BON's diary

「何考えてんだ、お前はっ!」 「い、いろんなこと」

【世読】No.10「無沙汰(ぶさた)」巻一〈倭文用語類〉(web読書会『世説故事苑』)

ご・ぶ・さ・た・ね  ♡

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  沙汰とは『杜詩』に曰く。「江河の濁るを沙汰す。」『集註』に曰く。「沙汰は篩(ふるい)を以て沙(いさご)を貯わえ、その細かなるを去りて、その大なるを存するを汰と曰う」[已上]
  言う心は物の道理を別つこと沙を汰(ゆり)て細かなるを去り、大なるをおさむる如くにす、これを沙汰と謂うと。これに依て公儀の判断を沙汰と云う。[群書に多く出づ]
倭俗世間の人の判断を世間沙汰と云うはきこえたり、風説を沙汰と云うは不可なり。その謂(いわれ)なし。また無沙汰というは上の字義に依るに理非別ざる体をいうなり。故に無礼するを無沙汰するという。善く聞こえたり。

よこみち【世読】No.9「硬派の王道」

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 和語としての「かたじけない」の説明には、恭・辱の字が充てられ、「高貴なものに対して下賤なことを恐れ屈する気持ちを表す」とある。恐れ多い、面目ない等にならんで、分に過ぎた厚意を受けてありがたくうれしい、とある。ここには「私のように低い身分のものがこんなにたくさんいただいちゃってもうしわけないけどありがたい」という、いわば「ほんとはラッキー」というプラスのニュアンスがある。
 これに対して『世説故事苑』の言うところは、「いや私にそんなご恩を受ける資格はありません、とんでもないやめてください」というマイナスのニュアンスだ。この二つのニュアンスの分岐点は「ラッキー」があるかないかである。
 ここで思い当たるのが『正法眼蔵随聞記』に見える道元の言葉。
 たとえば巻三のある夜話ではこんなことを話している。

 唐の太宗の時、魏徴奏していわく、「土民、帝を謗することあり」。帝のいわく、「寡人、仁ありて人に謗せられば愁いとなすべからず。仁無くして人に褒められばこれを愁うべし」。
 俗なおかくのごとし。僧はもっともこの志あるべし。慈悲あり道心ありて愚痴の人に謗せられ譏(そし)らるるは、くるしかるべからず。無道心にして人に有道と思われん、これをよくよく慎むべし。

 自らに徳あってそれが人に伝わらずに非難されることなど気にしない、しかし自らに取るところ無くして人がそれもわからずに褒められるようなことあればそれは厳にいましむべきこと。『世説故事苑』に言う「辱」の意味はまさにこれだろう。「ラッキー」などという心の浮わつきはつけいる隙も無い。

 道元はまた言葉を換えてこのことに触れている。同じく『正法眼蔵随聞記』巻三の一節。

 真実、内徳なくして人に貴びらるべからず。この国の人は真実の内徳をば探りえず、外相をもて人を貴ぶほどに、無道心の学人はすなわち悪しざまに引きなされて、魔の眷属となるなり。

 鎌倉時代道元の言葉は、現代の「この国の人」にもあてはまりそうだ。その人の内実を見透せず、外面だけでちやほやする。それを実のない人間はうかうかとその気になって、あれこれと翻弄され、どっぷりと誤った境涯に落ち込んでそこに住む連中と同化してしまう。
 このあたり子登もなかなか硬派ですね。

【世読】No.9「辱(かたじけなし)」巻一〈倭文用語類〉(web読書会『世説故事苑』)

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 『書言故事』一の注に曰く。「辱は恥なり。徳無きに極めて厚恩を承くるを恥づ。」
○この意は譬えば金子くだされて辱(かたじけない)と云うときは某、御辺に対してケ程厚き志を受くべき恩のおぼえ無き故に辱入(はじいり)たと云う意を辱(かたじけなし)と云う」となり。或いは忝の字を用う。忝は辱なり。訓にて義同じ。

