BON's diary

「何考えてんだ、お前はっ!」 「い、いろんなこと」

七左衛門の除蝗録 その9

 『羽州秋田蝗除法』について(二)
 二、本書の著者
 すでに「七左衛門の~」と呼んでいる以上、本書の著者が長崎七左衛門であることは自明のようですが、じつは本書には著者名が記されていません。それなのになぜ著者が七左衛門であると特定できるのかその理由を述べておかなければならないでしょう。
 このことを明らかにしたのは、田口勝一郎氏の「近世秋田の注油駆除法の展開-近世農書覚え書-」(『あきた史記 歴史論考集3』1993年、秋田文化出版)という論文です。かいつまんで田口論文から要旨を紹介すると次のようになります。
 秋田市雄和女米木の農家から次の古文書が発見されました。それは明和4年(1767)の年時のもので、七日市村肝煎・甚之丞から阿仁代官・田口五左衛門に宛てた建白書と、この趣を各村に巡覧せよとの豊巻村(現秋田市)肝煎・圓右衛門の添書が一緒になったものです。内容は、今年大量の水田虫が発生したがこれを駆除するためには七日市村の肝煎・甚之丞が建言した油を用いる駆除法が効果的なので、領内の村々は至急回覧の上これを実施するように、というものでした。この七日市村肝煎・甚之丞とは七左衛門のことであり、またこの文書に記載されていた「油を用いる駆除法」の具体的記述が、『羽州秋田蝗除法』に一致していたことを田口氏が指摘したのです。そしてこのことから『羽州秋田蝗除法』の作者を七左衛門と特定するに至ったのです。
 つまり、七左衛門は『羽州秋田蝗除法』を著して新しい駆除方法を世に問うたのですが、その効果の実効性を阿仁代官に建言し、それが認められて秋田領内の各村に通達が及んだということを、この文書は物語っているのです。(その7)で、後代の『除蝗録』の作者・大蔵永常が「東北のうちにても出羽秋田ばかりはこの備えありと承りぬ」と感心した理由は、ここにあると言えるでしょう。

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