BON's diary

「何考えてんだ、お前はっ!」 「い、いろんなこと」

水鳥のみち その4

 3)道元の立場から


 私の考えの結論めいたことをまず記します。それは、
「中国禅の伝統において〈鳥道〉とは没蹤跡を表す常套的用語であって、道元禅師の〈水鳥のみち〉という用例もこの意味を踏まえている」ということです。そしてこの場合
「〈鳥道〉とは空行く鳥の道であることから、〈水鳥のみち〉とは水面を行き交う道のことではない」と考えています。
 以下、説明を続けます。

 「鳥道」という言葉を中国の禅録に尋ねると、そこには枚挙に暇無いほどの文例が出てきます。大正蔵経や卍続蔵経などの検索サイトを利用すればたやすくそれらを見ることが出来ますが、ここではあまりに多いので列挙しないことにします。禅語辞書類にも当然立項されていますのでその一つをあげれば次の通りです。
 
「鳥道 鳥の通い路。痕跡をとどめぬことのたとえ」(入谷義高監修『禅語辞典』)
 
 鳥道について説明する場合、中国禅僧の中でも特にこの語を自身の学人接化の重要な手段として用いたとして知られている洞山の例を見てみるのがよいと思います。
 洞山は、展手(手をさしのべる)・鳥道(鳥の道を歩く)・玄路(玄妙の路に入る)の三つを駆使しして弟子たちを導いたと言われ、後にこれは「洞山三路」という機関として広く知られ、多くの禅僧によって用いられるところなりました。洞山に関する比較的新しい研究である椎名宏雄先生の『洞山』(2010年刊)によって、「鳥道」を説明している箇所を引いてみます。

「没蹤跡という理念の具体例として、洞山は「鳥道」といういわばキーワードを掲げて修行僧を指導する。もともと「鳥道」とは、鳥ならでは通えない険路のことをいい、唐代には玄宗皇帝をはじめとして、李白や王維の詩にも詠われている言葉。ところが、洞山はこれをまったく異なった意味、-鳥の飛んだあとにの大空にはまったく何の痕跡もとどめないことから、心のあり方として没蹤跡のたとえ-とするのだ」

 宗門では「鳥飛んで鳥のごとく、魚行きて魚に似たり」という語が有名ですが、この語は道元の『正法眼蔵坐禅箴』に由来するものでした。道元は、宏智の「坐禅箴」にある、

 水清んで底に徹し、魚の行くこと遅遅たり。
 空闊くして涯り莫し、鳥の飛ぶこと杳杳たり。

 という表現を取り上げ、さらに自身で拈提した上で
 
 水清んで地に徹し、魚行て魚に似たり。
 空闊くして天に透り、鳥飛んで鳥の如し。

 という表現に展開しています。
 この『坐禅箴』をはじめ、正法眼蔵の『無情説法』『洗面』等、他の巻にも「鳥道」の用例は見えます。これらについて椎名先生も前述の著書の中で、

 洞山禅の特徴である「鳥道」の禅風は、のちに宏智正覚の「坐禅箴」、さらにこれを改訂したわが道元「坐禅箴」に承け継がれ、坐禅辨道の基本的あり方とされているのだ。特に道元にあっては、「鳥道」の言葉が『正法眼蔵坐禅箴』の巻に「徹底の行程は挙体の不行鳥道なり」とあるのをはじめ、『正法眼蔵』全巻の中にしばしば依用されている。このキーワードが、道元の修証観に大きな影響を及ぼしていることの証左であろう。

と述べています。
 以上によって、鳥道が道元にとって重要な概念であったことは確認できると思います。

 そして私はこの「鳥道」が、道元の和歌において「みずとりのみち」として展開したのではないかと思っているのです。
 前に、〈中世歌語における「水鳥」の意味〉の節で、日本における中世和歌の世界では、「水鳥のみち」という場合、水上の航跡を意味する場合が多く、渡り鳥の空行く路を指す例はあるにはあるが、さほど一般的ではないと述べました。こうした状況にあって道元の「みずとりのみち」は、その言葉自体は日本の和歌言葉と変わらぬものでありながら、その意味するところは、中国禅の伝統を継承した、没蹤跡の風光を表すものと考えられないでしょうか。
 問題の和歌が「ゆくもかえるもあとたえて されどもみちは忘れざりけり」と歌っているのは、その主題を没蹤跡と解するとき、よりふさわしいものに思えます。

 〈2)道元和歌に対する伝統的理解〉で触れたように、面山の解釈以来、連綿として「水上の往来」に理解し、現在の梅花流の歌誌解説に至っているのですが、今一度検討し直すことが必要ではないかと思います。

 ともあれ小野さんの提言をきっかけとして、卑見を述べました。諸賢のご批判を乞う次第です。