BON's diary

「何考えてんだ、お前はっ!」 「い、いろんなこと」

佐藤鐵章『季節風の彼方に』

 後味の悪い読後感。

 著者・佐藤鉄章は大館市十二所出身。本名は有次郎。昭和12年から17年までR小学校で教師を勤め、昭和20年代から30年代にかけて鷹巣農林、大館鳳鳴、大館桂各高校の教諭を歴任、その後上京し作家として活躍したという。

 本書は始め自費出版されたものが、昭和31年、新潮社から刊行された。

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 なにも自分の blog に、好印象ではなかった本を紹介しなくてもよさそうなものだが、追々その事情に触れる。

 すでに絶版の本書。作者もほとんど無名。じつは昨年暮れの地元地域活動グループの打合せで話題になり、古書を取り寄せてみた。

 この地域、かつては川の上流域にR中学校、下流域にN中学校があり、R中学区圏内にR小学校とK小学校が、そしてN中学区圏内にN小学校があった。やがてR中はN中に統合し、TM中と改称、現在は隣接地域の学区とも統合し、新しいTM中学校圏を構成している。R小とK小は合併、後N小に合併統合して現在に至る。統合と言えば実態はすぐに伝わりにくいが、ありていに言えば、子どもが少なくなってきたから学校の数を減らしてきただけのこと。

 そしてこの小説、昭和20年代とおぼしい時期が舞台となっているが、主人公の女性・那村文枝は、このN中もしくはR中学区の出身。「米代高校」に通う高校三年生として登場するところから小説が始まる。

 文枝の家は父が炭焼きで生計を立てている貧しい山里にある。歩けば一時間では着かない道のりを通年徒歩通学した。思いを寄せる高校教師。家庭の事情からやむなく断念した大学進学。

 決して教師はなるまいと一時は誓ったが、卒業後の進路は、自分の住む部落よりも葉さらに上流域の奥地へ入った「深沢中学校」の代用教員。交通手段もなく、学校近在に下宿しての通勤。ここで文枝は、自分の家で体験していた以上の山村の厳しい状況と、想像もしなかった僻地教育の現状に触れる。

 ここからの舞台描写のもととなるのが、著者のR小学校勤務時代の経験という触れ込みだった。読んでみようと思ったきっかけはそこにある。

 たしかに、この地域を彷彿とする描写は随所にある。そして著者がしばらくここで寝泊まりし、教員として過ごしたからこそ描き出せたと思われる箇所も少なくない。

 父親が山へ炭焼きに行っている間に留守を守る母親や子どもたち。

 囲炉裏の中から焼けた馬鈴薯を取り出して煤で口のまわりを真っ黒にしながらむさぼり食う家族。

 暗がりで動き出したぼろの中から這い出した老婆の襟首からもぞもぞと出てくるシラミ。

 炭俵の一つ二つを担いで汗だくで里まで運ぶ子どもたち。

 生活苦のために息子の頭を斧で割り自らは首を吊って絶命する父親。

 終業式後の納会で酔ってケンカし始める校長と教頭。

 生徒の啓蒙教育を熱く語る地元集落出身で病弱の青年教師。

 家業の手伝いのために長期欠席する生徒。

 幼い兄弟を背負って登校する生徒。

 印象に残ったのは、卒業講話として近くの森林事務所職員が、卒業生へ国有林事業の有用さを説いた時に起こった次の事件。

 (以下引用文)

