BON's diary

「何考えてんだ、お前はっ!」 「い、いろんなこと」

ジョン・W・ダワー「第10章 戦争直後の日本からの教訓」『忘却のしかた、記憶のしかた-日本・アメリカ・戦争』(訳・外岡秀俊)201308、岩波書店

解題

「この文章は2002年10月末、イラクにたいする戦争の体勢が一段と変速ギヤを高めたころに、『ニューヨーク・タイムズ』紙の論評ページに掲載された。それはまた、米政府当局者たちが、フセイン打倒後のイラクに期待される解放と親米への方向転換にあたって、モデルや鏡。それどころか一種のお守りのように、第2次世界大戦後の日独占領を思いおこし始めた時期だった。そうした推論にあたって日本は、すぐにドイツよりも魅力的な道標としてあらわれた。はっきりとした理由からだ。イラクのように、日本は非西洋であり、非白人であり、非キリスト教であったからだ」

イラクと戦後初期の日本について知る人ならだれでも、日本の専制主義と軍国主義を排除するにあたって、その成功に寄与した重要な固有の要因すべてが、イラクには欠けていることを認識したろう」

「『ニューヨーク・タイムズ』紙への論評は、もちろん、なんの効果もなかった」

「こうした警告がホワイトハウスの上層部になんの効果ももたらさなかったということは、帝国風の大統領職のもとで、「民主主義」が真に機能するかどうかについて、反省をうながす論評を突きつけるものだろう」

 

本文

9・11事件の衝撃にたいして、アメリカじゅうのジャーナリストや専門家は、歩とんと一体となって、ただちに60年前の日本による真珠湾攻撃を呼びさました。新聞は真珠湾でつかわれた「恥辱の日(day of infamy)」という見出しを掲げた」

「アメリカが、第2次大戦後の日本占領を成功させたことが、サダム・フセイン後のイラクにおけるアメリカの建設的役割のモデルとなるのではないかというのである。

 端的に答えをいえば、結論は「ノー」である」

「占領下の日本の国づくりの成功に貢献した要因のほとんどは、イラクにおいては存在しないだろう」

「偉大な風向計だった裕仁天皇は、戦勝者にたいし重要な個人的保証を与えた。そしてすぐに、日本人はすべての階層において、惨めで勝ち目のない戦争をはじめたみずからの軍国主義の指導者を非難した。サダム・フセインはけっして裕仁天皇の代わりにはなりえない」

「1945年から1952年にわたってつづいた占領で、占領軍にたいする日本人テロは一例もなかった。占領下のイラクでも同じだと、本当に確信できる人がいるだろうか」

「たぐいまれなカリスマ性をもつ最高司令官ダグラス・マッカーサー元帥」「それに匹敵するような民政の権限をふるうとは、想像すらできないことだ」

「日本の民主主義を、今に至るまで定義づけている法的。制度的な大改革」-農地解放・労働者の組織化・国家による交戦の禁止・進歩的な市民権を保障する新憲法起草・学校の構造改革・教科書の改訂・民法、刑法の改正-

「アメリカが、敗戦国日本に民主主義を制度化することができたのは、究極的には、たんに戦前の日本に民主主義の強い伝統があっただけでなく、それまであった官僚機構が残り、占領軍に協力したからだった」

「日本占領の特異な性格」-日本は島国、イラクはつねに介入を狙う隣国と国境を接している-

「もっと重要なことは、1945年から1947年にかけて、米政府の政策立案者が欧州の事態に気を取られていたため」マッカーサーチームがスムースに仕事できた。

「敗戦国日本は、自然資源に乏しく」「石油資源が豊かなイラク

 

「占領下の日本は、戦後のイラクにとってなんのモデルにもならない」