 

よこみち【世読】No.8「亡者の集い」

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 このたびの「参(サン・まいる)」だがちょっと見てみるとかなりツッコミどころの間口が広いもののようだ。
 たとえば和語としての「まいる」。どこそこへまいる、という本編の言い方のほかに、すぐ思いつくのは「いや~、まいっちゃったよ」という言い方。他にもいろいろありそうだが、そのあたりはちゃんと辞書がカバーしている。詳しい紹介は省くけれども、元来は貴人のところへ下位の者が行くことを言う謙譲語だったものが、だんだん敬う意が薄れてきて「まいっちゃったよ」という方向へ語義が流れていったものらしい(『日本国語大辞典』「まいる」項参照)。
 これに対し漢語の「参」。『諸橋大漢和辞典』によれば、
 一、1)みつ(三)、2)三者立ちならぶ、3)たちならぶ、4)まじはる、5)あづかる、6)かねる、7)こもごも、8)まうでる、9)~18)略。
 二、1)星宿の名、2)ながいさま、3)斉しくないさま、4)鼓を撃つ法、5)人参、6)姓。
 三、1)多くのものがしたがひつづくさま、2)略。
 とその語義はまた多様である。ここで和語と漢語のちがいを取り上げるのも一手なのだが、それよりも気になることがある。
 それは『世説故事苑』が、参の意について「謂く幽顕皆な集まり神龍並び臻(いた)る。既に聖凡間(へだ)つること無し豈に輙(たやすく)僧俗を分たんや。ここを以てこれを参と謂う」と結論づけている点である。これは『世説故事苑』自身が言うように『祖庭事苑』巻八を典拠としている。この本は宋代の禅語辞典と言えるもので、この中の「小参」という項目にこの文章がある(じつは日本の無著道忠による『禅林象器箋』が「小参」について同じ引き方をしているので、子登はこっちを見たのかもしれないけどここではどっちでもかまわない)。
 これの何が気になるのかというと、「幽顕皆な集まり神龍並び臻る」というところなんだ。これはつまり「幽顕」すなわち幽界(あの世)の者も、顕界(この世)の者も、さらには人間ならぬ神龍たちも群れ集まってくる、という意味じゃないだろうか。それが「参」だというのである。この解説はさきほどの『日本国語大辞典』にも『諸橋大漢和辞典』にも見えないものだった。すでに見たように子登のオリジナルでもなく宋代の禅籍に見えるものだ。はたしてこれを「参」の中国的理解だとか、インド以来の仏教的発想によるものだとか言っちゃっていいのかどうか解らない。もしかするとすでにこれについて調べている人があるかもしれないけど、いまのところそっちは当たっていない。
 でもおもしろいなと思う。
 どうしてここで「幽界」のことまで引き合いに出てくるのだろう?
 『祖庭事苑』の立項には(『世説故事苑』に見たように)早參・晚參・小参を出し「是皆以謂之參」とするが、ということは禅僧の力に関わるものなのだろうか?
 そう考えると和語と漢語の語義の拡がりよりも、なにか奥深い「参」の意味にたどり着きそうに思うのだが、残念ながら今の時点ではここまでの思いつきで「まいった」と言うしかない。
 乞う、賢者のご教示を。

【世読】No.8「参(サン・マイル)」巻一〈倭文用語類〉(web読書会『世説故事苑』)

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これも禅家より出たり。禅家に朝の上堂を早参と云い、暮に看経するを晩参と云い、不時に説法するを小参と云う。総じて和尚に拝謁して法を問うを参ずると云う。
今俗に彼(かしこ)に到るを参すると云い、参(まいる)と云うこれに依ってなり。参の字義はまじわると云う義なり。故にまじわりにいたると云うを中略して参の字をまいると読せたり。[この訓正しく参詣の二字なり]次下に引く『事苑』の釈を見ばこれ等の義善く会すべし。
○『祖庭事苑』八に曰く。「禅門詰旦に昇堂す、これを早参と謂う。日晡に念誦するこれを晩参と謂う。非時の説法これを小(しょう)参(さん)と謂う。それこれ皆な以てこれを参と謂うは何ぞや。曰く“参の言為(ことたる)それ広くして且つ大なり。謂く幽顕皆な集まり神龍並び臻(いた)る。既に聖凡間(へだ)つること無し豈に輙(たやすく)僧俗を分たんや。ここを以てこれを参と謂う」。

