BON's diary

「何考えてんだ、お前はっ!」 「い、いろんなこと」

よこみち【真読】№127「勧進帳」

 同じ業界の方たちなら今回の本編、誰しもが身に憶えのあることだろう。暗記していたはずの経文が出てこない。後ろにいる檀信徒の不審がる気配がびんびん伝わる。とっさに経の出だしからやり直すが、やはり途切れたところまで来るとその先が出てこない。仕方ないので他の経文へ飛んでごまかそうとするが、そちらまで忘れて出てこないという負のスパイラル。おそらく仲間内が集まれば続々とそんな“しくじり自慢”に花が咲くだろう。
 そんなこと昔から変わらないのだなあ、となんとなくほっとする本編だった。
 これと似たようなことだけれど文書を携えてそれを読み上げるという場面で、肝心の文書の用意を忘れてしまうという場合がある。たとえば仏事法要で導師が読む法語であったり、仏事に限らずなにかのイベントで依頼されたスピーチの原稿であったり、である。自分で作成した原稿を忘れた場合であれば、おおよそは頭に入っているのでなんとかアドリブでもしのげるが、一定の規則性に従って漢詩文なんかの場合はお手上げである。そう言えば赤塚不二夫の弔辞を白紙を手にして8分間諳んじたタモリの件は有名だが、あれなどはもはや“芸”というべきものと思う。
 近年増えてきたパターンだが、パワポで作成した講演資料を、モバイルPC持参で臨んだ会場で、プロジェクタと接続するケーブルが無かったり、突然PCが固まってしまったりしてパワポの使えないことが何度かあった。これまたとりあえずのストーリーは頭に入っているのでなんとか板書に変えてその場を乗りこえたことがある。
 こんなふうに切羽詰まりそうな場面をしのいだ経験というのは、人を調子づかせるもので、ささいな失敗や物忘れはなんとかなる、という図太さを形成し始める。ただしその一方で話の中身は確実に劣化している。古今変わらぬ金言だが、油断大敵、初心忘るべからず。急場をごまかすテクニックを身につける前に、まずは万全な準備を怠るなということである。