BON's diary

「何考えてんだ、お前はっ!」 「い、いろんなこと」

【真読】 №142「白髪の年少」 巻六〈雑記部之余〉(『和漢真俗仏事編』web読書会)

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 たとひ白髪の老僧なりとも、無徳なれば小僧に同じ。これを白髪の年少と云う。『行持鈔』に云く、律の中に、阿難、衆を摂するに無法なるを、迦葉見て呵して「年少」と呼ぶ。阿難、問うて云く「我れ今、頭白し。何故に年少と呼びたまう」。迦葉、答えて曰く「汝、善く察することあらざれば年少に同じ」と。

よこみち【真読】 №141「やけどするわよ」

 かつて、近くのお寺でぼや火事があり、お見舞いに伺った。庫裏には方丈様がおいでになり、そのお寺の総代さんが二人ほどいて、事の対処に相談中のようすだった。表書きに「祝融見舞い」としたためた赤のし紙の清酒二升を床の間に捧げ、このたびは大変なことでしたと口上を述べた。
 と、居合わせた総代さんの一人が床の間の品を怪訝そうに見つめながら私にこう言った。
 「方丈さん、これはなんと読むんですか」
 「しゅくゆうと読みますが」
 「赤のしにお祝いというのはどういうことですか」
 険のある口調を隠そうともせずに総代さんが重ねて言う。
 なにか怒っているのだろうと不審に思い、すぐに気がついた。
 「あ、この“祝”とあるのは“お祝いの”意味じゃないんですよ。“祝融”と言うのは火事のことで、もともとは火の神様ということなんです」
 あわててそう弁解したが、向こうは自分たちのお寺が火事で大変な目に遭い、こうして深刻な相談をしているのに、「お祝い」とはどんなふざけた料簡だ、とそのように受けとめたらしい。懸命に誤解を解くべく努めたが、「赤のし+祝」の持つお祝いムードは思った以上に強い効果だったようで、総代さんの不快な表情は最後まで崩れなかった。
 知ったかぶってそのような表書きを用意したわけではないのだが、ふり返ってみれば、人の受け止め方に対して配慮が足りなかったということになる。自責点1というところか。

 祝融三国志演義ではかなり強力な女性キャラとしても描かれる火の神である。
 世に「触れたら火傷しそうな女」という言い回しがあるが、それはなにもこの祝融に触れることではない。おそらくは恋愛の煉獄に引きずり込まれそうな魅力をたたえた女性のことをそう言うのだろう。幸か不幸かプライベートでそのような危険な目に遭った事がないので想像でしかものが言えない。
 そうしたアブナイ女とはまたタイプが違うようだが、本編で挿画に使った八百屋お七。その実像と世間的イメージとの違いにも議論がにぎやかなようだが、ここではしばらくそうしたにぎやかさから離れて物語の中のお七、西鶴好色五人女』の八百屋お七のことに触れてみたい。

 ここに本郷邊に八百屋八兵衞とて賣人むかしは俗姓賎しからず此人ひとりの娘あり名はお七といへり。年も十六花は上野の盛月は隅田川のかげきよくかゝる美女のあるべきものか都鳥其業平に時代ちがひにて見せぬ事の口惜是に心を掛ざるはなし

 お七登場の描写はかくも美しい(それにしてもこのあふれるごとき文章の饒舌、話が逸れるのでここでは追わないがすごいなといつも思う)。で、一方の主人公、小野川吉三郎との初見の場面。

 やことなき若衆の銀の毛貫片手に左の人さし指に有かなきかのとげの立けるも心にかゝると暮方の障子をひらき身をなやみおはしけるを母人見かね給ひ。ぬきまゐらせんとその毛貫を取て暫なやみ給へども老眼のさだかならず見付る事かたくて氣毒なる有さまお七見しより我なら目時の目にてぬかん物をと思ひながら近寄かねてたゝずむうちに母人よび給ひて。是をぬきてまゐらせよとのよしうれし。彼御手をとりて難儀をたすけ申けるに。此若衆我をわすれて自が手を痛くしめさせ給ふをはなれがたかれども母の見給ふをうたてく是非もなく立別れさまに覺て毛貫をとりて歸り又返しにと跡をしたひ其手を握かへせば是よりたがひの思ひとはなりけるお七

