BON's diary

「何考えてんだ、お前はっ!」 「い、いろんなこと」

2014-01-01から1ヶ月間の記事一覧

七左衛門の除蝗録 その9

『羽州秋田蝗除法』について(二) 二、本書の著者 すでに「七左衛門の~」と呼んでいる以上、本書の著者が長崎七左衛門であることは自明のようですが、じつは本書には著者名が記されていません。それなのになぜ著者が七左衛門であると特定できるのかその理…

七左衛門の除蝗録 その8

ここでは便宜的に七左衛門の「除蝗録」という書名を掲げてきましたが、七左衛門の著した正式な書名は『羽州秋田蝗除法』と言います。先ずはこの書の輪郭について述べていきます。 『羽州秋田蝗除法』について(一) 一、本書の所在 本書はもともと、七左衞門…

七左衛門の除蝗録 その7

以上の方法は「鯨油」の調達に比較的容易だった九州地方で流行していたものでした。(その1)で触れたように、この『除蝗録』は七左衛門の死後に出版されたものです。七左衛門在世当時、まだ東北にはこうした「注油駆除法」は広まっていませんでした。じつ…

七左衛門の除蝗録 その6

注油駆除の具体的方法(三)先の図に続いてこれも実際の稲虫の退治のようすです。右から順に、しなへ竹、ははきをもて稲葉に付きたるむしをはらふ図、油を入れわらははきにて水をまぜる図、水に油をさしている図、稲葉にのぼりたる虫をはきとる図、あぜにて…

七左衛門の除蝗録 その5

注油駆除の具体的方法(二)水を入れた田に油膜を作る方法は図のように他にもあります。竹の筒に油を入れて水中に注ぎ入れる。水中に油を入れ、その水を稲葉に椀をもてくりかける。稲葉にのぼる蝗を竹のむちにてたたき落とす。しじみ貝のさじにて油を入れ、…

七左衛門の除蝗録 その4

注油駆除の具体的方法(一)水口より油を入れ、また水をくみいれて、田一面に油を行き渡らしむる図。さてすでに水を干して立ち上がった稲に虫がついた場合、もういちど田に水と油を入れて、水口を塞ぎます。これは、田一面に油膜を作るためです。

水鳥の道 その3

以上を踏まえれば、少なくとも中世歌語としての「水鳥のあと」は、水面上の航跡と考えるのが一般的であるように思えます。ただこれは短い時間で手元の資料を拾い読みしただけのことですから、空路とする例もあるかもしれない、と付け加えておきます(個人的…

水鳥の道 その2

この度の小野さんの投稿、非常に勉強させられるところありました。SNSがこんなやりとりで深まってゆくと、ありがたいなと考えていたので、うれしく思います。 不勉強ながら、若干の卑見を申し上げて、あらためてご意見いただければ、自分にとって一層益す…

水鳥の道 その1

すでにFB上でやりとりしていた内容だが、その問題のおもしろさと私からの答えが中途で終わったままになっていることから、それを全うすることを果たすためにも、とここに取り上げる。 きっかけは梅花流師範・小野卓也氏のブログにアップした以下の記事だった…

七左衛門の除蝗録 その3

稲虫退治のために鯨油をどのように使うのか。 それには図のような道具を用いて使います。油水を入れる桶や、油を振り入れるためのシジミ貝を柄の先に付けたさじ、油水を入れる壷や竹筒、ほかに棒や箒、笹竹などがあります。 油を使って稲虫を退治する方法は…

七左衛門の除蝗録 その2

大きな音で追い払い、松明の灯火に集めるとは言っても相手は虫。その実効性はかなり不確かなとこがあります。でもそれにさえすがらなければならなかったのが、それまでの稲虫対策でした。 そこで注目されたのがクジラでした。図は、『除蝗録』に掲載されたク…

七左衛門の除蝗録 その1

江戸時代、北秋田の肝煎・長崎七左衛門が著した稲虫退治の方法は、いろんな意味で画期的な意義がありました。その周辺の事情をしばらく綴っていきます。まずは稻虫退治方法のバイブルといわれる『除蝗録』という本があります。これは七左衛門没後、6年を経た…

