BON's diary

「何考えてんだ、お前はっ!」 「い、いろんなこと」

「たましい」その1 柳田邦男『『犠牲』への手紙』(文藝春秋、1998年)

 (2)「たましい」を探し求めて‐毎日新聞に答えて
 ‐本をまとめた原動力は
柳田 河合隼雄さんが「人間は物語らないとわからないところがある」といっています。私も息子も人間存在の暗闇を見てしまったような気がします。息子を亡くした私がもう一度再生していくためには物語を作るしかなかった。私のような書くことが業となっている人間は書くことで再生していくしかないのです。息子を失った喪失感、挫折感、悲しみをかかえながらどう生きていくか、それは息子のたましいを紡いでみて、息子の人生に納得できてはじめて、再出発できるのです。亡くなってから二年の歳月をかけて、ようやく自分の中に息子のたましいの色や形が少しはよみがえってきたような気がします。
 ‐たましいを物語として紡ぐとは。
柳田 大江健三郎さんの中短編連作集『僕が本当に若かった頃』(講談社)のなかに、簡単にいうと次のように解釈できる「火をめぐらす鳥」という短編があります。たましいは目で見ることはできない。たましいは楽器のようなもので、それ自体はふだんは音を出さす胸の奥で眠ったような状態にあるけれど、外から訪れたものによって刺激を受けると、美しい音が出て。このたましいは美しい色だなとか悲しい色だと周りの人々も記憶するし、奏でたたましい自身も記憶する。音を奏でたとき、秘められた生い立ち、人生が凝縮されてくるというのです。洋二郎の文集や本、ビデオをたどりながら書いたのは、外から洋二郎のたましいに語りかけてはじめて、洋二郎のたましいが音を奏でてくれるに違いないという思いからでした。それは、私にとって洋二郎のたましいを求め、もう一度手に具体的につかみたいという心の旅だったと思います。
 ‐実際には洋二郎さんは骨髄ではなく腎臓を提供されました。
柳田 本を書いてたましいは胸の中にすっと入ってきましたが、同時にもっと俗っぽい意味でも洋二郎がまだ生きているんだなという、じわっと温かい気持ちがします。また、日本医科大学多摩永山病院の救命救急センターで洋二郎の担当をして下さった冨岡讓二医師が、救命センターでも死の看取りは大切だと気づかれて、QOL(クオリティ・オブ・ライフ、生命・生活の質)に対してQOD(クオリティ・オブ・デス)という新しいキーワードで、死にゆく人の「死の質」、つまり「よりよい死」を確保することの重要性に気づいて学会で発表されました。そして、たとえば、救命がもはや無理とわかったら、ベッドサイドを家族に解放するとか、、よりよい看取りの演出をするといった具体的な提言をしました。洋二郎がこの世に生きていたという証しをつかもうとする家族の努力は医師にも伝わり、よりよい医療につながっていくんですね。
毎日新聞 1995年9月14日)pp71-71