この「やんごとなき若衆」が吉三郎。お七とのふれあう場面は青春ストーリーもののように淡いタッチ。じつはこの物語を読んでいて思ったのだが、表面的な物語としてはついに展開せずに終わるのだが、お七の母の吉三郎に寄せる思いがほの見えるところが個人的にはけっこう趣あっておもしろく感じた。
 やや話はもどるがこの二人の出会いの舞台、駒込の吉祥寺である。もとはと言えば天和2年、江戸に大火が出て、多くの人々が焼け出され非難した先が吉祥寺。そこに身を寄せたまま過ごしていたお七の出逢ったのが、寺小姓として吉祥寺にいた吉三郎だったのである。銀の毛貫をきっかけの出逢いもそうした状況の中でのことだった。
 広壮な建物のようすの吉祥寺、二人の居場所は離れていたようで、そのいきさつがあった以後は再び出逢うこともなく翌春の正月となったある雨の夜、折から葬儀のために住職以下寺僧達は外へ出かけた。春雷の音激しく深夜にいたり、お七は母親のそばから布団を出でて吉三郎を探し求めて寺内をさまよう。たまたま台所で出逢った姥や常香盤役の小僧の導きで吉三郎の寝所にお七はたどり着く。二人寄り添い、聞けば吉三郎も十六歳という。もどかしいやりとりを応酬した後に結ばれる場面。

 何とも此戀はじめもどかし後はふたりながら涙をこぼし不埓なりしに又雨のあがり神鳴あらけなくひゞきしに是は本にこはやと吉三郎にしがみ付けるにぞおのづからわりなき情ふかくひえわたりたる手足やと肌へちかよせしにお七うらみて申侍るはそなた樣にもにくからねばこそよしなき文給りながらかく身をひやせしは誰させけるぞと首筋に喰つきけるいつとなくわけもなき首尾してぬれ初しより袖は互にかぎりは命と定ける

 現代風の具体的事柄に描写の及ばないのが西鶴の節度なのだろう。言ってみれば町娘のお七が、寺で見初めた小姓の部屋に夜這いへ出かけた場面である。発表当時はかなりの評判を呼んだらしい。
 さて翌朝、お七を探しに来た母親に見つかり、ことを察した母親によってお七は厳しい監視の目の元に置かれることとなる(ここにもお七の母と吉三郎との“関係”がうかがわれるように思うのだが)。二人の中は以来進展したようすがない。
 この後、寺を出でて暮らしに戻ったお七の家へ、ある日、松露土筆などを手籠に入れた物売りの少年が訪れる。里から来たと言うも折からの雪となり、亭主は土間の片隅に一泊の宿りを勧める。ところへ姪がお産との知らせ、亭主夫婦は出かけ、家に残った物売りの子の笠をお七がのけてみるとそれは身なりをやつした吉三郎その人であった。再会の喜びに浸るもつかの間、父親が帰ってきてしまい、二人は隠れて文を書きつけては見せ書きつけては見せするほかどうにもしようがなく朝を迎える。従前に増して思いが募ったまま別れる二人。
 よく知られたお七が火つけに及ぶのはこの後の話。もう一度火事になれば吉三郎に出逢えると思い。あとはご存じのように未然に終わった火事騒ぎではあったが、その咎人であるお七は死罪に。世をはかなんだ吉三郎は出家して僧となりお七の菩提を弔ったという。物語としては蛇足めいているがその落髪の場面。

 此前髪のちるあはれ坊主も剃刀なげ捨盛なる花に時のまの嵐のごとくおもひくらぶれば命は有ながらお七さい期よりはなほ哀なり古今の美僧是ををしまぬはなし惣じて戀の出家まことあり

 お七にも増して吉三郎の俗縁を断つ場面を「なほ哀」れという西鶴。ここにちらりと見える男色の気配もしばしば話題となるところではある。
 さてこの話、大胆な行動に突き進むお七の恋情パッションが主要なテーマではあるが、もう一つ、十六歳の女性をそこまで駆り立てた吉三郎の「美僧」ぶりが重要な要素となっている。のちに物売りの里の子に身をやつしてお七の家を訪ねてゆくあたり、吉三郎にさほどの世知に長けたかけ引き上手のようすなないのだが、それだけにイノセントな美少年性が際立つ。女をして恋の煉獄に引きずり込まずにはおかない、「触れたら火傷しそうな男」と言えるだろう。

