太田水穂「傘松道詠集と良寛」『和歌俳諧の諸問題』1926(大正15),共立社
「ここに云はうとするのは傘松道詠集と良寛の歌との関係である」
「傘松道詠集は鎌倉時代の産出であるが、あの新古今の風体が盛りを極めた時代に、仮令大部分道歌であったとは云へ、之れだけの家風を自分のものとして匂はしていたのは力づよい事である」
道:春は花夏ほととぎす秋は月冬雪さえて冷しかりけり
良:形見とて何のこすらん春は花夏ほととぎす秋はもみぢば
道:この心天つ空にも花供ふ三世の仏にたてまつらばや
良:この岡の秋萩すすき手折りもて三世の仏にたてまつらばや
道:草のいほに立ちてもいても祈ること我より先に人を済さん
良:柴の戸に立ちてもいてもすべぞなきこのごろ人のきてもとはねば
道:草のいほに寝てもさめてもまをすこと南無阿弥陀仏あはれびたまへ
良:いかにしてまことの道にかなはんとひとへに思ふ寝てもさめても
道:山深み峯にも尾にも声立てて今日も暮れぬと日ぐらしの鳴く
良:高砂の尾の上の鐘の声聞けばけふの一日は暮れにけるかも
道:いかなるが仏と云ひて人とはばかひ屋がもとにつららいにける
良:いかなるが苦しきものと人とはば人をへだつるこころとこたへよ
良:世の中のほだしを何と人とはばたづねきはめぬ心とこたへよ
道:山の端のほのめくよひの月影にひかりもうすくとぶ蛍かな
良:あしびきの片山影の夕月夜ほのかに身ゆる山梨の花
道:世の中は何にたとへん水鳥の嘴ふる露に宿る月かげ
良:世の中は何にたとへんぬば玉の墨絵にかける小野の白つゆ
「道元の歌が良寛の歌の先蹤となったことは明らかである。ことにその家歌風の自然なところ、心の素直なところなど、風体そのままが両者全く似通うて一見見分けのつかないまでに覚える。単に同宗門の祖師たるばかりでない。道元は歌に於いても、良寛の祖師であるように思へる(大正10年3月)」