BON's diary

「何考えてんだ、お前はっ!」 「い、いろんなこと」

2014-01-01から1年間の記事一覧

葛黒火まつりかまくら その4 「ごんごろう考」

火まつりかまくらに関することで、よくわからないことの一つが「ごんごろう」である。 夜、点火したご神木を囲み、子ども達を中心に集まった人々が大きな声で、「おー、かまくらのごんごろー!」と叫ぶ。火が消えるまで何度もこれが繰り返される。一体これは…

夢 -蟹-

ふだん夢はあまり見ない。 あるいは見た夢を憶えていない、と言う方が正確だろうか。 だから今朝の夢を憶えているのは珍しいことで、しかもそれをこうして記そうとしているのも珍しい。 裏庭に池があり、庭に面して座敷と縁側がある。 縁側の床が3尺くらいの…

恩愛について 1

この2~3年、気になっていることがある。 そのことを考えるためのいくつかの材料を、折に触れて話題にしてきた。 ここで取り上げるのは初めてかな。 「肉親への情」のことである。特に配偶者や兄弟、子どもという肉親ではなく、両親に対するそれ。このあとし…

食い物の話

今年も残すところ一週間となった。 なにごとにも目的意志を持って当たりたい、などど構えた言い方をすることもないが、要は呑んだり喰ったりの話。ご縁あって、あちらこちらでけっこうなものをいただいた。越前、天草、駿河湾、北海道、最上ほかそれぞれその…

葛黒火まつりかまくら その3

大勢の人力だけで大木を立てる祭りとして知られるのは、長野県諏訪大社の「御柱祭」。 実見したことはまだないが、切り出しから、山の斜面を滑り落としてくる木落、など一連の行事の最後を飾るのが「建御柱」。死傷者の出るもいとわず、毎年の開催を重ねる奇…

葛黒火まつりかまくら その2

今年の2月。10数年ぶりの火まつりかまくらが復活した。 思い入れのあることなので、いくたびかこれに触れたい。 「復活」という表現はこの小正月行事を伝えてきた葛黒(くぞぐろ 新聞などでは〈くぞくろ〉と表記されるが)集落の人たちはあまり好まない。 そ…

丹羽佛鑑師と洞慶院の梅園

先日洞慶院へおじゃました際に、「丹羽佛鑑師」という小冊子をコピーさせていただいた。佛庵師の先師。佛庵師を考える手がかりがあるだろうかと読んでみた。佛庵師への言及はなかったが、この中に洞慶院梅園の由来が記されていた。 その冊子は、『教の友』第…

洞慶院にて

臘八のさなか、静岡・洞慶院を訪れた。 快晴の富士、寒気さえも好ましい朝。 初めてここを訪れたのは30年以上前。二十歳前後のこと。東京別院の学寮で一緒だったスリランカの友人がここの前堂頭・丹羽簾芳師の弟子。彼の法戦式に随喜したのがその時だった。…

尼僧 小島賢道師

「梅花流誕生」の背景を考えている。 先般、新宿区観音庵の東堂・笹川亮宣師にお会いした折、師がこのように言われていたのが気になっていた。「私は当時、尼僧団の書記をしていたのですが、尼僧団の小島賢道さんから“あなた行ってきなさい”と言われて、先輩…

94歳の別れ

今年の8月13日、お世話になった老僧が亡くなった。 越えて霜月の昨日、見送りの儀が終わった。 寡黙、おだやか、器用、丁重、親切、やさしい、などおよそその人を形容する言葉は聞いてきたつもり。 しかしいざ別れの場に臨んで老僧に贈る親しき人たちの言葉…

笹川亮宣師範

東新宿の駅から住宅街の小路を歩く。 塙保己一の眠る墓があるという観音庵。 逢いたかった女性がそこにいる。 笹川亮宣師範。大正13年生まれ。御年91歳。梅花流正伝師範。 昭和26年、野村秀明師、熊倉実参師とともに、曹洞宗尼僧3名が、密厳流詠歌修学のため…

舞曲 修証義の歌

昭和24年4月1日に、「曹洞宗社会部」(曹洞宗宗務庁の前身)より発表されたもの。 原曲は現在の修証義御和讃とは違う。 梅花流発足以前の曹洞宗詠讃歌の一例。

尼僧団団歌

〈FBの過去記事に埋もれそうなのでこっちにあげておこう〉 雑誌『大乗禅』昭和25年3月号の記事です。曹洞宗尼僧団の団歌が完成発表となりました。赤松月船師の作詞です。梅花流発足以前に〈赤松師-歌-尼僧〉の関係を示すものとして気になりました。梅…

大島賢龍師範

今年、11月23日。 現役にして梅花流草創期の大先達大島賢龍先生をお訪ねしてきた。 御年、91歳。奥様と仲むつまじく、かくしゃくとしたふるまい。力強いお声。「梅花流は道元禅師の信仰を弘めるために始まったんだ」という言葉が印象的。いろいろと伺ったが…

梅花の師

この位牌(写真は裏表両面)は、先日おじゃました京都西方寺様所蔵のもの。西方寺様先代の故小川義道老師が護持していたもので、裏面にその旨が記されている。表面にある名前は、初期梅花流の大先達・大賀亮谿正伝師範。今回の静岡行でもしばしばその名を耳…