【真読】 №141「火難あれば鐘を打つ」 巻六〈雑記部之余〉(『和漢真俗仏事編』web読書会)

 火災あれば鐘を打って人を集むること律に出たり。『五部律』に云く。もし野火来たらば、まさに揵稚(けんち、鐘なり)を打って唱令せよ。

よこみち【真読】№140「クスリの効果」

 仏教で薬と言えばすぐ思い出されるのが薬師如来。あの左手にもつ薬壺について12世紀の真言密教書『要尊法』中に次のように見える。
「法界定印上有藥壺。壺内有十二大願妙藥放十二光照。施主身遇此光者除病延命」(大正蔵78、194c)
 ここにある十二種の大願とは、
 光明普照(自らの光で三千世界を照らし、あまねく衆生を悟りに導く)
 随意成弁(仏教七宝の一つである瑠璃の光を通じて仏性を目覚めさせる)
 施無尽仏(仏性を持つ者たちが悟りを得るために欲する、あらゆる物品を施す)
 安心大乗(世の外道を正し、衆生仏道へと導く)
 具戒清浄(戒律を破ってしまった者をも戒律を守れるよう援ける)
 諸根具足(生まれつきの障碍・病気・身体的苦痛を癒やす)
 除病安楽(困窮や苦悩を除き払えるよう援ける)
 転女得仏(成仏するために男性への転生を望む女性を援ける)
 安心正見(一切の精神的苦痛や煩悩を浄化できるよう援ける)
 苦悩解脱(重圧に苦しむ衆生が解き放たれるべく援ける)
 飲食安楽(著しい餓えと渇きに晒された衆生の苦しみを取り除く)
 美衣満足(困窮して寒さや虫刺されに悩まされる衆生に衣類を施。)
というものらしい。言わばもろもろの衆生の苦悩を救う「妙薬」というわけだ。
 本編で紹介されていた晋の高僧・法開は、なぜに医術を用いるのかと問われ、、「六度を明らめて以て四魔の疾を除く」と答えていた。六度とは六波羅蜜のこと、すなわちち布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧を言う。四魔とは仏道修行を妨げる四つ、すなわち煩悩魔、五蘊魔(身体的苦悩)、死魔、天魔(善行の障碍)を言う。
 薬師如来と法開、いずれの場合も医薬を用いる理由に、衆生救済の目的に基づくことかくのごとしである。
 で、ここからちょっとくずしにかかるのだが。
 薬というものは、ことほどかように人々がこうありたい、こうなりたいという祈願に応えるべきものとしてあるわけだ。となれば、それはなにかの疾病の治癒という目的を越えて、ふつうであれば果たせない願いごと希みごとを果たすための、それこそ「妙薬」という役割も求められることになる。
 本編の挿画にハリーポッターの一場面を借りたが、あの物語に登場する薬の数々はその名も「魔法の薬」。身体を透明にする、誰かの好意をひきおこす、時間を自由に移動する等々、治病という行為を逸脱してその効果が展開するものだった。そんな「魔法の薬」の伝統が日本の宗教の中にもある。
 おそらくこういう傾向の話になると、山奥で怪しげな薬を調合する仙人などを想像する人もあるだろう。その源流をたぐると、中国の道教などが思い浮かぶだろう。ハリーポッターの背景にあるヨーロッパの魔術の伝統も洋の東西こそ違えども同じ流れになるのだろう。
 話を戻そう、日本の場合である。道教の影響も受け、仏教と神道双方の影響も色濃く受けつつ、なお独自の展開を果たした修験道にその事例がたんとある。そのいくつかを見てみよう。
 以前、なかなか別れられない男女の仲をきれいさっぱり別れることのできる呪いとして紹介した「離別法」を載せている『修験深秘行法符呪集』がその一つである。
 http://ryusen301.hatenablog.com/entry/2017/11/02/114932
 同書の紹介はその時の記載にゆずり、まずは実例を引こう。
 一つめは「乳不出吉符形之大事」である。母乳の出の悪い時の対処法のようだ。
 
