BON's diary

「何考えてんだ、お前はっ!」 「い、いろんなこと」

よこみち【世読】No3. 「むずい」

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 この度の本編は「むずかしい」の語源に関わるものだったが、一読された方の中には「おや?」と思われた方も少なくないだろう。私もその一人である。
 亀のことを蔵六と呼ぶのは一般に知られていて、蔵六池などという名称もあちこちに見かける。もとは仏典由来の言葉で、六とは、六根(眼耳鼻舌身意)六境(色声香味触法)のこと。あらゆる欲望の覚知器官とその対象をいう。これを「蔵する」わけで、つまりはさまざまな「求め」の欲動を制御することを「蔵六」というのだろう。
 本編が典拠として挙げている『雑阿含経』の例でも、仏道修行者に対して「佛、諸の比丘に告げ玉わく、汝、当に亀の六つを蔵すが如くすべし。自ら六根を蔵せば、魔、便りを得ず」と言っているのはまさにこの意だろう。
 とここまではいい。だが問題はそれに続いて「亀が野獣に責められ、それを恐れて尻尾や頭を隠すのはさも〈ものうい〉ことである。だから世人はこのことから〈ものうい〉ことを〈六蔵〉と言うようになったのだ」と展開する『世説故事苑』の主旨である。ほんとかこれ? ものういという言葉が当時(『世説故事苑』撰述の江戸時代)そんなニュアンスを含んでいたかどうかも定かではないけど、ここでの問題は「むずかし」=「六蔵」(蔵六)説の信憑性である。

 手っ取り早いところで『日本国語大辞典』の「むずかし・い」の項をめくってみる。
 あ、その前に念のためだが私の手元で調べられる仏教語辞書類に「蔵六」はもちろん立項されているが、これを「むずかしい」の意味で解説しているものは見えなかった。
 で『日本国語大辞典』。充てられている漢字は「難」と「六借」。六借については本編で「俗に六借の字を用ゆ、然れどもこの字義、古来審らかならざることなり」と指摘があった。してその意味には次の十種が挙げられている。
 1 機嫌が悪い。
 2 気に入らず不愉快であるさま。
 3 正体の知れないもの、なじみのないものに対して、気味が悪い。不安で恐ろしい。
 4 風情がなくてむさくるしいさま。
 5 ごたごたとしてわずらわしいさま。うるさい。面倒だ。
 6 回復しにくいほど病気が重いさま。
 7 理屈や論理が複雑で理解しにくいさま。
 8 困難でおぼつかないさま。
 9 意地が悪いなど、性格が素直でなくてとりつきにくいさま。
 10 犬がよく吠えることをいう、盗人仲間の隠語。
 さきほどの〈ものうい〉のニュアンスは3、5あたりに通じるのだろう。
 続いて辞典は[補注]としていわく、
 近世末以降、「むつかしい」とともに「むずかしい」が併存するようになり、現代では逆に「むずかしい」が優勢である。
 とある。ふむ、ということは『世説故事苑』を当面のテキストとしている以上、ターゲットは「むずかしい」ではなく「むつかしい」に絞ってよさそうだ。
 で、『日本国語大辞典』はさらに[語源説]として次の四説を挙げている。各説の末に引いているのは各々の典拠資料だ。
 1 ムツカル(憤)の転か(瓦礫雑考・和訓栞・大言海・上方語源辞典=前田勇・日本語の年輪=大野晋
 2 ムスカナセリ(咽)の約ムスカシの転(名語記)
 3 ムクツケシの転(名言通)
 4 モツレカシ(縺)の義(言元梯)。物と物とが纏いついて分明しがたい意から(日本語源=賀茂百樹)
 以上が同辞典の説明。語源説に四説並記のままということはいずれとも決着しがたいのが「むつかし」語源をめぐる現状ということなのだろう。とすれば『世説故事苑』の「六蔵=ムツカクシの転」説は第五の説ということになる。ということになるのだが、江戸期撰述のこの説明が現代を代表する日本語辞典にもフォローされず独自性を保ってきたということは、それだけ独特であったとも言えるし、それだけマイナーな存在だったという証にもあるだろう。

 やや気になったので『時代別国語大辞典・室町時代編』の「むつか・し」を開いてみた。表記の例では「六借・ムツカシ」「六箇敷・ムツカシク」が挙がっている。前述来のことをかんがみれば、この頃(室町時代)「難」はまだ充てられていず、『世説故事苑』の指摘にあった「六借」はすでに近世以前に一般化していたと見てよさそうに思う。
 してその意味に同辞典は以下の四種を挙げる。
 1 煩わしく不愉快で、それに関わりたくないと思う気持である。
 2 対象が一筋縄ではゆかなくて、心を許せないと思うさまである。
 3 めんどうな問題が多く、取り扱いや対処が容易でないと思われるさまである。
 4 内容が入り組んでいるなどして、理解・処置に窮するさまである。
 以上のように、『日本国語大辞典』がカバーしていた領域内の語義と言える。
 
 話を元に戻して『世説故事苑』の「むずかし」=「六蔵=ムツカクシの転」説の妥当性を考えてみよう。とは言ってもここまででわかったのは「六蔵」説は、その用例もふくめてほかに類のないものであることで、「むずかし=六蔵」説を支援する素材は『日本国語大辞典』や『時代別国語大辞典・室町時代編』が挙げているけっこうな数の典拠の中には見出すことができない。とすればやや失礼ながら次の臆断に至る。
 つまり「むずかし=六蔵」説は『世説故事苑』編者・子登の仏教語・蔵六に引かれた勇み足だったのではないか、ということである。もっともそう言ってしまうのも私の無責任な「勇み足」かもしれない。どうか読者のみなさん、「むずかし=六蔵」説について賢明なご意見をお寄せください。

 この文章をまとめていて気になった言葉がひとつ。最近耳にする「むずい」という言葉。近頃の若者言葉、また俗語として「むずかしい」の転だという。自分で使うことはないが、この言葉、初めて聞いた時、元々「むずかしい」だろうと察知はできたものの、「むずかゆい」「もどかしい」という語感も感じられて少しおもしろく感じた。
 なるほど、ことほどさように言葉って「転」じてゆくのですね。