BON's diary

「何考えてんだ、お前はっ!」 「い、いろんなこと」

【真読】 №125「勤行の時」 巻五〈雑記部〉(『和漢真俗仏事編』web読書会)

問う、仏前に看経勤行すること、世俗には朝夕の二時に限ると思えり。
 答えて曰く、必ずしも二時に局(かぎ)らず。『時處軌』に曰く、四時(晨・午・昏・夜半)、三時(晨・午・昏)、二時(晨・午)、一時(暇を得るに随う)、無間一切時(行住坐臥に修するなり)と説きたまえり。
 けだし人の機、各々殊なるをもって、その機根に応じて勤めさせしむゆえに、この如く多くの時を説きたまえり。しかれども実は無間一切時を仏の本懐とす。何んなれば、行住坐臥阿字の三昧に住するを無間一切時と云うゆえなり。

よこみち【真読】№125「五体投地」

祖父の真前にお参りをしたいと、生前親交のあったご老師がお見えになった。黒衣に木蘭色のお袈裟に改められたご老師を、開山堂に並んでいる歴代住職の位牌の前にご案内した。ご老師はおもむろに礼拝をし始めた。座具を展べて両膝を着き、両手を仰向けて床につけ、額をつけて拝む。禅宗式の五体投地。その時、耳を疑うような音が聞こえた。
 「ゴッゴゴゴッ」
 板の間に何かがぶつかる音。礼拝の度に聞こえる。なんだろうとよく見ると、ご老師は額をつける時にかなりの激しさで頭を床に打ちつけていたのだ。その反動で頭が跳ね返るが、なおそれを押しつけようとするのでこのような音になる。言ってみればキツツキのドラミングの音と一緒なのだった。
 展座具三拝というこの礼拝作法。ご老師のように床に頭突きするような礼拝は見たことがなかった。ご老師の祖父に寄せる思いだろうかと胸中察するところあったが、そのご老師自身は多くを語らなかった。
 本編に見えた五体投地。時にチベットなどでその礼拝が放映されることがある。今いる場所から目指す聖地まで、自分の身の丈の分だけ尺取り虫のように五体投地を繰り返しながら進んでゆく。ほこりっぽい地面にその都度こすりつけられる膝や肘には当て布がしてあり、額は赤黒くすりむけていたのが印象的だった。そのさまは「五体を地に投げる」、いわば自分の身体を信仰のために投棄することを繰り返しているように見えた。
 禅寺でくだんの展座具三拝という礼拝の仕方を習った。五体投地の一種と言える礼拝法である。「お釈迦様の両足を自分の両手にいただくように」という指導の仕方が耳に残っている。その所作はていねいに恭礼のさまを表すに相応しい様子となるが、「投地」と言えるほどの捨て身の様子にはならない。どちらかと言えば静かにていねいに身を床につけていく、自分の身をいたわりながら礼拝しているようにも見える。
 ここで気がつくのは礼拝作法を精美に見せることと、礼拝対象へ寄せる「思いの強さ」は比例しないということだ。彼のご老師の礼拝は祖父に対する思いの強さは感じさせるものの、美しい礼拝とは違うものだ。一方修行僧堂で鍛えられた修行僧が座具や法衣を乱すことなく整然と礼拝するさまは一種の美しさを感じさせ、礼拝対象への敬虔さは思わせるものの、その対象を渇仰するほどの思いの強さは感じさせない。
 儀礼作法のなりたちと、原点にあったはずの信仰とのズレを思わせるようで興味深い。

【真読】 №125「礼拝」 巻五〈雑記部〉(『和漢真俗仏事編』web読書会)

テキスト http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/818707 コマ番号54

 仏を礼するに三拝をなさしむるは『智度論』に曰く、三毒を滅し、三宝を敬い、三身を求め、三界をなす等と(『義楚六帖』)。
 ○『増一阿含経』に礼拝の五功徳を説きたまえり。
 一には、端正。謂く、仏の相好を見て歓喜するが故に、この因縁を以て来世には相貌端正なり。
 二には、好声。謂く、如来の相好を見て三たび南無仏と称名するに因って、この因縁を以て来世に好き音声を得る。
 三には、多財。謂く、如来の前に散華然燈して礼するを以て、来世には大財宝を獲る。
 四には、長者。謂く、如来の相好を見て至心に礼するを以て、来世には長者の家に生ず。
 五には、命終わりて善処天上に生ず。謂く、如来の功徳を恭敬礼拝するに由って、来世にかくのごとし。
 ○按ずるに礼拝に九種ある(『唯識演秘』に云く、『西域記』に云く、西方の敬儀に総じて九種あり。一には発言等)中に、五体投地の礼を上品とす。『智度論』に曰く、礼法に三有り。一には、問訊。下品の礼と名づく。二には、膝を屈し頭べを地に至らずして長跪す。中品の礼と名づく。三には、頭べ地に至らしめ頂礼す。上品の礼と名づく。(略文) 

よこみち【真読】№124「聖なる場所」

 

