BON's diary

「何考えてんだ、お前はっ!」 「い、いろんなこと」

郷土考

二年目の「葛黒火まつりかまくら」

昨年の再開が15年ぶり。数々の心配もどうにかやりくりし無事の復活が成った。 思いもよらぬ晴天に恵まれた昨年。今年はどうかと心配する声をよそに、まつり当日の朝は雲の切れ間に青空がのぞいていた。幸先はよい。 葛黒集落、現在は二十数戸。 竜ヶ森を水源…

佐藤鐵章『季節風の彼方に』

後味の悪い読後感。 著者・佐藤鉄章は大館市十二所出身。本名は有次郎。昭和12年から17年までR小学校で教師を勤め、昭和20年代から30年代にかけて鷹巣農林、大館鳳鳴、大館桂各高校の教諭を歴任、その後上京し作家として活躍したという。 本書は始め自費出…

大賀亮谿師範 その1

梅花流師範先達のお一人に大賀亮谿師範(静岡県・見性寺五世)がいる。 『必携』の年表などにその名前は見え、丹羽佛庵老師を筆頭に曹洞宗詠讃歌活動胎動期の一翼を担った人として伝えられている。 しかしその人と業績についてはほとんど知られていない。 た…

葛黒火まつりかまくら考 その6 「まつりの力」

まつり当日のにぎわいをしばらく置いてまつり前後のことに考えを向けてみる。 これはおそらく「葛黒」に限らず、どこのどんなお祭りにも共通することだと思うが・・。 「葛黒火まつりかまくら」が途絶えてから、再開の時まで15年。この間ずっと再開を願い、…

葛黒火まつりかまくら その5 「歳神と祖霊」

かまくら行事はご神木の伐採から飾り付け、起ち上げて夜の点火、最後に小さく切り分けて参加者へ分与する、というご神木を中心に次第しているようだが、大事なファクターはまだある。 ご神木のそばに大きなかまくらをひとつ作り、さらに数十の小さなかまくら…

「過疎」という表現

住まいは北秋田の一隅。 かつては七日市村、のち周辺町村と合併し町の名前となり、10年ほど前に近隣四町と統合して市となったが、村当時の連帯意識は今に継承されている(ネガティブな意味で言っているのではない)。ほぼ当時の七日市村に該当する北秋田市…

葛黒火まつりかまくら その4 「ごんごろう考」

火まつりかまくらに関することで、よくわからないことの一つが「ごんごろう」である。 夜、点火したご神木を囲み、子ども達を中心に集まった人々が大きな声で、「おー、かまくらのごんごろー!」と叫ぶ。火が消えるまで何度もこれが繰り返される。一体これは…

葛黒火まつりかまくら その3

大勢の人力だけで大木を立てる祭りとして知られるのは、長野県諏訪大社の「御柱祭」。 実見したことはまだないが、切り出しから、山の斜面を滑り落としてくる木落、など一連の行事の最後を飾るのが「建御柱」。死傷者の出るもいとわず、毎年の開催を重ねる奇…

葛黒火まつりかまくら その2

今年の2月。10数年ぶりの火まつりかまくらが復活した。 思い入れのあることなので、いくたびかこれに触れたい。 「復活」という表現はこの小正月行事を伝えてきた葛黒(くぞぐろ 新聞などでは〈くぞくろ〉と表記されるが)集落の人たちはあまり好まない。 そ…

葛黒火まつりかまくら その1

私の住まいから川の上流方向へ約八キロ。 現在は30戸に満たない葛黒という集落がある。 ここに江戸時代から伝えられるという小正月行事「火まつりかまくら」がある。 かつて長男が小学生低学年の頃、初めて目の当たりにした時 小さな山里に伝えられた火ま…