2017-11-01から1ヶ月間の記事一覧
小学校の頃、なにか不始末をやらかして「罰として一週間の便所掃除!」などと先生に叱られる・・そんな場面が記憶にある。 「罰」として成り立つということは、一般にはイヤな、耐えがたいことだからだと思うが、そんなイヤなことをさせられるのが「便所掃除…
(2)「たましい」を探し求めて‐毎日新聞に答えて ‐本をまとめた原動力は柳田 河合隼雄さんが「人間は物語らないとわからないところがある」といっています。私も息子も人間存在の暗闇を見てしまったような気がします。息子を亡くした私がもう一度再生して…
テキスト http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/818707 コマ番号58 『虚空蔵経』に曰く、もし懺罪の人あらんに、厠を治すること八百日すれば、よく罪咎を滅す(要覧)。雪竇(せっちょう)禅師、霊隠寺の厠を掃除する役お司りしもこれに依ってなり。義堂…
ときどきその解説に違和感を感じる所のある『真俗仏事篇』だが、今回のテーマがそうだった。 いわく、「寄付とはあづける義にして、与ふる義にはあらず」。 これまで寄付とは布施とほぼ同意で、したがって「喜捨」ということだと思っていた。たとえば寺院に…
テキスト http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/818707 コマ番号57 今、什器など寺院に納むるを寄付と云う。按ずるに寄付の文字、『優婆塞戒経』に出たり。しかるに経の寄付の字義はあづける義にして、与ふる義にあらず。然れば今、寄付と云うは器財を寺…
楢崎一光「第八 二十六世高田道見大和尚」『瑞応寺の今昔』仏国山瑞應寺 (第二十六世竹内方丈の)後任として迎えられたのが、高田道見方丈で、明治38年5月21日の晋山開堂でありました。高田方丈は当時四十八歳。すでに東京において大変な教化活動をしておら…
私がこの御和讃を作詞しましたのは、先年山形県の余目に梅花流県奉詠大会があったとき、水島師範と共に審査員としてご招待を受け、藤島町法眼寺(百瀬師範の御自坊)に拝宿したときのことであります。 百瀬夫人と御同行の石黒夫人とが交々ご接待に出られて、…
『跳龍』昭和51年4月号「心の花は咲きそろう」「三宝御和讃解説(上)」赤松月船 (前略)この三宝御和讃は、高田道見老師のお作をもととして、専門委員会の方々が手をつくして、補正の上、こういう形に完成したものであります。 今から六十年前、三宝唱歌と…
2017年11月25日 この日、管理人を失ったあるSNSアカウントが二つ。 1~3ヶ月に一度くらいは顔を合わせて食事していた。 自分よりも5歳下の女性。 舌を巻くほどに聡明でものおじせずに自分の意見をつらぬく人。 どういうわけか慕ってくれて、いつも向こうか…
恩愛に関する話題はきっと私の中でも関心の度合いが高いのだろう。「流転三界中 恩愛不能断 棄恩入無為 真実報恩者」 この言葉に関するテーマは、これまでにも両親への孝養や、本朝高僧傳史上最も孝をつくしたと伝えられる元政のことなどたびたび取り上げて…
テキスト http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/818707 コマ番号57 僧に貧銭の父母あって寺に養はるるあり。三宝物を費やすゆえに、たとい親なりとも罪を結せんかと疑う者あり。 僧はなお孝養を知るべし。なんぞ疑はん。今『行持鈔』の説を出す、これを読…
日常的な仏事の疑問回答集というスタイルの『真俗仏事篇』において、今回のような話題はやや異質だった。吠える犬を制する・・。 こんなおよそ「仏事」とは遠い話題もしばしば出てくるところがこの本のおもしろいところなのだが、こんなところにオモシロサを…