よこみち【世読】No.7「ちんぷんかんぷん」

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 挨、拶、いずれも一対一で禅僧が相対した時、相手の禅機をはかるところから生まれた語。この本編の解説は、ときに一見意味の通じにくい仕草や言葉を交わすこともある禅問答を踏まえているものだ。
 落語「蒟蒻問答」は、禅問答のちんぷんかんぷんさをパロディにしたものだが、あらためてこの話を聞くと、これはかなり秀逸なものではないかと思う。
 仲間を募って毎月一度『碧巌録』を読んでいる。入矢義高先生の岩波文庫本をテキストに、末木文美士先生の現代語訳とともに、そして小川隆先生の禅語録に関する著作を参考にして読んでいる。訓読文であり、現代語訳であり、しかも詳細な註があるのだからよくわかる・・・かと言えばさにあらず。情けない話だが、一つの文章をわかるまでにはかなりの難儀をしている。正直に言えばよくわからないまま読み飛ばすことも往々にしてある。垂示・本則・着語・評唱・頌・着語・評唱。各本則をめぐると雪竇と圜悟のバトルに翻弄されっぱなしだ。それでも時に評唱の説明がすっと入ってきたり、入谷先生たちの訳語や解説にうなずいたりという(決していつもそうだとは言わないが)腑落ちの経験がこの会を持続する支えになっている。
 しかし日本に禅語録が伝わって以来、現代に至るまでほとんどずーっと「誤読の伝統」が維持されてきた、と入谷先生は言う。詳しいことや実例はそれぞれの先生達の著作に豊富にあるのでここでは省略するが、精緻な研究の成果に接して私も「きっとそうだったんだよな」と思う。これに乗っかって誤解を怖れずに言えば、日本の禅宗における禅語録理解というのは、わかっていないものがわかっていないものにわかっていないことを伝え続けてきた、と言えてしまうのではないというくらいおそろしい状況にあったのだと思う。今初めて私たちはこうした先生達の手引きによって禅語録本来の意味に向きあい始めたと言えるのかもしれない。
 そんなわかっていないものがわかっていないものにわかっていないことを伝えているという禅僧のウソを、「蒟蒻問答」の作者は(禅問答の内容を察知していなかったとしても)見抜いていたのだと思う。永平寺で修行し諸国行脚中だという禅僧・托善も、住職になりすました蒟蒻屋の六兵衛も、わかっていないという点では同じ穴のムジナ。それをこの落語は痛快に笑い飛ばすが、じつは当時の禅僧達への痛烈な皮肉でもあったのだ。

【世読】No.7「挨拶」巻一〈倭文用語類〉(web読書会『世説故事苑』)

 これ禅家の語なり。禅家に一機一言にて来者の胸中を試むるを挨拶と云う。俗に客に対談するを挨拶と云はこれに依ってなり。
○『碧巌集』三に曰く。「玉は火を将(も)って試み、金は石を将って試み、釼は毛を将って試み、杖は水を将って試み、衲僧門下に至っては一言、一句、一機、一境、一出、一入、一挨、一拶、向背を見んことを要す」[文]
『篇海類編』八に云く。「挨は鴉蟹の切、音は矮、推なり。また撃(たげき)なり。また拶は姉末の切、声は雑に同。逼拶なり。譌(あやま)って拶に作る」[文]然れば、挨拶とは推(すい)撃(きゃく)逼切(ひっせつ)して彼が胸襟(きょうきん)を勘破する意なり