BON's diary

「何考えてんだ、お前はっ!」 「い、いろんなこと」

【真読】 №146「神託、仏語多し」 巻六〈雑記部之余〉(『和漢真俗仏事編』web読書会)

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テキスト http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/818707 コマ番号61

 『神国決疑編』に曰く、伊勢の神官には仏法を避けるとす。しかれども実に避け斥(きら)うに非ず。ただ祭祀の場に臨んで屏息(へいそく・いきをおさむ)するのみ。神宮の秘記の中、内典を以て神道を解するもの多し。神、もし仏法を斥(きら)いたまはば秘記託宣の中、なんぞ一字も仏語を用いんや。今、略してその証を出す。
 ○『倭姫命世記』に曰く、「諸の法は影と像の如し、清く浄きこと仮にも穢れること無し。取説するも得るべからず。みな因(たね)従り業(このみ)を生ず」(礼懴の後夜の偈、『略出経』に出づ)。
 ○また曰く、「悉地すなわち生ず」(悉地は『大日経』に出づ)。
 ○『阿波良波命記』に曰く、「伊弉諾尊、筑紫日向の小戸橘の檍木原(あわきがはら)に到って、祓除の時、左の眼を洗い因って以て日天子を生じ、復た右の眼を洗い以て月天子を生ず」(日天子、月天子は内教の説なり)。
 ○『大田命訓伝』に曰く、「天照皇太神は大日孁貴の故に日天子と號(なづ)けしむ。虚空を以て正体となす。故に天照皇太神と曰う。また止由気(とゆけ)皇太神はすなわち月天子なり。故に金剛神と曰(もう)す。また天御中主(あめのみなかぬし)神と名づく。水徳を以て万物を利す。故に名づけて御饌都(みけつ)神と曰す。惟(これ)は諸神の福田なり」(この文の中、多くは内典の語)。
 已上は略して之に出す。曲(つぶさ)に見んと思はば『決定(ママ)編』を披(ひら)け。