「声もよし節もよしとて高ぶるな」
「声もよし節もよしとて高ぶるなまごころなきは下手とこそ知れ」。
梅花流を学ぶ人であれば一度はこの歌を耳にし、あるいは目にしたことがあるだろう。詠唱の技巧や恵まれた声音の資質に奢ることなく、至心かつ謙虚に信仰のお唱えとして勤めよ、という梅花流詠唱者へのいましめとしてよく知られた和歌である。
昭和41年4月に刊行された『梅花流師範必携』「Ⅱ 詠唱法」の中で、
一 詠唱の精神
詠讃歌は仏教音楽の一つであることはいうまでもなく、従って一般の流行歌や俗謡とは第一にその心得から全然別で法悦・報恩・感謝とそれぞれこの心持ちが中心で、心清浄、身端正に唱えねばなりません。音声の美を競い節廻しの巧拙を争うようなことはまさしく邪道ともいうべきで、
声もよし 節もよしとて 高ぶるな 誠心なきは 下手とこそ知れ
で、梅花流の詠讃歌を唱えたいが私は声が悪いので‐という方があるとすればこれまた大変な心得違いであります。唱えることによって法悦にひたり、仏徳を讃歎するものゆえ、無心にみ仏への帰一を念じつつ詠唱しこの真髄を失念してはなりません。
とあり、その後旧版『梅花流指導必携』にこの和歌は引き継がれている。梅花流のなかでは初めの頃より広く知られていたのだろう。
誰がこの和歌を詠んだのだろうか。
『梅花流師範必携』、旧版『梅花流指導必携』にはその作者の名前は見えない。おそらく梅花流初期関係者のどなたかと思っていたのだが、このほどその作者がわかった。それは真言宗高野山派金剛流流祖・曽我部俊雄師であった。
知られるように梅花流は真言宗智山派密厳流をもとに始まる。密厳流は昭和6年の発足、金剛流はそれに先行すること5年早く大正15年に創立されている。ともに真言宗系であり、基本節と呼ばれる大和流以来の基礎レパートリーも共通するものが多い。梅花流伝承曲の多くもその流れを汲む。
さて密厳流初代詠監・松本尊憲師の文章に次のように見える。
この至心奉詠こそ、私達御詠歌に精進する者にとって、まことに大切なことでありまして、いわばこれが御詠歌の生命であります。
金剛流でも、昭和の初め頃に出版された『御詠歌和讃詳解』という教典に「声もよしふしもよしとて高ぶるな真心なきはへたとこそしれ」という道歌をのせて、いわゆる声自慢式の御詠歌をいましめておりますが、この歌の真心は、つまり至心奉詠と同じ意味なのであります。(『遍照講講報』第二号、1957年)
詠監とは梅花流にその役職は無いが、他流において流派詠唱を代表・統轄する人を言う。つまり密厳流の詠唱姿勢は金剛流『御詠歌和讃詳解』なる教典にある本歌の精神にならうという表明だろう。『御詠歌和讃詳解』の著者が曽我部師である。
画像に載せた『高野山大師教会金剛講御詠歌和讃詳解』昭和4年発行(2年後の昭和6年に第9版を重ねていることから同書の盛行ぶりがうかがえる)がそれである。じつはこの本、かねて探していたのだが、なかなかの稀覯書らしく心当たりの図書館・資料室には求めることかなわなかった。昨年、友人・三重県の梅花師範S師より高野山大師教会の資料室に尋ねていただいてその複写資料を手にすることができた。その書中、「金剛流詠歌奉詠者心得(一)」と題して、曽我部師が十種の道歌を挙げている。
一ツ ひとあてにとなふるうたはみほとけに ささぐるうたとにてもにつかず
二ツ ふにつくなふにはなるるなそれをしも ゑいかのみちのたつしやとぞいふ
三ツ みなひととひとつのこゑにとなふるを どうぎやうとこそまうすべけれ
四ツ よきふしをならはぬうちにくせつけば なほりにくきがならひなりけり
五ツ イロツヤのなきにはつけてイロツヤの あるにつけぬをがりふとぞいふ
六ツ むつかしといふてならはぬひとたちは ならはぬきやうをよみたがるひと
七ツ なむだいしおろがむこころそのままを うたふゑいかはしんのごゑいか
八ツ やすむまもはたらくときもゑいしやうの こころにみつるのりのよろこび
九ツ こゑもよしふしもよしとてたかぶるな まごころなきはへたとこそしれ
十ヲ となへかつおこなふひとをこのみちの しんのぎやうじやとあほぐべきなり
見ての通り、このうち九番目の道歌がくだんのものとなる。他の九つはそれぞれに伝えられたのだろうが、「こゑもよし」一首が密厳流詠監の筆に留められ、梅花流に伝えられたと云うことだろう。
以前、詠唱法具の意味づけについて触れたことがあった。
http://ryusen301.hatenablog.com/entry/2017/02/08/062334
http://ryusen301.hatenablog.com/entry/2017/02/14/150214
http://ryusen301.hatenablog.com/entry/2017/02/14/214015
http://ryusen301.hatenablog.com/entry/2017/02/16/185820
その詳しい意義内容までは梅花流は取り入れなかったが、法具の名称「鈎杖(しゅもく)」「杖索(ひも)」などは初期梅花流が真言宗ご詠歌の先例にならって受けいれたものである。
また詠唱の姿勢として真言密教の代表的教義「身口意三密」も初期梅花流で強調されてきたところである。
これらに加えて「こゑもよし」一首が、金剛流以来の真言宗ご詠歌の伝統であると明らかになった。