BON's diary

「何考えてんだ、お前はっ!」 「い、いろんなこと」

2015-09-01から1ヶ月間の記事一覧

よこみち【真読】№48「歌声に包まれて」

本編の「梵唄過まり唱う」とは、唱える文句を間違うということではない。定められた「音」を間違える、ということだ。 このこと、私のように仏教声明の音楽的詠唱に不慣れな者にとっては少なからず驚きがあった。 日本における禅宗、就中曹洞宗教団には中国…

【真読】 №48「梵唄過まり唱うは咎あり」 巻二〈音楽部〉(『和漢真俗仏事編』web読書会)

テキスト http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/818707 コマ番号27 愚按ずるに、今末世の僧の梵唄を唱うる多くは、呂律(りょりつ)を糾(ただ)さず、五音(いん)を分かたず、ただ口にまかせて恣(ほしいまま)にす。恐らくは五種の過患に堕(おち)ん。…

よこみち【真読】№47「声明と転読」

今回の本編の文章、初めて読んだのは十数年前のことになる。それは「転読」について、ある別の資料を読んでいた時のことだった。その時以来、「転読」と「声明」についてある見通しが出来、考えもまとまってきた。このたびの「よこみち」は、そうした自分の…

詠讃歌講の「信条」について

先に、愛知県龍拈寺所蔵の久我尚寛師範関係資料を紹介する次いで、梅花流の「信条」について述べた経緯がある。 http://ryusen301.hatenablog.com/entry/2015/04/15/092842 これについて、その後若干見解の修正を行いたい。備忘録代わりのblogではあるが、一…

【真読】 №47「梵唄曲節の濫觴」 巻二〈音楽部〉(『和漢真俗仏事編』web読書会)

テキスト http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/818707 コマ番号27 今に至って伝うる所の梵唄の曲節は、魏の武帝第四の子、陳思王・曹子建より始まる。 ○『仏道論衡』にいわく、「陳思王、毎(つね)に仏経を読みてもって至道の宗極となす。転読七声の升…

よこみち【真読】№46「人面鳥の系譜」

仏教神話(というジャンルが仮にあるとして)における音楽の妖精とも言えるのが迦陵頻伽(かりょうびんが)だ。妙音、美声など、この異形の生き物に託されている能力は仏教の枠を越えて広く知られている。本編の要点はその「音楽」に関わるところなのだが、…