 「妙法蓮華経」。この文を書いて符にして、蘂を一束に切って、天目に三盃の水を入れ、七分に煎じて呑むべし。祈念には水神の呪弊を切って粢を供し、能く能く祈念すべし。秘事なり。

 とある。
 次の二つは内服薬ではないが、恋愛成就に関わるものである。
 はじめに「千手愛法」。

 鴛鴦(おしどり)一双、生きながら鳥尾を抜き、雄鳥の尾には夫の姓名を書き、雌鳥の尾には妻の姓名を書く(共に朱砂を以て之を書く)。その書き様は尾の茎の右の方に姓を書き、左の方に名を書く。かくの如く書き了り、文字の書きし方を相合わせ、糸を以て本を結び、紙を以て之を包む。上下を捻(ひね)って、仏眼真言を誦し、次に千手陀羅尼五十遍誦す。之を加持して結願の後、紙を以て之を巻き、続飯(そくい:飯粒をつぶして作った糊)を以て之を封ず。続目の上下に(梵字)字を書き、その中に(梵字)字を書く(合わせて三字なり)。かくの如く書き了えて、施主の許(もと)に送り、その頸(くび)に掛けしむる。
 右は、男女相背く時これを作るべし。これ敬愛の法なり。
 『千手千眼合薬経』に云く、「もし夫妻不和の形有りて、水火の如くならば、鴛鴦(おしどり)の尾を取りて、大悲心の像の前に於いて、呪すること一千八遍して身上に帯びよ。彼此歓喜して終身相愛してこれを敬う云々」。
 この作法、すなわちこの文意に依れり。

 次に「恋合呪」。

 紙にて人形(ひとがた)二つ調え、男女の姓名、干支年を書き、二つ向き合わして糸にて能く能くくくり包み、上に左の通り書き、
 「 伊弉諾尊
       猿田彦明神
   伊弉冉尊      」
 愛染の真言を唱えて祈念し、左の歌をよみ
 「世の中は三つよの神のちかいにて
   をもふあいだの中とこそ(梵字五字)」
 右、人形の守りを、思うさる方へ一夜枕にせしむべし。

 以上である。
 『修験深秘行法符呪集』は修験道当山派の所伝。本山派にもおそらくは似たような所伝があるかもしれない。これのみならず修験道そして仏教各宗の周縁的領域には、「深秘行法符呪」に関わるものが伝えられており、そこでは人間のあらゆる希求・願望に対応する「秘事」がまことしやかに語られている。残念ながらそれぞれの実効性を証明する実験データについては、寡聞にして知らない。
 どうぞ心に思うところある方はお試しいただきたい。効き目無くてもともと、もしやひょっとしてお互いに「彼此歓喜して終身相愛」の仲になれるならもうけもの。あるいはなにかの障りあってこじれた仲になったとしても当管理人は一切関知しないけれど。

【真読】 №140「僧の合薬」 巻六〈雑記部之余〉(『和漢真俗仏事編』web読書会)

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テキスト http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/818707 コマ番号60

 『事鈔』に『善見律』を引いて云く、医師と作(な)ならば吉羅を得て、出家の五衆ために薬を合わすことを得る。もしくは和尚、父母の寺に在りて疾病せば、弟子、また薬を合わせることを得る。
 ○『資持記』に曰く、今時の医者、もと財を求むるがためにす、既に道業に非ず。正しく聖教に乖(そむ)く。慈を懐き物を済うもの、いまだその人を見ず。然るに古の高僧、また兼ね済うこと有り。故に僧伝(『梁僧伝』第四)に明かす。晋に法開有り。善く方脈に通ず。ある人法師に問う、「高明にして剛簡なり。何ぞ医術を以て禳(いの)りを経るや」。対えて曰く、「六度を明らめて以て四魔の疾を除く」。

「声もよし節もよしとて高ぶるな」

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 「声もよし節もよしとて高ぶるなまごころなきは下手とこそ知れ」。

