BON's diary

「何考えてんだ、お前はっ!」 「い、いろんなこと」

2014-07-01から1ヶ月間の記事一覧

江戸時代「警策」論議(4)

あちこちの道場の警策トンデモ話しを聞いた面山さんは、大きくため息をついて言うのだった。 「ああ、仏祖正伝の綿密行って、こんなことを言うのだろうか」 と。そこで面山さん、『摩訶僧祇律』という文献にあるお釈迦さまのころのエピソードを紹介する。そ…

江戸時代「警策」論議(3)

ここからは実際に面山が当時見聞した実例集である。 ある僧が、面山に各地の修行道場で警策がどのように行じられているか話して聞かせた。それによると、 ①タスキでもって衣のすみをたくし上げ、手にツバして警策を執り、鷹の目のように居眠りしているものを…

江戸時代「警策」論議(2)

如浄さんと道元さんの「眠っちゃいかん、猛烈に坐るんだ!」という言葉を紹介したあと、面山さんはこう続ける。 しかし睡眠は人間の基本的な五欲の一つ。この世で坐禅している以上、睡眠欲から逃れるすべはない。しかもそのねむけは自分で払うことは出来ない…

江戸時代「警策」論議(1)

曹洞宗ギョーカイの皆さんにはよく知られた名前の面山和尚さん。博学にして専一なる求道家ということだけど、この面山さんが警策について持論を展開している。研究畑の先生達にはすでに知られているところだけど、私たちもちょっとそれを聞いてみたい。とい…

「改良衣」のこと

かつて〈トリビアの泉〉というテレビ番組で、お寺やお坊さんの使う仏具や法衣のほとんどが通販で購入できるということにかなりの数の「へえ」が上がっていた。たしかにそうなんですね。たぶんこの20~30年でその傾向は格段に進んだ。 それはいいのだけどこの…

「死者」と「屍体」のこと

きっかけは、fbf が紹介していたこの記事だった。 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140720-00050056-yom-soci 「映画「おくりびと」で注目された遺体を洗い清める湯灌(ゆかん)を、愛知県内で学んだ中国人女性の呉津娜さん(27)が、上海の葬儀で始…

般若院英泉撰述『茶話記』  安永8年(1779)8月上旬

茶話記 左肩に痛み有り、まさに療治せんとして大滝に行き旅宅を假り、或は温泉に浴し、或は滝に打たるる。 一日、客有り。茶話の序でに問うて曰く、「五六年以前の風説に、ある僧家にて如来を歩行させ光明を放ち、また恋しき死人にあわせけるとなん専らの風…

権藤圓立「聴覚による布教の仕方」(12・最終回)

⊿ ⊿ ⊿ 以下、本文 ⊿ ⊿ ⊿ 駒澤大学の和讃、詠歌 昨今大学生の間に長唄、謡曲、義太夫、花道、茶道に精進するものが多くなったことが、たびたび新聞で報ぜられた。このことについては、私はいろいろ考えさせられていた折柄、駒沢大学で学生自らの発願によって…

権藤圓立「聴覚による布教の仕方」(11)

⊿ ⊿ ⊿ 次回で最終回です。以下、本文 ⊿ ⊿ ⊿ 春秋二季の彼岸法要 博善社では、春秋二季の彼岸には寺院方を招待して同社関係の火葬場でもすべての火葬者の供養法要が各火葬場廻り持ちで営まれる。その法要は、社員全員の「朝礼勤行」によって始められ、次に寺…

権藤圓立「聴覚による布教の仕方」(10)

⊿ ⊿ ⊿ 以下、本文 ⊿ ⊿ ⊿ 火葬場の場合 今の東京博善会社の社長中山理々さんが、戦前専務理事であった時、火葬場の従業者達のための歌唱唱和を立案されたのには、私は敬服した。歌唱のテキスト「心のうた」が次々と作られるやら、オルガンを各火葬場に備え付…