「道場」という言葉が「聖道を証する所」にもとづく言葉だと知ったのはこの本編が初めてだった。それより先に「剣道場」や「空手道場」などの用語に慣れていたのでごく一般的に、武道をならう施設、という解釈をしていた。本編の引く『西域記』がオリジナルとすれば、日本の武「道場」のルーツは仏教にあるのだろうか。そのあたりの前後関係についてはもう少し調べないとなんとも言えない。ただ、「民謡道場」とか「そば打ち道場」「ピザ道場」など、なにかを作り上げる、あるいは技術を修得することを目的とした所に「道場」と名づけるのは、「武道場」の延長なのだろう。
 そしておそらくそれと同じ方向にあるのが、「書道教室」「茶道教室」などの「教室」の用例だと思う。これを日本人の特性と考えてよいのかどうかよくわからないが、何事かをならう過程のことを「道」と名づけて、ある精神性をその中心に植え込んでいくことがある。「空手の道」「茶の道」等など。
 武道場に神棚を設置することは「近代」の作為であったという議論があるみたいだが、条例等のことはさておいても、「道」という捉え方のベースになんらかの「神」を見いだしていることは近代以前の例にも数多く見いだせそうだ。いわゆる「聖なる場所」が別の文脈を通ってまた別の「聖なる場所」になっているというわけだ。
 とこんなコメントに続いてはなはだ低俗なオチになって恐縮だけど、かつて街中を歩いてきた時のことである。冒頭の画像のような「お琴教室」の看板が目に入った。その時、いくぶん疲れていたのだろうか。アナグラムの落し穴に落ちた。奇怪な疑惑に捉えられたのである。「男の教室」ってなにを教えるんだろう?

【真読】 №124「道場」 巻五〈雑記部〉(『和漢真俗仏事編』web読書会)

テキスト http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/818707 コマ番号53

 仏の在(いま)す處を道場と云うは、『西域記』第八に曰く、賢劫の千仏、金剛座に座し金剛定に入りたまう。聖道を証する所なればまた道場という。
 ○按ずるに、秘軌の中には本尊の在す所を精室と名づけ、または神室と称(なづ)く。

よこみち【真読】№123「教えてSiri」

とても初歩的なことのように思えていささか恥ずかしいのだけど、正直に話してどなたかに教えていただこうと思う。

 うちは曹洞宗のお寺だけど、庫裏の中に仏壇があって、そこには私の祖父母ほか亡くなった親族の位牌を祀っている。で、そこを「お内仏」と呼んでいる。
 たまたま近頃ある出版物に掲載する読み物の原稿で、登場人物のお寺のこどもがお内仏の祖父の遺影を指さす場面を書いたところ、編集担当者から「お内仏って何ですか?」と聞かれた。え、それ知らないの?と説明すると、彼もお寺の子弟だったのだが、「うちは今も元気な父の代からお寺の住職になったので、お寺の中には親族の仏壇がないんです」という答え。あ、そういうケースもありか、となんとなく納得した。
 今回の本編の言う「内持仏」とはその発生事情が違うだろうと思うのだが、そんなわけで「内仏」についてちょっとひっかかってしまった。
 浄土真宗以外の日本仏教諸宗派が住職の婚姻を公認されるのは一般に明治五年からと言われている。当時は賛否色々だったようだが、結局、婚姻し家族生活を営む「お坊さん家族」が日本中を席巻してしまった。こうなると家族の中から亡くなった者は順次故人として仏になり、仏壇に入る。それが今言った「住職家族の故人を祀る仏壇」としての「お内仏」というわけだろうか。
 そんなことを思いながらあれこれ見ていたら、浄土真宗の「お内仏」の考え方に出会った。真宗では仏壇と内仏はちゃんと区別するのだという。

 以下はネットで拾った真宗大谷派の例。

 浄土真宗では、「お仏壇」のことを特に「お内仏」といいます。みなさん、お仏壇とお内仏の違いがわかりますか。これがわからないと、真宗南無阿弥陀仏の教えがわかりませんよ。
 みなさんの町に、「仏壇店」があるでしょう。全国に○○仏壇店とか、何々仏壇店とかあります。でも、○○お内仏店とか、何々お内仏店とかはありません。これはどういうことでしょうか。「仏壇」は売買の対象で、売ったり買ったりしますが、「お内仏」とは売ったり買ったりする対象ではないということです。我が家にお内仏があるということは、我が家には“金では買えんものがあるのだよ”ということを教えているのです。金で買えんものとは、“いのち”です。お内仏は、いのちの尊さを教えている。そういう人間形成の文化を“お内仏”といいならわして伝えているのです。お仏壇を買い求めてくる。そして、その中に阿弥陀様の軸をお掛けし合掌する。その瞬間に、仏壇はお内仏になる。手を合わせなければならんほどの大切なことを、み仏に手を合わせる形で教えてあるのです。そして、“いのち限りなからん、光り限りなからん”とみ仏より私に呼びかけられているのです。
 日頃、私達はお仏壇と言いならわし、又、聞きなれていますが、この違いだけは認識しておいて下さい。(引用以上)

 ふむふむ。こうなると仏壇と内仏とを同義に考えていた自分をちと反省したりする。でも、ということはうちの方の宗派で仏壇を内仏と呼ぶようになったのは、近代以後のことだとしても、それは真宗経由の呼称だったのだろうか。

 さらにうちのような地方の小寺では本堂以外に(家族の仏壇以外の)、別置の仏像安置の場がないので、「内持仏堂」「持仏堂」と呼んでいる場所がないのだが、「内持仏堂」と「お内仏」の連続性ってあるのかな?

【真読】 №123「内持仏堂」 巻五〈雑記部〉(『和漢真俗仏事編』web読書会)

 問う、吾が邦、本堂の外、方丈あるいは寮の内に仏像を安じて内持仏堂と云う、これ本拠ありや。
 答えて曰く、義浄の『南海寄帰伝』に出たり。彼に云く、僧房の内、尊像を安ずることあり。あるいは窓上において、あるいは故(ことさら)に龕を作る。食坐の時、像前に布慢をして遮障す。朝朝に洗沐して毎(つね)に香花を薦め、午午に虔恭して餐に随て奉献す。ないし南海諸州の法、またこれに同じ。これすなわち私房尋常の礼敬の軌なり。その寺家の尊像、ならびに悉く別に堂殿あり。