 梅花流を学ぶ人であれば一度はこの歌を耳にし、あるいは目にしたことがあるだろう。詠唱の技巧や恵まれた声音の資質に奢ることなく、至心かつ謙虚に信仰のお唱えとして勤めよ、という梅花流詠唱者へのいましめとしてよく知られた和歌である。

 昭和41年4月に刊行された『梅花流師範必携』「Ⅱ 詠唱法」の中で、

 

  一 詠唱の精神
 詠讃歌は仏教音楽の一つであることはいうまでもなく、従って一般の流行歌や俗謡とは第一にその心得から全然別で法悦・報恩・感謝とそれぞれこの心持ちが中心で、心清浄、身端正に唱えねばなりません。音声の美を競い節廻しの巧拙を争うようなことはまさしく邪道ともいうべきで、
 声もよし 節もよしとて 高ぶるな 誠心なきは 下手とこそ知れ
で、梅花流の詠讃歌を唱えたいが私は声が悪いので‐という方があるとすればこれまた大変な心得違いであります。唱えることによって法悦にひたり、仏徳を讃歎するものゆえ、無心にみ仏への帰一を念じつつ詠唱しこの真髄を失念してはなりません。

 

 とあり、その後旧版『梅花流指導必携』にこの和歌は引き継がれている。梅花流のなかでは初めの頃より広く知られていたのだろう。

 誰がこの和歌を詠んだのだろうか。

 『梅花流師範必携』、旧版『梅花流指導必携』にはその作者の名前は見えない。おそらく梅花流初期関係者のどなたかと思っていたのだが、このほどその作者がわかった。それは真言宗高野山金剛流流祖・曽我部俊雄師であった。

 知られるように梅花流は真言宗智山派密厳流をもとに始まる。密厳流は昭和6年の発足、金剛流はそれに先行すること5年早く大正15年に創立されている。ともに真言宗系であり、基本節と呼ばれる大和流以来の基礎レパートリーも共通するものが多い。梅花流伝承曲の多くもその流れを汲む。

 さて密厳流初代詠監・松本尊憲師の文章に次のように見える。

 

 この至心奉詠こそ、私達御詠歌に精進する者にとって、まことに大切なことでありまして、いわばこれが御詠歌の生命であります。
 金剛流でも、昭和の初め頃に出版された『御詠歌和讃詳解』という教典に「声もよしふしもよしとて高ぶるな真心なきはへたとこそしれ」という道歌をのせて、いわゆる声自慢式の御詠歌をいましめておりますが、この歌の真心は、つまり至心奉詠と同じ意味なのであります。(『遍照講講報』第二号、1957年)

 

 詠監とは梅花流にその役職は無いが、他流において流派詠唱を代表・統轄する人を言う。つまり密厳流の詠唱姿勢は金剛流『御詠歌和讃詳解』なる教典にある本歌の精神にならうという表明だろう。『御詠歌和讃詳解』の著者が曽我部師である。

 画像に載せた『高野山大師教会金剛講御詠歌和讃詳解』昭和4年発行(2年後の昭和6年に第9版を重ねていることから同書の盛行ぶりがうかがえる)がそれである。じつはこの本、かねて探していたのだが、なかなかの稀覯書らしく心当たりの図書館・資料室には求めることかなわなかった。昨年、友人・三重県の梅花師範S師より高野山大師教会の資料室に尋ねていただいてその複写資料を手にすることができた。その書中、「金剛流詠歌奉詠者心得(一)」と題して、曽我部師が十種の道歌を挙げている。
 
 一ツ ひとあてにとなふるうたはみほとけに ささぐるうたとにてもにつかず
 二ツ ふにつくなふにはなるるなそれをしも ゑいかのみちのたつしやとぞいふ
 三ツ みなひととひとつのこゑにとなふるを どうぎやうとこそまうすべけれ
 四ツ よきふしをならはぬうちにくせつけば なほりにくきがならひなりけり
 五ツ イロツヤのなきにはつけてイロツヤの あるにつけぬをがりふとぞいふ
 六ツ むつかしといふてならはぬひとたちは ならはぬきやうをよみたがるひと
 七ツ なむだいしおろがむこころそのままを うたふゑいかはしんのごゑいか
 八ツ やすむまもはたらくときもゑいしやうの こころにみつるのりのよろこび
 九ツ こゑもよしふしもよしとてたかぶるな まごころなきはへたとこそしれ
 十ヲ となへかつおこなふひとをこのみちの しんのぎやうじやとあほぐべきなり

