BON's diary

「何考えてんだ、お前はっ!」 「い、いろんなこと」

よこみち【真読】 №133「親孝行、したい時には・・」

 恩愛に関する話題はきっと私の中でも関心の度合いが高いのだろう。
「流転三界中 恩愛不能断 棄恩入無為 真実報恩者」
 この言葉に関するテーマは、これまでにも両親への孝養や、本朝高僧傳史上最も孝をつくしたと伝えられる元政のことなどたびたび取り上げてきた。
http://ryusen301.hatenablog.com/entry/2014/12/28/120642
http://ryusen301.hatenablog.com/entry/2016/11/24/160127
http://ryusen301.hatenablog.com/entry/2017/01/30/065820
 くだんの日蓮宗僧侶・元政こと日政の著した『釈氏二十四孝』という書がある。元政33歳、明暦元年(1655)の刊行である。その序文を素材にして若干のコメントをしておきたい。
 この本、釈氏すなわち仏教僧の孝行話を24人分集めたもので、中国僧17人、日本僧7人のエピソードを収めている。その内容は今回は触らずに、序の部分を読んでみよう。

 童蒙、予に問うて曰く、「仏法の万行、何を以てか本となす」。
 予、これに応えて曰く、「けだし万行は戒を以て首となし、孝を以て本となす。わが大覚慈尊、その因縁、出世の初めにあたって大戒を説き、すなわち言く“孝を名づけて戒となす”と。
 孝とは何ぞや。
 順の謂いなり。
 順とは何ぞや。性に順(したが)うの謂いなり。
 ここを以て、行は万殊なりといえども、孝を挙ぐればすなわち収まり、徳は無量なりといえども、性を語ればすなわち摂す。孝の道たるやかくのごとく大にしてかつ備われり。
 悲しいかな能仁没して慈氏いまだ出でず。魔説並び行われ、異端競い起つる。
 その放曠虚頭の徒はすなわち謂く、“なんぞ細行に膠して大道を妨げん。父を殺すもまた得たり。母を殺すもまた得たり”と。
 これ漫(みだ)りに卓挙不羈の跡を見て、その常に反(そむ)きて道に合(かな)う所以を知らざるなり。
 庸魂不肖の類はすなわち謂く、“出家の人は、恩を棄てて道に入る。すなわちこれ恩を報ずと。なんぞ定省に労せん”と。
 これまた僅(わず)かに無為報恩の言を聞いて、その恩を棄てて恩を報ずる所以を解せざるなり。
 これみな後世闡提の党を引きて、真に背き、妄に向かいて、同じく火坑に入る。悲しまざるベけんや。ああ、子、逆してこれを逃れよや」。
 
 ここにおいても話題の要は「流転三界中云々」である。「放曠虚頭の徒」「庸魂不肖の類」とはいずれも僧籍にある者をさすのだろう。放曠とは一般に自由気ままの意で必ずしも悪い意味ではないが、ここでは自分勝手な解釈を振り回す頭の空っぽなやつら、というニュアンスだろう。そして凡庸なる魂の愚か者たちということか。そんな連中は、棄恩の文字をごく表層的に捉え、親に対する孝養の念を捨て去ることと理解し、あまつさえ両親を殺してもかまわぬなどど口頭に上ることもあったのだろう。しかし元政は、それは真実の意味を介していないものの理解であると非難し、そのような輩は地獄の業火に焼かれてしまうという。
 十七世紀半ばのことである。これが儒仏論争のネタであれば、儒教側の批判に対する仏教側の対抗説と位置づけられるものだが、この文章を見る限り、元政の「敵」は同じ仏教者側の「徒類」のようだ。
 これは現代においても耳にすることがある。「俺は出家の身なんだから、俗世の親のことなんてあとは知ったこっちゃない」。元政の批判は今日のそうした者たちへも及んでいる。
 
 曹洞宗のことをかえりみれば、道元は早くに母とは死別したらしいが、その出家の動機は母、祖母、叔母たちの菩提供養にあった。瑩山は人ぞしる母に孝養を尽くした人であり、その師・義介もまた養母堂を建てて老母を住まわせた。禅宗といえども、必ずしも黄檗のように実母の川に沈みゆくのをタイマツをかざして見送ったエピソードだけではない。先ほどの「父を殺し母を殺し」のフレーズは、おそらく禅語の「殺仏殺祖」などから来ているのだろうけど、非世襲時代の禅宗といえども、孝養の大切さは軽んじられていない。
こうしたことは世襲一般化時代の現代にあってもっと注目されてよいことだと思う。「出家を標榜」などど絵空事をいつまでも口にしていないで、婚姻し、家庭を営み、実子に寺を相続させていくことをきちんと中心に据えた僧侶・寺院の「依るべきことば」を、とっくの昔に確立しなければならないのだ。