BON's diary

「何考えてんだ、お前はっ!」 「い、いろんなこと」

【真読】 №122「仏像を安置す」 巻五〈雑記部〉(『和漢真俗仏事編』web読書会)

テキスト http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/818707 コマ番号53

 木像・絵像を礼拝恭敬することは全く如来在世の尊を拝するに同じ。ゆえに仏滅後、絵・木の像を安じて拝せしむ。
 『円覚経』に云く、もしまた滅後に形像を施設して心に存し、目想し、正臆念を生ずれば、はた如来常住の日に同じ。
 ○『西域記』五に曰く、如来、正覚を成じて忉利天に昇りて、母のために説法して三月還りたまわず。優填王(うてんおう)、如来を思い慕いて如来の像を図せんと願う。ここにおいて没特伽羅尊者(もつどくがらそんじゃ)、神通力をもって工人を率いて天宮に上り、仏の妙相を観て栴檀をもって刻ましむ。しかるに如来天宮より還りたまうとき、栴檀の像、起って世尊を迎えたまう。その時、世尊、慰して曰く、「教化、労なりや。末世を開導したまえ」と。(これ仏像の始めなり)。
 ○『仏祖統記』に云く、『増一阿含経』を按ずるに、帝釈、仏を請じて忉利天に昇りて母のために説法す。優填王(うてんおう)、思い慕い栴檀をもって如来の像を作る。波斯匿王(はしのくおう)、これを聞いて紫磨金(しまごん)をもって像を作る。また高さ五尺なり。この二像、閻浮提(えんぶだい)の始めなり。