BON's diary

「何考えてんだ、お前はっ!」 「い、いろんなこと」

その5 根っこと果実

『こどものくに通信』2008年8月号

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 ぼくのお寺のある地域は、八月にお盆行事がある。毎年、八月十日を過ぎる頃になると、都会から帰省してきた人たちで、人口がぐんとふくれあがる。いつもはお年寄りの多いしずかな村だけど、この時ばかりは若夫婦や子供たちでにぎやかになる。

 そして目には見えないし、耳にも聞こえないけど、もう一群の帰省客たちがいる。そう、あの世からやってくるご先祖たち。お墓の前で焚く迎え火を目印に、それぞれの家で用意してくれたキュウリの馬やナスの牛の背に乗って、懐かしい子供や孫たちの集う「実家」に帰ってくる。

 座敷のテーブルにところ狭しと並べられた料理の数々。仏壇前の精霊棚には、ハスの葉をお盆に見立てて、これまたたくさん用意された仏様用のお供え物。全国各地から持ち寄ってくれたお土産の品々。そして地物の野菜、山菜、川魚に鶏料理。湧きあがる歓声。あふれる笑顔。この世の子供たちと、あの世の親たちが、みな一堂に会して始まる夏の夜の交歓の宴。

ひとまとまりの親族って、一本の樹木のようだと思う。土の上に立つどっしりとした幹、そこから四方八方に伸びる枝えだ、その枝のそれぞれに生い茂る葉、そして花と果実。そんな土の上の成長を、土の中でしっかりと支える樹の「根っこ」。土の上にでた部分が大きいほど、根は太く、深く、大きく広がっている。まだ若い樹だったら、根もまだ浅い。幹はその親族の大もと、いわば実家の親たち。そこから伸びる枝えだは、実家を離れて各地で働き、あるいは新しい家庭を営み始めた子供たち。新しい若芽や花実は、元気な孫やひ孫たち。一方、根は、その家のご先祖たちだ。亡くなってまだ年数も浅い祖父母たちは、地面からそう深くないところ。何代も前の遠いご先祖たちは、ずっと深いところの根っこになっている。生きている人間は、ひとりづつ別々なんだけど、ほんとはみんなつながっているんじゃないだろうか。一本の樹は土の上の見える部分だけで立っているわけじゃない。見えないけれど、その下には大きく太い根が続いている。きれいな花や、大きな実をつけようと思っても、土の上の部分だけかまっていては大きくなれない。根を大切にすることによって、樹は栄えてゆく。根はいつだって、土上の花実たちのことを思っているのだから。きっと、いま生きている人とご先祖たちの関係って、こういうことじゃないだろうかと思う。

ふだんは、生きている人間同士の関係だけで暮らしているぼくたちの世の中だけど、たまに、は目に見えないところで、しっかりとぼくたちを支えてくれている「根っこ」のことに思いをはせてみたい。あちこちにはなれて暮らしている親族たちと、あの世にいるご先祖たちが、みなひとつところに帰ってにぎやかに過ごす「お盆」。みんなで一本の樹木なんだということを実感させてくれるときが、いまなんだと思う。