権藤圓立「聴覚による布教の仕方」(9)

https://www.youtube.com/watch?v=ANOgrw4SdCk ⊿ ⊿ ⊿ 以下、本文 ⊿ ⊿ ⊿ 電話局の場合 伝道館の小林主事さんの懇望で墨田電話局に歌唱指導を始めたのは昭和7、8年頃と思う。これは小林さんが毎月精神講話をやって居る、その時間を折半してやったものであった。…

権藤圓立「聴覚による布教の仕方」(8)

⊿ ⊿ ⊿ 以下、本文 ⊿ ⊿ ⊿ 仏教青年伝道館の場合 ここでの仕事は、たしか昭和6年から数年続いた。左の一文は東本願寺の施誌「十方」の昭和25年6月号に書いたものである。 木魚に歌う 花祭りが盛んに行われるように努力された安藤嶺丸先生の発願によって建立さ…

権藤圓立「聴覚による布教の仕方」(7)

⊿ ⊿ ⊿ 以下、本文 ⊿ ⊿ ⊿ 川越少年刑務所の場合 巣鴨刑務所での歌唱指導がきっかけとなって、各刑務所へ行くようになった。 中でも川越少年刑務所には、毎週一回行った。ここでは所長始め所員皆出席して、収容者と一緒になって唱和した。名は刑務所であっても…

権藤圓立「聴覚による布教の仕方」(6)

⊿ ⊿ ⊿ 以下、本文 ⊿ ⊿ ⊿ “うつし世”について 私の幼少の頃、郷里(宮崎県延岡市)で私の母達が先に立ち仏教婦人会を組織していた。この会は、毎月一回真宗の寺で集会した。その頃真宗の寺は四ヶ寺あったので廻り持ちに集会したものであった。集会の時は、そ…

権藤圓立「聴覚による布教の仕方」(5)

今回の引用箇所にある「巣鴨刑務所」、第二次大戦後にはGHQによって接収されて、「スガモプリズン」と言われたところです。その当時は戦争犯罪人の一時収容施設であり、さらには極東国際軍事裁判により死刑判決を受けた東條英機ら7名の死刑が執行(昭和23年1…

権藤圓立「聴覚による布教の仕方」(4)

今回の引用箇所にある「仏教音楽会」は、正式には〈仏教音楽協会〉と謂い、昭和2年(1927)7月にその創設について協議が行われ、翌昭和3年(1928)1月に「仏教音楽ノ大成及普及ヲ図ル」ことを筆頭の目的に掲げ設立されました。会長・四條隆愛、理事長・中島…

権藤圓立「聴覚による布教の仕方」(3)

今回の引用は「声」と「音楽」に関するものです。 はじめの方に見える「ダミ声」の例はなかなかおもしろいと思いました。 また軍隊生活のことに触れていますが、権藤師は、大正4年(1915)に東京音楽学校を卒業後、山梨県師範学校に勤め、次いで兵役に従事し…

権藤圓立「聴覚による布教の仕方」(2)

今回の引用箇所にある〈梵讃・漢讃・和讃〉という説明の仕方は、早い頃に梅花流の複数の先生達から講習の際にお聞きしていたことでした。こうしてみると、この理解は権藤師が端緒になっていたかもしれないという気がします。 真宗大谷派のご寺院出身である権…

権藤圓立「聴覚による布教の仕方」(1)

梅花流詠讃歌を参究するために、それぞれの歌意を解説するものは少なくありません。けれども詠唱・詠讃という、いわゆる「うた」そのものについて説得的に説いている資料はまださほどに多くないように見受けられます。 そのような中で、『三宝御和讃』をはじ…

権藤圓立「聴覚による布教の仕方」『布教指導叢書第9輯・立体布教』(昭和28(195312)刊行。本文末の識語は昭和28年(1953)12月1日脱稿)曹洞宗宗務庁教学局

本布教指導叢書第の刊行は、昭和27年の佐々木泰翁宗務総長を筆頭とする曹洞宗内局の先導によって開始された「正法日本建設運動」の一環としての布教施策の一つと思われる。民衆布教の理念的かつ具体的展開を多くの執筆者が述べている。 権藤はこの頃「三宝御…