静岡行

10月20日 静岡駅到着 曇天 家康公に挨拶 21日 初日会場 雨の中を受講者が来てくれる。 第二会場 中庭の拵えがなかなか 二百三十年前の造作を極力変えずに修復を繰り返したとか。みごとな蛇腹天井。 境内の樹木が雪国仕様じゃないね。 藤枝のホテル前。夜明け…

色は匂へど

色は匂へど 湯瀬ホテルの朝 紅葉にはまだ早い 散りぬるを 直壇寮でお世話になった 気骨のある人だったなあ 我が世誰ぞ常ならむ 造り花のけなげさ、ってある 有為の奥山けふ越えて 一茶じゃないけど応援したくなるこの顔つき 浅き夢見じ酔ひもせず とんがって…

水鳥のみち その4

3)道元の立場から 私の考えの結論めいたことをまず記します。それは、「中国禅の伝統において〈鳥道〉とは没蹤跡を表す常套的用語であって、道元禅師の〈水鳥のみち〉という用例もこの意味を踏まえている」ということです。そしてこの場合「〈鳥道〉とは空…

声色の奴卑と馳走す

なにも仏教語辞書で一個づつ調べたような訳しかたをしなくてもよい。 SNSの応答が気になって終始端末を手放せない。 カメラ、車、女、男、酒・・、ものほしい思いに翻弄されること。 放てば手に満る、とか言ったっけ? これを道得した人はいったい何を見…

般若湯 番外

ネット検索全盛でいろんな事柄が短時間でわかる現在の状況はすごいね。 昔「般若湯」を調べた頃は、 『大漢和』から『東坡志林』の引用文を引き出し、その原本に当たったり、 仏事習俗語彙集をあれこれめくって『谷響集』にたどり着き、そこから『釈氏会要』…

般若湯 その2 三つぞろい

その昔、何で調べたのだったか、般若湯の本を尋ねて行き当たったのが蘇東坡の詩。 『東坡志林』巻二に次のようにある。 僧文葷食名 僧謂酒為般若湯、謂魚為水梭花、雞為鑽籬菜、竟無所益、但自 欺而已、世常笑之。人有為不義而文之以美名者、與此何異哉。 ご…

般若湯 その1 菩提水

とある仏教書の企画座談会だった。 天台宗系のさる仏教学の先生と話していた時のこと。「釈迦は霊魂のことを説いていないとか言って批判的に言う人は多いけど、そんな人の多くは酒飲んだり結婚してたりするんだよね」。 だよね。 というわけで開き直ってお酒…

よし と 憂し

月例で行っている輪読会。昨日のテキスト『驢鞍橋』(鈴木正三著)より一節。 ある人、問う、「古歌に“なかなかに 深山の奥ぞ住みよけれ 草木は人の是非を云わねば”とございます。これは仏道を詠じたものと聞いておりますがいかがなものでしょうか」正三師、…

 「出家」のこと

かつてこのことを考えるきっかけになった一文。 出典は明治12年刊行『求化微糧談』巻八上(吉岡信行撰)。「仏遺教経」の注釈の一部で展開された説示。 ここに著者が示しているのは4種類の出家。いわく、1「出家の出家」 説明は省略されているが、出家中の…

伝朱子 偶成

少年 老いやすく 学 なりがたし 一寸の光陰 軽んずべからず いまだ覚めず 池塘春草の夢 階前の梧葉已に秋声

「お盆」十題 その10 “うちあげ”

ふう。やっと終わった、ご苦労さん。久しぶりの出逢いと、永遠のお別れ。迎え火に誘われ来る御魂と、この世の子や孫達と酒酌み交わす祖霊達。蓮台に並べられた供物と、座敷の宴に供される山海の珍味。静謐な悲しみと、猥雑な饗応。歓声と涙、恋慕とはじける笑…

「お盆」十題 その9 “なす牛ときゅうり馬”

「ひねなすび馬役をあいつとめけり」小林一茶 ナスとキュウリを牛馬に見立てて盆棚に飾るのはいつ頃からだろう。中国起源かなと思ったけど、ちょっとわからない。日本オリジナルだろうか。おもしろいと思うのは現世と来世を往還する次第が「陸路」であるとい…

「お盆」十題 その8 “中元”

月遅れという違いを抜きにして言えば、お盆は7月15日。ご存じのようにこの日は、僧侶たちにとっては「自恣の日」といって、集団で修行生活している仲間の「反省日」にあたる。今ひとつは「中元」にあたる。 お中元として、その習俗がけっこう変わりつつも残…

「お盆」十題 その7 “もっきり”

「お盆」十題 その7 “もっきり” もっきりとは、「盛り切りのコップ酒」から転じて「間に合わせの用意で飲む酒盛り」。 うちのお檀家さんの集落共同墓地で、お盆の13日なると見られる光景。集落の家々から夕刻近くになるとぞろぞろ集まってきてお墓で始まる…

「お盆」十題 その6 “蓮のうてな”

盆棚に供える食べ物を蓮の葉にのせるのは各地でもご同様だろうか。こちらでは「お盆用品」のひとつで店先で売られている。蓮はホトケに縁が親しいという発想からなのか。なにか由来があるかも知れない。お檀家さんを回っていると、ときどき代用品を見かける…