長崎七左衛門

長崎七左衛門(1731年-1820年) 秋田県北秋田市七日市(旧七日市村)長岐家7代目の当主。久保田藩坊沢村の長崎清左衛門の四男として生まれる。その後、七日市村の長岐家に婿入りし、25歳で長岐家の7代目当主となった。ただ、七左衛門は婿入りしているのに、名…

葛黒火まつりかまくら その1

私の住まいから川の上流方向へ約八キロ。 現在は30戸に満たない葛黒という集落がある。 ここに江戸時代から伝えられるという小正月行事「火まつりかまくら」がある。 かつて長男が小学生低学年の頃、初めて目の当たりにした時 小さな山里に伝えられた火ま…

梅花流以前の梅花 その5

【2】 次いで、昭和21年5月発行の『大乗禅』昭和20年8月-昭和21年4月合併号(通巻249)を採り上げよう。 ここに、戦時中とは異なる大きな変化を認めることが出来る。 それはタイトルにうかがわれるように、 1)「民主主義」「自由」という、民主化・自由…

犀の角の如く・・(続々)

この話題、もう一度触れることになるとは思っていなかったんだけど。 FBに先の文書アップしたところ、いくつかの反応。その中で、FBFのS師よりこんな質問。 「疑問です。水に汚されぬ蓮・・!?昔の水はそうとう汚かったのでしょうか? それとも、泥にはけし…

梅花流以前の梅花 その4

以下、その3に掲載した〈『大乗禅』目次一覧表〉をもとに論を進めてゆく。 ※なお〈一覧表〉に付言するが、「年月」項は上二桁が昭和の年代を示し、下二桁が月次を示す。(例:2209 → 昭和22年9月) 【1】 先ずは昭和19年から終戦の時点までを見てみよう。 …

梅花流以前の梅花 その3

雑誌『大乗禅』は大正13年(1924)10月に創刊された月刊誌 「禅三派の参禅機関」を表紙に掲げていたこともあり 日本における、黄檗・臨済・曹洞の禅宗三派のことを扱うと標榜したもの 出版元は中央仏教社 ここはやや異色の出版社と言ってよいと思う というの…

犀の角の如く・・(続)

http://nozawa22.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2010/04/21/1469.jpg そう言えば昔、伊藤博文の書と伝えられる横一行書の額がうちにあって それに「清風獨行」と書いてあった。 母親の実家がある鉱山の中で何かしらの役を担っていたらしく (この…

犀の角の如く・・

今までこの言葉って、ちょっと勘違いしていた。 独立独歩、抜群なんていう言葉もあらためてそのニュアンス捉え直さないといけないかも。 このコラムはたまたま見ていた昭和23年のある雑誌にあったもの。 汚れない、乱されない、止まらない、へこたれない。…

梅花流以前の梅花 その2

曹洞宗梅花流詠讃歌発足以前の社会状況を、 とくに仏教教団、それも曹洞宗教団を主軸に調査してみたい。 そのためにどんな手があるか。 まず考えられるのは、当時の曹洞宗教団を含む仏教界の動きを鳥瞰的に見るアングル。 具体的には仏教系の新聞、雑誌、機…

梅花流以前の梅花 その1

曹洞宗という仏教教団に「梅花流」と名付けられた詠讃歌の流派がある。 他宗にもいろいろあるけど、曹洞宗にはこの流がひとつだけ。 昭和二十年代、敗戦後の日本社会がようやく立ち直りつつある頃に生まれた。 その経緯について、曹洞宗側からは 「教化部門…

われもまた人のすなる・・

こんな書き出しで始めてみようか でもまてよ、他にも思いつきそうなネタだよな、と思ったら やはりちゃんと先行者がいるのですね。 ということで、ごくありきたりな書き出しで始まったブログです。 これまでFBでいいや、と思ってきたものの 過去のアップを系…