BON's diary

「何考えてんだ、お前はっ!」 「い、いろんなこと」

【真読】 №117「数珠の起因」 巻五〈雑記部〉(『和漢真俗仏事編』web読書会)

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テキスト http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/818707 コマ番号50

 『木槵経』に云く、釈迦如来、中天竺摩竭陀国霊鷲山に住せし時に、難陀国の波琉璃王、使いを以て仏に言(もう)さく、「我が国は辺国にしてしかも少(ちいさ)し。頻りに兵乱し五穀貴(たか)く、疫病流行して人民困窮す。このゆえに我安んぜず。如来の宝蔵は甚深広大なれば、修することを得ず。ただ願わくは世尊、慈悲を垂れて法の肝要を示したまえ」と。
 その時、仏の言わく、「もし煩悩業苦を滅せんと思はば、木槵子(もっかんす)一百顆を串(つらぬ)き徹(とお)して常にその身に随え散乱を息(やす)め、至心に勃駄(ボッダ・仏なり)、達磨(法なり)、僧伽(僧なり)と唱えて(すなわち三帰なり)、すなわち一つの木槵子を掐(つまぐ)るべし。かくのごとく百遍、千遍ないし百千万遍すべし。もし二十万遍に満せば、夜摩天宮に生じ、衣食自然にして、常に安楽ならん。もし一万遍に満せば、百八煩悩を断除せん」と。
 その使い、還って王に言(もう)す。王、大いに歓喜し、遥かに世尊を頂礼し、すなわち木槵子の数珠一千具を作らしめ、六親等に与えて善業を勧導す。王、常に誦念して軍旅に出れども廃(す)て置かずと。(已上)
 これ仏、数珠の法を説きたまう因縁なり。ただしこれは仏の随機の一縁なり。しかも実には無始本有の法則なり。謂わく、曼荼羅の尊の三昧耶形(さんまやぎょう)に数珠鬘(じゅずまん)あり。準提仏母・不空羂索・十一面観音・千手観音等の所持物の中にも数珠あるは、これみな法仏法然の標幟なり。釈迦如来の今、新たに造り出したまう物に非ず。
 また天竺の事火外道の本尊とする火大の持物にもまた数珠あり。これらは仏、出生以前よりあることなり。ゆえに実には自然無作の法具なりと知るべし。これ密教の深旨なり、容易に述ぶべからず。