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BON's diary

「何考えてんだ、お前はっ!」 「い、いろんなこと」

よこみち【真読】№117/118/119「数珠ってどうよ?」

この連載で複数の本編項目にひとつの「よこみち」ってはじめてかも。
 にしても数珠に対する思い入れは強いね。そもそも巻一の№1からして数珠のことを取り上げていた。
http://ryusen301.hatenablog.com/entry/2015/02/10/064322
巻五になると上掲の№117~119なんだけど、本編にはここで取り上げなかった「数珠の標幟」という項目もあるのだから、ここまでで数珠は五回も項目として挙げていることになる。子登の属する真言系の教えではこのように数珠に対する意味づけが重要視されているということなのだろう。
 そこで「よこみち」では、私の属する曹洞宗では数珠をどう見ていたかということを紹介して両者の対比を試みてみたい。
 とういうわけで道元の場合である。たずねてみると道元の言葉中に数珠を名指ししたものがある。次がそれである。

「寮中、高声に読経唫詠して、清衆を喧動すべからず。また励声を揚げて誦咒すべからず。また数珠を持して人に向うはこれ無礼なり。諸事須らく穏便なるべし」。

 これは道元の著『衆寮箴規』の一節。衆寮とは禅宗寺院の中に設けられた坐禅堂は別の、言わば修行僧の生活スペース。その室内における生活規律を定めたものがこの本である。「数珠を持して人に向うはこれ無礼なり」。う~む。こんなことって真言宗はもちろん他の宗派では言うものだろうか。
 道元ははじめ比叡山で修行したのだから天台密教の経験はある。たとえば抹香を手にすりつける塗香は今の曹洞宗ではほとんど行なっていない。しかし道元の著作の中には塗香してから仏像に向かうことが書いてある。数珠に関する伝統仏教鎌倉時代道元以前のという意味で)の所説を知らないはずはない。「人に向かう」時、という限定付きではあるが、道元の数珠に対する評価はかなり厳しいと言える。
 で、この厳しい路線を江戸時代になってさらに徹底させた禅僧がいた。その名は徳巌養存。道元の『衆寮箴規』の解説書『永平衆寮箴規然犀』を元禄十四年(一七〇一)に刊行する。その中でくだんの一節を次のように展開する。

 今、あるいは襟上に数珠を係け、あるいは掐(つまぐ)りて客に対する。もって厳具となす。矯異眩耀にしてもって利名をむ。これらをすなわち「威儀の賊」となす。我が祖、謂いつべし、澆季を明察すること星衡藻鑑と。

 近頃は、数珠を首輪のようにしたり、くりくりつまぐって客人に相い対したり者がいる。これは数珠を法具ではない厳具いわばアクセサリーとしているものだ。ことさらに素材に凝ってみたりきらびやかにしてみせたりしてちやほやされたがる。こういう者たちを「威儀の賊」というのだ。我が祖・道元禅師の言葉こそ、まさに言うべし、時代の末を明らかに見通せることは秤(はかり)目のごとく正鵠を射ているものだ、と。
 こんな試訳をしてみた。「矯異」の意がやや心許ないがどうだろう。ここでもっとも痛烈な一語は「威儀の賊」だ。さしずめ今風に言えば「ファッションなどにとらわれているうつけもの」(あ、言い回しがやや古いか)というところだろう。ここではすでに本編で複数の典拠を引いて示してきた頂髻、頸、手、臂にかける数珠の意義など一顧だにされていない。曹洞宗のある一面をぐんぐん延伸してゆくとこうなるといういい見本のような事例とも言える。おそらくこの言葉に共感する禅僧は少なくないはずだ。
 宮廷仏教として官寺の地位を連綿と継承してきた真言宗、自他ともに「土民禅」と称してひたすら都を忌避してきた曹洞宗。実際はそんなものではなかったが、なんとなくそんなステレオタイプをイメージしてしまう。
 かくいう私は、いい年した曹洞宗僧侶が、中高生のようにブレスレットよろしく法要時でもないふだんから手首に「厳具としての」数珠を掛けているのを見ると、あまりいい気はしないのである。