BON's diary

「何考えてんだ、お前はっ!」 「い、いろんなこと」

よこみち【真読】№114「ガキ=子供」はもうやめよう

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六道の一つを餓鬼と呼ぶのはいい。広い意味での仏教の世界観に受け容れられた餓鬼道についてはそのまま受けとめようと思うが、人の子を「ガキ」と呼ぶのは好きになれない。もっとはっきり言えばとても嫌いな言葉で、できればやめてほしいとさえ思う。
 いったいガキという言葉が子供を指すようになったのはいつ頃からだろうか。
 『日葡辞書』や『時代別国語辞典・室町時代編』などには仏教語の「餓鬼」の用例が主体になっている。そこから派生して「飢えて痩せこけ、やつれて色青ざめた人」いう意味も載せてあるが子供を指す用例はない。少なくとも近世以前はそうした例はなかったと言うことじゃないだろうか。
 私が子供の頃にすでに一般的だった。昭和45年、ちばてつやが『餓鬼』という作品を『ぼくらマガジン』に連載し始めた。この作品は、人間の欲望に翻弄され悪の道にはまりこんでゆく少年を主人公にしている。ガキども、ガキ大将などという言葉が横行していた時代だ。
 ガキ大将というと、ガキと単独で云うよりはあたりがきつくないように感じるのはそう馴らされてきたからだろうか。昭和47年から刊行開始される『日本国語大辞典』(全20巻・縮刷版全10巻)には、「餓鬼」の項にはこれを子供とする用例は見えないが、「餓鬼大将」の項はある。ここには江戸時代の俳諧滑稽本の用例が載せられていて、これが江戸時代以来の言葉であることがわかる。とすればやや慎重にならざるを得ないが、江戸時代あたりの「餓鬼」という言葉をめぐる状況がカギになるように思う。
 その言葉のもともとの意味が凶悪だったり忌まわしかったりするのに、今になってカドが取れてまるくなったりしている例は多く、この連載でも以前、よこみち【真読】 №18「愛しき大黒さま」http://ryusen301.hatenablog.com/entry/2015/04/20/085225
で取りあげた「大黒」なんかがそうだ。
 だからガキについてもそんな目くじら立てなくていいじゃん、と言われるかもしれないけど、やはりいやなのは今日の用語の解説が、「子どもをガキというのは、餓鬼のように食べ物をむさぼるところからである」と明らかに書いているところにある。だってこう書いているってことは、「子供は餓鬼のように食べ物をむさぼる」と定義していることになりませんか。当然そこには餓鬼草紙や地獄草紙に登場するあの餓鬼達の姿がオーバーラップするじゃないですか。自分の子、だけじゃなくとも自分に親しい子たちが「餓鬼のように食べ物をむさぼる」と言われたらいやでしょ。
 ある宗教教団が「施餓鬼」という表現はやめて「施食」にしようとしたことがあったけど、これは教団側が発信する情報責任という動機が強かったように思う。この〈餓鬼=子供〉という表現を考え直すのは、一つの教団とかじゃなく、より広い大人社会が〈子供を育む〉という視点から考えるべき問題だと思うんだな。そう思いませんか?