏教に向かう姿勢において、神仏分離廃仏毀釈をなすものたちと驚くほどに親和的である。
 もちろんこれらの研究はそれぞれの領域で貴重な貢献はしているものの、その基本姿勢としては、すでに存在するものの意味をまずおおきく減じたうえでいくばくかをつけくわえようとする。この付加される部分に研究者の仕事が確認されるのだが、けれども結果として存在していたものの意味全体が減じられているとするならそれは十分な仕事になってはいない。ここでは解体を仕事と思ってはならない。というのも〈天皇=国家〉なる〈概念〉は歴史の変容ととともにあらたな意味がいまだに付加され豊富になりつつあるのだ。仏教の解体はかたわらで進むこの隠喩の構築をきわだたせる奉仕作業でしかないだろう。

 求められているのは〈天皇=国家〉とは異なった〈概念〉、すなわち社会的あるいは文化的意味の複合体を抱擁することばをもとめ、ゆたかにする作業である。伝統の中心にいながら明治国家から排除された既成仏教がこの〈概念〉を生む最有力候補のひとつだったことに異論はないだろう。隠喩が現実の意味をひとつ過剰にするものであったことを想起するなら、いま必要なのはさまざまな隠喩を解体するのではなく再生することである。
 その素朴で強力な道、それはあらたな〈神仏習合〉の創出だろう。もはや相容れなくなったものどうしが変転する歴史の隔たりをへてふたたび相手を認めあうなら、そこにはかつてなかった意味が誕生する。他者を受け入れて新たな自己を見いだすことはより豊穣な意味の産出である。世界に意味が付加されることによって、それまで不動に思えていた既成の価値体系はより豊かな方向へと揺らぎはじめる。

 あらたに神仏習合が実現するためには、仏教神道ともそれぞれがみずからに固有の伝統的姿勢をたもちつつ、同時にほとんど制止したすがたしか見えなくなった相手と〈ともに動く〉ことが必要となる。特別な方法は必要ない。生活世界において小さな単位で寺社が自主的に協働しさえすればよい。動けばかならず景色は変わる。意識が生活から遊離し、政治的であれ教義的であれ、イデオロギーに閉ざされたとたんに、じっさいには存在していない問題が障害として立ちはだかる。それは存在しないのだから努力によっても解きようがない。先入主(ママ)を排して相手に向き合うとき存在する問題は見えはじめ、努力をつづけるならやがて解決の道は開けてくる。そのときにはもはや寺社や神仏を習合させる必要さえなく、それぞれはすでに実現されていた一如に出会いなおすだろう。なぜなら歴史のなか神仏が共存した時間は別離した時間とは比較にならないのだ。

 仏教民俗学や宗教人類学などから提供される貴重な研究の諸成果を活かしながら直面する抜き差しならぬ問題を解決してゆくためには,確固とした理論的土台作りが不可欠なことであり、それには生活世界に根ざした解釈学的方法はもっとも有効である。
 諸体系を内包した支配制度の組織化とそれに対応する諸知識の体系化を図った日本の近代化における悲劇は、あらゆる存在が例外なく〈天皇=国家〉というあらたな〈概念〉の下位に一義的に意味づけられるところから起こった。全体へ編入しようとするこうした力に強さを備えていない個が抗してゆくためには、生活世界に根ざしつつ世俗の支配機構から自立しつづける中間共同体の存在が不可欠である。背後にそれぞれ固有の歴史と伝統をかかえた寺、社が、分離されたがために起こった不幸な歴史をともに背負いながら未来にむけて協働しはじめるとき、そのときこそはこの自立した共同体の出現となるだろう。神、仏をともにそのあるべき場所に、世俗を超え出た世界に帰さなければならない。世間をささえるものは世間ではない。