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BON's diary

「何考えてんだ、お前はっ!」 「い、いろんなこと」

よこみち【真読】№116「俺さまファースト?」

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本編「逆修」の件、もしこれが本編に添付した画像のように受戒を主題としているのであれば、その意味合いは、死後に受戒し戒名を得るよりも、生前に受戒自誓して戒名を受ける方が理にかなっている、という昨今多く云われている意見にたどり着くだろう。たしかに死後受戒よりも生前受戒の方が、仏教に限らず信仰に理解ある人であれば受け入れやすい考えだろう。
 だが本編で話題としている逆修の主題のもう一つは、こうした今日的な生前受戒に関する議論がまだ取り上げていないところにある。
 それは本編で引いている『仏説潅頂経』と『地蔵本願経』に見える所説だ。
 『仏説潅頂経』にいうところは、死ぬ前に七七日の供養、いわば四十九日の供養をあらかじめやっておけば、功徳はでかいよ、ということだ。
 そして『地蔵本願経』のいうところは、死後に故人の眷属が故人のために修福供養すると、その功徳の七分の一は故人へ、七分の六は修福供養した当の眷属たちのものになるのだけど、死ぬ前に自分で自分の死後のための修福供養をしておけば七分の一プラス七分の六で、功徳の全部を自分のものにできるぞ、ということだ。
 つまりどちらも今風な言い方をすると「俺さまファースト」みたいなことになる。いわゆる、功徳の独り占め。これっていかがなものだろう。
 実際この考え方は「預修生七」などと云われ、中世~戦国期の貴族や武士たちの間で流行を見たようで、生前に死後の自分のための七七日供養を行なったという複数の資料が確認されている。
 こうなってくると昨今の「生前受戒のススメ」みたいな議論とは別のところから「逆修」を捉えなおさなくちゃいけなくなるものだと思うのだが。