 講演 体験と物語

質問1 柳田先生の『犠牲』は拝読させていただいて、凄い本だと存じ上げます。今日のお話も、ご子息の脳死のことも含めて、生と死のぎりぎりのところをいろいろお話になって、第二人称の死のこともよくわかりましたけれど、私が知りたいのは、それでは人間は死んだらどうなるのか、要するに死後の世界というか、霊界と申しますか、魂の問題といいますか、それを先生はどういうふうにお考えになっていらっしゃるのかということなんです。先生、これはなかなか凄い難しい問題で、よくある答えは、人は「死んじゃったら何にもないんだからないよ」と片付けるたぐいで、ある検事総長は、『人間は死んだらごみになる』という本を堂々と出したりしています。もう一つの回答というのは、「とにかく死んで帰ってきた人がいないんだからわからないよ」というものです。で、そういうことだったらわれわれはみな知っているわけなんですけれど、そうじゃなくて、要するに死後の世界、もうちょっといえば、失礼なんですけれども、いまご令息はどういうふうになさっていらっしゃるかというようなことを含めて、おさしつかえなかったら、お教えいただければありがたいと思います。
柳田 死後の世界を考えるときに、多くの人は、あの世に行って極楽か天国で生きるか、あるいは輪廻の考え方で何かに生まれ変わるか、その確信をえようとするんですけれども、私はそういう形では考えないんです。死んだあとのことはわからないって思っているんです。わからないというのは、私たちの発想というのは、いま持っている知識と論理、あるいは科学的な推論、そういう範囲でしか考えていないんですけれど、そういう世界だけではわからない世界がたぶんあるんだろうなということは思っているんですね。死後の世界というのはおそらく私たちが持っている知識だけではわからない世界なんだろうと。ですから臨死体験であの世に行ってきたとか、すでに死んでいる人に出逢ったという人の話を、私は必ずしも否定しません。
 宗教は一つ答えを出してくれるわけですけれど、私はクリスチャンでも、仏教徒でもないんです。さりとて、無宗教でもない。仏教の「色即是空」の考えに共鳴しています。原始神道的な考えにも共鳴するものがあります。何か凄く怖い大きな存在がどこかにあるという感じは持っているんです。ですがそれは、必ずしも信仰とか宗教とかじゃないかもしれない。
 私自身は人の魂がどこへ行くんだろうかということについては、わかる範囲内で考えることですが、人の心の中に生き続けると考えているんです。人のいのちには、生物学的な命と精神的ないのちがあり、その精神的ないのちというのはもちろん、霊的なもの、社会的なものすべて含めていっているのですが、精神的ないのちというのは、その人固有の生物学的な命が絶えても生きつづけるし、どこに生きつづけるかというと、その人と関係性を持った人の中に生き続ける。息子は私自身の中に生きていますし、私の家族の中にも生きてるし、たまたま私が本を書いたことによって、身近な人たちもいろんな意味で理解して、そういう人たちの中でも生きつづけているし、また、全くそれまで関係がなかった多くの読者も、何か少しずつ共有してくれているという意味で、その中に生きつづけています。死後の世界が何かという答えにはならないかもしれませんが、死んだあとはどうなるかというと、死んだあとは人々の心の中に生きるということだけはどうもありそうだと私は思っているんです。それゆえに私は息子のために建てた墓碑に自筆の「いのち 永遠にして」の文字を刻みましたし、『犠牲』の巻頭にも、その言葉を掲げました。そのことが私が作家活動をしているうえでは、とても重要な意味を持っていまして、何かを書いて人に伝えるということ、それは自分の精神的ないのちあるいはたましいというものをどんどん柔軟で大きく膨らませて身近な人たちや多くの読者の心の中で生きつづけていこうとする作業なのだと思っております。
 もう一つ考えているのは、過去というものは現在の中にしかないのと同じように、未来というものも現在の中にしかないということです。いい換えるなら、自分の死後の世界は現在の自分の心の中にあるということです。自分の死後の世界をどのように想い描くか、どのようによりよく想い描くか。そのこと自体が自分の未来そのものなのかもしれないと思うのです。それゆえに信仰の意味もあり、また死を前にした人がよりよく一日一日を送ろうとする意味もあるのではないかと思います。
(1996年6月9日、東京四谷上智大学、日本ユングクラブ総会)pp156-159

  書いたこと書けないこと

 柳田 魂というと日本人は少しやばいなという感覚をこの昭和史の中で持ったんですね。大和魂とか撃ちてし已まんとかで世界制覇できるとか負けないとか。魂という言葉をそういう形で使いすぎたために、戦後はその反動で、精神とか魂は横にのけて、西洋合理主義でいこうと科学技術を取り入れ、今度は科学が跋扈して科学主義にまでなった。半世紀が過ぎてハッと気がついたら大事な心とか精神性というものを排除してしまっていたんですね。
 それは医学の場面で典型的に現れています。病気の原因と治療対策を考えるときに科学とか技術でわかる範囲でした議論されなくなったんです。人間の心とか精神性は科学で分析できないから医学では扱いかねると土俵の外に出してしまった。
 だけど人間の生命というのは生物学的な命だけではなくて精神性を持った「いのち」という部分をも含んでいるんです。その精神性の核にあるのが大和魂のような意味ではなく人間が個性として持っている「魂」ではないかと僕は思うんです。これは臨床心理学者の河合隼雄先生の考え方に全面的に影響を受けています。
 ‐それは信仰のほうにいかないものですか。
柳田 必ずしも信仰に関係ないです。人によっては信仰につながっているかもしれないし、信仰そのものかもしれないけど。pp278-279

 ‐死後の世界は信じますか?
柳田 通俗的な死後の世界は信じていないです。僕は宗教は持っていないから。でも、精神的ないのち、あるいはたましいは人の心の中で、あるいは木や石や風のなかで、生きつづけると信じてます。その意味でいのちは永遠だと思います。
 ‐でも『犠牲』を読むと、柳田さんは宗教へ行っちゃうんじゃないかなと僕は内心心配していたんです(笑)
柳田 読者の中には僕がクリスチャンじゃないかと誤解している人もいるみたいですけど、違うんです。先ほども言いましたように、僕は人格者ではありません。仏教には親近感を覚えます。とくに「修証義」(ママ)にある「色即是空。空即是色」の言葉には共鳴しています。自分だけの宗教は持っているかもしれません。生意気ですね。でも世間的な意味では、宗教には行かないと思います。pp291-293