BON's diary

「何考えてんだ、お前はっ!」 「い、いろんなこと」

よこみち【世読】No.4「偽りの中の真実」

 本編の語源について手近な辞書類からコメントするという前回のやり口はお手軽なんだけれども毎回ワンパターンに流れそうでどうも居心地が悪い。で今回はもうちょっとナナメからと思ったのだがちょっとおもしろいことに気がついたので、とりあえず導入は前回と同じ所から始めよう。
 『日本国語大辞典』「めでた・い」。動詞「めでる(愛)」の連用形「めで」に「いたし」の付いた「めでいたし」の変化したもの。ほめたたえることが甚だしい、すなわち、対象にたいへん心がひかれ、好み愛する気持ちになっていることを表す。
 とある。でその語源説に挙げているのは以下の六種。
 1)メデイタシ(愛甚)の義  国語本義・国語の語源とその分類=大島正健・大言海・日本語源=賀茂百樹・ニッポン語の散歩=石黒修
 2)メデイタシ(愛痛・感痛)の義 俚諺集覧・俗語考・菊池俗言考
 3)メデ(芽出)タシの義 志不可起・和訓栞
 4)目ダツラシの義 名語記
 5)天の岩戸の伝説から、目出タシの義  運歩色葉・感興漫筆
 6)天の岩戸の伝説から、メデ(女出)の義  和語私臆鈔
 というわけで、この第5番目の説が『世説故事苑』の所説にヒットする。天岩戸に閉じこもったアマテラスが岩戸の外のにぎやかさをうかがおうと目を出したところから「目出たし」というのだ、と。
 天岩戸神話のことは以前にも触れたが、
http://ryusen301.hatenablog.com/entry/2015/10/17/072955
 この故事に淵源を求めるものは一つだけではないのだなあ。
 しかしこれをもってメデタシの語源とするには少々無理があるんでないかい。しかも『世説故事苑』の典拠としているのは『旧事本紀』すなわち『先代旧事本紀大成経』だし。ご存じの方も少なくないと思うが『先代旧事本紀大成経』とは聖徳太子撰述をうたう神代の記録という触れ込みだけど、すでに江戸時代にはその触れ込みが真っ赤なウソであるとのかどで発禁、くわえて版木破却、さらには撰述に関わったものが処刑されるなど大いなるいわく付きの偽書である。しかしどういうわけかその影響力は大きく、発禁処分を受けた後もうさんくさい所説があちこちで転用されている奇妙な書物である。
http://ryusen301.hatenablog.com/entry/2015/12/27/102425
 だから『世説故事苑』が『先代旧事本紀大成経』を典拠としてなにかしらの故事来歴を述べようとする箇所は大いに眉唾物になる・・はずだった。だからアマテラスの「目出し」にメデタシの語源を求めようとする今回の説はうさんくささ満載のものだったのだが、はたして『日本国語大辞典』はこの説の典拠として『運歩色葉』と『感興漫筆』を挙げている。『感興漫筆』は幕末から明治期に活躍する細野要斎のものだから先ずはよしとして、『運歩色葉』こと『運歩色葉集』は1548年の序をもつ室町時代編纂のもの。つまり江戸時代の偽作とされる『先代旧事本紀大成経』よりもぐっと古い。たまたま『世説故事苑』の選者・子登は『大成経』に依ったが、天岩戸目出し説は近世以前の由緒を持つものだったと云うことになる。
 幸い『時代別国語辞典・室町時代篇』「めでた・し」項に『運歩色葉集』の該当箇所を出典として載せている。
「目出(めでたし) 天照大神岩戸引籠給七日七夜成暗、諸神為神楽太神面白思召開岩戸御目出、諸神喜曰目出、到今祝事曰目出也」
 なるほど、もちろんこれでこの説がほんとの語源とは行かないが、それなりに理由のあるものだったと云うことにはなる。『先代旧事本紀大成経』といえども100%でたらめのものではないということだ。このあたりに『大成経』が支持を得てきた理由の一つがあるんだろうな。めでたしめでたし。