 その時、ぱちぱちと拍手の音が教室の法から流れてきた。就職講話が終わったらしかった。文江は急いで廊下に出た。
 恰度齋木(校長)たちは今日の講師である隣村駐在の森林主事と連れだって児湯室を出たばかりである。文江は走り寄ると丁寧に労を謝した。
「なかなか愉快な質問を飛ばす生徒も出たもンですな。ああいう生徒は珍しいですよ。あの学級は例の安成先生の受け持ったクラスですか。道理で鋭い質問をすると思ってね。冷や汗かかせられますな。しかし、何ですね、あれは危険ですね。ああいう生徒は困りますな。山などでは労働者にああいう男が一いると全然だめになってしまうンでね」
 森林主事は冗談とも本気ともつかないからみかたをする。齋木は恐縮して
「なかなか大変ですよ、教育も。世の中が世の中だもンだから、ときにはああいう質問も出るようになるンですが、まあ、そこはひとつ旦那さんたちのお目こぼしで」……
 と、そこで言葉を濁して文江をじろッと睨んだ。 文江は主事たちを職員室に案内して茶を淹れておいて、すぐ引き返して教室に走ってみた。生徒たちは帰り支度をしていたが文江を見ると「わあッ」と走り寄ってきた。
「先生、あの森林主事、正にやっつけられて猿のけッつみたいに真っ赤になったけよ」
 藤澤雄次の頓狂な声にみんなが「わあッ」「わあッ」と囃したてる。
「一体どうしたというの? 何を正さんが質問したの?」
 当の福島正は顔を緊張させて窓際に立っている。
「だってあの主事、ひどいことばっかり喋るンだもの。なア、みんな」
 畠山琴だった。畠山琴は肚に据えかねるように大きな瞳でぐるりぐるりと周囲をみわたした。
「お前らは、国有林の、お蔭で、育って来た子供である。これから、中学校を卒業して、山に入って、山の人になる。だから山を生命よりも大事にしなければこの村は亡んでしまうのだ。この学校も、国有林のお蔭で建ったのだ。いいか、だから国有林は実に人助けをしているわけだ」
 そこで畠山琴は息がつまってごくりと唾を呑み下した。するとすかさず山田時夫がつづきを披露した。
「みなさん。お前らは、山によって、しかも、その人夫となって一生暮らす覚悟をもたなければなりません。いいですか。真面目に働けば五十五歳までは使って貰える。いいか、わかったか」
「うわあア。うまい、うまい」
「わあッそっくりだ!」
 みんな一斉に拍手しながら囃し立てる。
「それで福島正さんは何と質問したの?」
「正はただ質問しただけです。質問しろって云うから質問したなだス。山の現場で、せば何人使って呉れるもンだが、それから労働基準法に基づいているかって。それから村の森林の九十五%が国有林になっているが、この就職難の時代になぜもっと国有林に働けるようにしてくれないのかッて。それから国有林は絶対村の手に返すことは出来なもんだかッて。質問はたっだそれだけだったス」
 説明したのはホームルーム副委員長の神成逸夫だった。神成逸夫は進学組だった。
「そしたら、あの主事おこったンです」
「そうだ、そうだ」
 教室は一瞬騒然となった。
「でも、駄目ね。失礼に当たるような質問をしたンでしょう。あんたたちに罪がありそうだわ」
「そんなことあるもンか。先生までそんなこと」
 そのとき福島正は窓際を離れて那村文江の方にやって来ると文江を睨みつけるようにして言った。
「先生間違っていない筈だス。絶対間違っていないス。先生は嘘を言ってる」
 正の瞳にきらッと光るものがふくれ上がった、文江は途惑った。どう答えるべきだろうか。福島正は文江のその途惑った瞳をみあげるとくるりと背を見せて自分の席の方に離れて行った。そのとき聴き慣れたスリッパの音がせかせかと廊下を伝ってきた。やがて、スリッパの主が廊下から大きな声で
「正ッ一寸来い。正いるだろ?」
 と、叫んだ。
「はァ居りますけど、あのお、何か……」
 文江は齋木のただならぬ権幕に愕いておずおずと訊ね返した。
「何でもいいから職員室まで来い」
 齋木の顔は醜く蒼白んでいる。福島正はきりりと唇を硬く結び直すと、すぐ齋木の後ろに跟いて行った。他の生徒たちが不安な目の色でぞろぞろとその後を追っかけそうにしたので文江は引きとめた。
「大丈夫。先生がついているからね。さあ、みんなお帰りなさい」
 生徒たちはそれでも不安が募るのかなかなか帰ろうとしなかった。文江も不安で軀がぞくぞくして来た。時々悪戯坊主たちが数珠つなぎに職員室に呼ばれて説教を食ったり、怒鳴られることはあったが、校長自ら目の色を変えて呼び出しに回ったことはないのだ。
 やがて、三々五々帰って行く生徒たちにいちいちさようならをして職員室に戻ってきた文江は、ふと異様な物音にぎくりとして立ち停まった。物音は職員室からではなく、隣室の衛生室から洩れてくるものだった。その音はいかにもびしッびしッ!といかにも引き締まった柔軟な重苦しい音なのだ。やがてどしン、と壁が揺れた。文江は「あッ!」と叫びながら職員室に飛び込んで行った。職員室に入ると物音の隙間を縫って低い呶声がみだれがちにきこえる。ああ、福島正だ。正に違いない。職員室を見回わす。古賀を始め、教師たちは唖のように机にへばりついている。あの物音が聞こえないのだろうか。あの激しい呶號と物体を叩きつける物音が。文江は狂ったように古賀の机の前に駈けて行った。
「先生、あの音はいったい何の音ですの?」
 訊ねている間にも間断なく呶鳴り声がしている。
「音? 何? 何の音だって?」
「あの音ですわ。あの音は人を殴る音だわ」
「あれか。あれは誰か悪い生徒が出たので校長がじきじき魂入れをしているンだろう」
「すると、あれが訓戒というものなのでしょうか?」
 文江の顔は上気して瞳まで真っ赤になった
「そんなこと俺にきいたッて始まらないではないか。校長にきいた方がいいよ」
 もう文江は古賀の顔を見ているのももどかしかった。湧き起こる怒りと悲しみのために全身が裂け散るかと思われた。一刻も猶予がならない気がした。若しかしたら正は死ぬかも知れない。ああ正は片輪になる、殺される。文江は職員室の真ん中まで戻ってきて自分の胸をかきむしった。その文江の蒼白に慄えおののく姿を恰も見知らぬ旅人を見る目の教師たちの態度が一瞬文江の瞳を掠め去った。ああ何たる無神経の持ち主であろう? 文江はもう我慢がならなかった。正を救わなければ、正を救わなければ……扉をさっと開くと文江はまっしぐらに衛生室に飛び込んで行った。
「止めて下さい。校長先生、お願いですから、止めて下さい!……」
 文江はもう泣いていた。
「邪魔するな。こんなざまで卒業させること出来ると思うか。学校に泥を塗ったのはお前だぞ! 正、き、貴様は、まだ抗弁するかあッ……。こっちへ来い。この馬鹿野郎! 生意気たけて、この野郎!」
 齋木は赤鬼のように叫びつづけながら、正の胸倉を引き寄せると板壁にどすッ! どすッ! と打ちつける。
「止めて下さいッ! 何でもいいから殴るのだけは、止めて下さい。お願い、ですから、止めて下さい! 私を殴って下さい。私を殴って!」
 文江は吹き出る泪のために顔じゅうぐしょぐしょにして齋木の腕に取り縋った。しかし、齋木は文江に縋りつかれると益々けもののように勢い立った。もう理性もなにもなかった。狂った獅子のように感情の囚になって滅茶苦茶だった。
「こんな馬鹿野郎を、お前、本気で、庇うつもりか。だから、だから、こうなるンだ。この馬鹿野郎! あやまれッ! あやまれッ!」
 齋木の鐵拳が正の頭に左右から激しくあたった。それでも福島正は悲鳴をあげようとはしなかった。腕を頭にあげ、軀を左右に捻って拳の雨を避けている。歯を食いしばって涙を瀧のように流しているばかりだ。文江はもう見るに堪えかねた。齋木と正の間にさっと軀ごと割って入り、齋木の次の拳を受けた。すると、その瞬間文江は異様な叫び声をきいたように思った。その声は確かに正の唇から洩れたものだった。呻きと共に、正はどたッと床に突伏してしまった。すると、それを機に昂奮で蒼覚め切った齋木は、わざと荒々しい音をたてて扉の外にさっと消えて行った。文江は泣きながら抱き起こすと顔一面にあふれる血潮のために正は呼吸するのも困難なようだった。鼻を噴き出る血潮は喉許を伝って破れた服の内側にどろどろと流れおちるのだ。
「正さん、しっかりして!」
「せんせい、せんせいッ。ううッ、ううッ、えッ、えッ……」
 正は血ぐるみの顔を文江の胸に擦り込んで堰を切ったように大声をあげて泣き出した。