 

 見ての通り、このうち九番目の道歌がくだんのものとなる。他の九つはそれぞれに伝えられたのだろうが、「こゑもよし」一首が密厳流詠監の筆に留められ、梅花流に伝えられたと云うことだろう。

 

 以前、詠唱法具の意味づけについて触れたことがあった。

http://ryusen301.hatenablog.com/entry/2017/02/08/062334

http://ryusen301.hatenablog.com/entry/2017/02/14/150214

http://ryusen301.hatenablog.com/entry/2017/02/14/214015

http://ryusen301.hatenablog.com/entry/2017/02/16/185820

 その詳しい意義内容までは梅花流は取り入れなかったが、法具の名称「鈎杖(しゅもく)」「杖索(ひも)」などは初期梅花流が真言宗ご詠歌の先例にならって受けいれたものである。

 また詠唱の姿勢として真言密教の代表的教義「身口意三密」も初期梅花流で強調されてきたところである。

 これらに加えて「こゑもよし」一首が、金剛流以来の真言宗ご詠歌の伝統であると明らかになった。

 

よこみち【真読】№139「世渡り上手は嫌われる?」

 知に働けば角が立つ、情に棹させば流される。

 さとりにたどり着けぬ、迷いに閉ざされた領域、そのそれぞれを八種に分かって三塗(途とも)八難という。その八番目「世智弁聡」。中村『仏教語大辞典』には、「世俗のことにさかしく利口なさま。世渡りの智慧があり、賢いこと」とある。世間的には非情にメリットに富むこの能力はしかし、「仏の正法を信ずることができない八難の一つ」と一蹴される。少なくとも仏教の立場からは。
 「世渡り上手」「世知に長ける」「抜け目ない」等、この能力を評価する言葉は概してあまりよいイメージがない。本編で「世法」に親しむことを誡めているトーンはここに通じている。「世知」に通ずることは仏教ではタブーなことらしい。
 『楞伽資持記』から「世法なるを以て、出家の業に非ず」という一文を子登は引いていた。出家と世法は相対立するもので、世俗から離反していることによって出家性は担保される。なるほど話としてはわかる。
 でも婚姻し、家族を持ち、世襲によって寺院を相続することがほぼ一般化している現代において、この「出家性」はいかほど意味を持つものだろう。あるいはそんな「出家者」はどれほどいるのだろう。
 こんなふうに「出家性」がほぼほぼ幻想に過ぎないと開き直ってしまえば、「世智弁聡」に対する評価も自ずと変わらざるを得ないのではないだろうか。
 そう言うまでもなくすでにそれぞれの寺院の現場では、「開かれた寺院」とのキャッチフレーズで「世俗」に向かってあの手この手でアプローチしている寺院活動がにぎやかだ。「集客力」「発信力」「経営能力」これらに長けた僧侶の力がもてはやされるが、これらはみな「世法」の能力、「世智弁聡」の力のなせる技に他ならない。
 ことわっておくけれども、そうした傾向を指摘はするが、批判しようという意図はない。私達はそのように変化しているということを先ず認めよう、と言いたいのだ。片足を世法の側に置きながら、口先で世渡り上手批判を唱えるのは、世渡り下手の愚痴にきこえてもしかたないだろう。求められているのは「世法」に対する新たな折り合いのつけ方だ。
 ふと思うのだけれど、幕末や明治頃の眼蔵家と言われる禅僧たちのこと。難解で知られる『正法眼蔵』をぐいぐいと提撕しつつ、気のあう仲間とは酒を酌み交わし、在俗の葬儀にはきっちり引導を渡す。仏法だ世法だとちまちました論議を口にすることも無く、その間の壁をすっとばして、双方の上にどっかりと坐る。そんな「野太さ」がいつのまにか伝えられなくなってしまった。

 彼らは現代の僧侶を見てなんと言うだろうか。

 意地を通せば窮屈だ、とかく人の世は住みにくい。