BON's diary

「何考えてんだ、お前はっ!」 「い、いろんなこと」

長崎七左衛門

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長崎七左衛門(1731年-1820年)

秋田県北秋田市七日市(旧七日市村)
長岐家7代目の当主。
久保田藩坊沢村の長崎清左衛門の四男として生まれる。その後、七日市村の長岐家に婿入りし、25歳で長岐家の7代目当主となった。ただ、七左衛門は婿入りしているのに、名字を変えていなかった。
長崎七左衛門は農業技術の改善に尽くし、数多くの著作を残している。 1766年に伊勢参富に旅立ったが、その途中で九州筑前国の農学者宮崎安貞の『農業全書』を入手しそれを元に村の環境に適する稲作について実験し結果をとりまとめ、数々の農業書を著した。
1764年『羽州秋田蝗除法』を著し、秋田に胡麻油を使った害虫駆除法を伝えた。同じ地区にいた般若院英泉も同時期に胡麻油を使った害虫駆除法を広めている。『老農置土産』、『老農置土産付録』、『農業記』、『農業心得記』などを記して農業技術の普及に努めた。
また、治水灌漑事業にもつとめ、崩れやすい場所の農業用水路を鉱山技術者を活用した岩堰や穴堰によって改良する事業を行った。
農業技術だけではなく、『妙薬集』という医学書や『大事代記』、『松前太平記』という本も著し、『文化十四年丑六月洪水記録』などの記録も残している。これは、915年の十和田火山の噴火による、鷹巣盆地水没の伝承の唯一の記録となっている。また、天明の飢饉の救済に奔走し、その記録も詳細に残している。
長崎七左衛門は長生きをして90歳で長寿を全うした。