 (以上引用文)
 

 封建的閉塞感、後進僻地ゆえの貧困・無教養。

 そんなマイナスイメージがこの「地」に還元されて、あるいはこの「地」から浸み出してくるような描写が随所に散見される。そうしたこの地域に対するまなざしは著者のそれと一緒だったのではないか。

 深沢中学校のある教師が、自分はこんな僻地の学校に左遷させられたという台詞を述べる箇所がある。その言は著者の気持ちを代弁したものだったのか。

 さまざまな出来事に翻弄され打ちのめされた主人公・文枝は、そうした「深沢小学校」の現実から逃れるように辞表を出し、東京に住む思いを寄せる元教師に会いにゆく。そしてその男性から求婚されるが、折しも校長等の不祥事が明るみに出て、文枝は深沢小学校ではなく出身母校の「川根村中学校長」より、今春から教員として正式採用したいとの通知を受け、求婚の申し出に「もう二三年だけ待って下さい」と答えて郷里に帰ることことになる。

 この主人公の恋愛と、教員体験による成長の交互の描写は、あまり成功していると思えない。元教員と交わす手紙の内容は、どちらも不自然に独善的な印象があり、主人公が自らの心情を語る場面もまた観念的なきらいがある。

 読んでいる間の不愉快さは、前記のこの地に対する負の描写だけではない。主人公は自分に関わる他者の不幸を何一つ解決・あるいは改善していないということだ。

 下宿先の兄弟が言い争う。兄が、集落の農家全戸が協力し積立貯金をして農地拡幅して農業収益を上げることを提言するが、それを主人公は「よい考えだわ」というものの、具体的な実行・展開には到らない。

 校長に陰惨なリンチを受けた正を、救った場面が無い。

 学校を途中退学しなければならなかった女生徒の行方(母親は勤め先を食堂と言い、校長はパンパンと言った)を東京に探すが、結局見つけていない。

 つまりこの物語の中で、主人公は貧しく厳しい山村の生活を目の当たりにし、粗悪な僻地教育の現場に翻弄されるが、その状況にはなんら「向き合う」ことをしないまま、自身の恋愛に惹かれ、最後は僻地よりもひとつ開けた地域の学校教員となる道を獲得して話は終わるのである。

 この地域に住むものとして、「後味の悪い読後感」と言った理由がここにある。

 

 この小説、のちに久我美子が主人公を、高倉健が片思いの相手・元教員を演じて、小説と同名の映画となる。

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 この地域を題材に、しかも高倉健ならタイムリーだね、と仲間と行っている地域活動で、今年の上映会を目論もうとしているのだけれど、ちょっと気がそがれた感があるなあ。