BON's diary

「何考えてんだ、お前はっ!」 「い、いろんなこと」

権藤圓立「聴覚による布教の仕方」(10)

⊿ ⊿ ⊿ 以下、本文 ⊿ ⊿ ⊿ 

  火葬場の場合

 今の東京博善会社の社長中山理々さんが、戦前専務理事であった時、火葬場の従業者達のための歌唱唱和を立案されたのには、私は敬服した。歌唱のテキスト「心のうた」が次々と作られるやら、オルガンを各火葬場に備え付けられる等、まことに至れり尽せりであった。
 火葬場は他の工場、会社と違い、友引の日が休業日なのである。それは一般の人が友を引くというて、この日の火葬を忌避するので、自然休業となるわけで、他所の日曜日と同じになるのである。博善社系統の火葬場は旧東京市内に六ヶ所あるが、代々幡の火葬場の人達は落合火葬場に、砂町、四ツ木の人達は町や火葬場に、それぞれ日を決めて、友引の日に歌唱するのである。
 火葬場では、毎朝朝礼をして就業することになっている。各火葬場には、仏さまを安置したお堂があって、そのお堂に従業員一同が集まって、礼拝をし私から習った歌を唱和する。そのリーダーは管理者(その火葬場の主管者のこと)がつとめるのである。(戦後は、この朝礼の内容が更に整頓されて、仏前の勤行的になってきている。このことについては後に述べる)
 終戦の年の春半ば過ぎ、空襲が次第に烈しくなって、落合火葬場には、下町の方の遺骸がたくさん運ばれて来た。その日のうちには火葬し切れなくなって、夜通しで火葬せねば追いつけなくなった。毎日遅く屍体を送り届けた人は、翌朝お骨上げに来なくてはならなくなった。朝火葬場に来てみると、火葬場の人達が八時を期してお堂に皆集まって、つつましく礼拝し歌唱している。この光景を見、仏讃の歌声を聞いて、お骨上げに来た人達は何ともいえない、ほのぼのとした、あたたかな光につつまれたような気持ちになったのであろうか、お骨を拾って帰り際に、火葬場の人達に
「ここに来まして、はからずもよい歌を聞かしてもらい、何ともいえないよい気持ちになりました。湿っぽい悲しい暗い気持ちがうすらいで、なんだか明るい気分になりました。ほんとうにありがとうごございました」
と感謝の言葉を残して帰って行かれたという。後にはお礼の言葉だけでなく、お堂にお賽銭が上げられるようになった。「お賽銭があがるなんていうことは、火葬場始まって以来のことです。先生の歌唱指導のおかげです」」と当時の管理者であった幸田延太郎氏(現博善本社業務部長)は私に話されたのであった。
 私はこの報告を聞いて、歌唱の功徳ということを、しみじみと思わずに居られなかった。私は火葬場で歌唱指導を始めた時、火葬場の付近の人達に呼びかけて、友引の日に集まってもらい、一緒に唱和していくようにしたいと思った。そうすることによって、火葬場という名前を聞いただけでも、暗いジメジメした、人の滅多に寄りつくところではないというような気持ち。こういう誰でもが嫌うところを、幾分でも歌によって明るいところにしてみたい。さすればまた一つの明るい社会が出来ると願ったのであったが、健康不調で引きこもってしまったため、実現し得なかった。

 火葬場の朝礼は、終戦後、朝礼聖典を各自携行して、これによって行われている。この朝礼聖典は従業員同志会の手によって編纂されたもので、次の通りである。

 朝礼聖典
(一)三敬礼(パーリ語)三唱
(二)四弘誓願歌 一同斉唱
(三)般若心経読誦
(四)信仰の道(日蓮上人初心成仏鈔取意)読誦
(五)誓願 同称
(六)誓願歌 一同斉唱
(七)普廻向 同称

三敬礼
 Namo tassa Bhagavato arahato Samma sambuddhassa

四弘誓願歌(仏教音楽協会制定 仏典、小松清作曲)
 衆生無辺誓願度 煩悩無尽誓願断 法門無量誓願学 仏道無上誓願成

般若心経読誦(称略す)

信仰の道(日蓮上人初心成仏鈔取意)
人の心がけがれれば場所もけがれ、人の心が清ければ、場所も清いというが、一つの場所に浄土といい娑婆という二つのへだてはないはずである。唯我等の心の善し悪しでそうなる。
衆生というも仏というも同様である、人が愚かならば衆生といい、悟りを開けば仏と名づける。たとえばよごれた鏡も、よく磨けば玉と輝くがごとくである。只今一念無明の愚かさに迷っている心は、磨かない鏡である。是を磨けば、必ず法性真如の悟りの鏡となるのである。われわれは深く信仰心を起こして、日夜朝暮におこたらず。わが心を磨かなければならぬ。南無妙法蓮華経

誓願 
諸行は無常なり。生あるものは必ず死に帰す。我等は人生最終の大礼に奉仕するものなり。
世界の平和と正義を祈念しつつ同朋熱愛の心を以て聖業を全うせんことを誓う。
願わくは仏陀無辺の慈悲を垂れ給わんことを。

誓願歌(中山理々作詞 権藤円立作曲)
 一
諸行無常は世の掟 永久の命はわが誠 平和日本の建設に 同胞愛こそ尊とけれ
 二
我等は人生最終の 尊とき儀式司る ああ大慈悲の御仏よ 護らせ給えわが使命

普廻向 
 願わくはこの功徳を以て 普く一切に及ぼし
 我等と衆生と皆共に 仏道を成ぜんことを 以上
 
 現在行われている朝礼は、各火葬場毎にその管理者が導師となって毎朝八時に、従業者一同お堂に集まって行われている。これは今大戦前、私が歌唱指導に行くようになって、従業者達が自発的にやり出したもので、たゆみなく続けられている。殊に終戦後は整頓された朝礼聖典によって厳粛に行われている。聖典の唱え方、読誦の仕方、各歌の歌い方等、人事の異動で乱れがちになるのを気使うて、時々招かれて練習にいっている。このような会社は他に聞いたことがない。実に珍しい存在といわねばならぬ。これはいうまでもなく、この方面に常に意を用いて精進されている中山社長の人徳のいたすところ、まことに敬仰の外はない。

⊿ ⊿ ⊿ 以下、コメント ⊿ ⊿ ⊿ 

 文中に見える東京博善会社とは、現在の東京博善株式会社( http://www.tokyohakuzen.co.jp/)のことでしょうか。果たして今でも朝礼時の唱歌勤行をしているのでしょうか。
 それはともかく、ここにおいても音楽歌唱による教化的効用を認めることが出来ます。戦争の前中後を通じて、こうした仏教音楽布教の伝統が貫かれていたことがわかるのです。こうした状況を背景として梅花流が誕生し、発展したのだということを、改めて注意しておきたいと思います。