深いね、「やしょうま」!
長野県伊那市。3月も終わりに近いその日、梅花古参の庵主さんのお話を聞いた夜、同行M君の縁故というお寺で夕食を馳走になる。焼き肉の終わった鉄板に、「お、あれがあったな」と堂頭さんが出してきたのが〈やしょうま〉。かねて話しに聞き、つい最近もSNSで話題にしていただけに、そのタイムリーさについうれしくなった。
で、お肉のエキスを遷して香ばしく焼き上がってゆくやしょうまを見ながら堂頭さん曰く、「しかしこの〈やしょうま〉、俺も語源がわからなかったんだけど、〈やせうま〉のことらしいな」と。
即座に「ちがう」と思ったが、ご馳走いただいている立場をわきまえ、そこは「へえ」と相づちを打った。なんでもご友人の山形の方丈さんがそう教えてくれたとか。
なぜ「ちがう」と思ったのか。それは山形の隣・秋田に住む私のところでも〈やせうま〉なる言葉は残っているが、長野の〈やしょうま〉のごとき、涅槃だんごを意味するモノではなかったからである。
たとえばこんな風に使う。
TPO:お正月元旦、孫へお年玉をあげるおばあちゃんが、手渡す時に添える言葉。
「おばあちゃんのは、やせうまっこだばって」
意訳:おばちゃんのお年玉はやせ馬のようにあんまり中身はたくさんじゃなくて悪いけどね
とこんなニュアンス。
これについて何となく憶えていたウンチクは、その昔、贈り物として馬を相手に差し出す時、謙遜して「やせ馬でございますが」と言ったことから始まったとか。「何となく」だからいいかげんなんだけど、そう思い込んで今日まで来た。
だから、くだんの山形のご友人、本来別物をさす「やせうま」なる言葉を、その語感の類似をもとに思いつきのようなことを仰ったのではないかと、ひそかに思ったからだった。
だが今日、ふたたびSNS上で交わされるfbfのみなさんのやりとりを見ていいて、念のためにと手元の辞典をめくったら、どうも〈やせうま〉と〈やしょうま〉を別物と思い込んだ自分の判断は軽率だったぞ、と反省し、あらためてその語源について考えあぐねることになった。
というのは『日本国語大辞典』の「やせうま・痩馬」の項。
1)痩せた馬
2)白糸餅の異称
とある。白糸餅? ふむ。さらにその用例は江戸時代の随筆『嬉遊笑覧』から引いている。
「しんこ馬(略)馬形造りたる真粉なるべし。また馬形にならねども後に白糸餅をやせうまと呼。これは餅のうまき馬といひ細きもの故痩といひたるなり」
てことは、もとは馬の形をしていたが、そのうちに形にこだわらなくなったと言うことか。試しに「白糸餅」画像をググるとこの通り。
さらに『日本国語大辞典』「やせうま」の〈方言〉の用例を見ると、
1)正月に子どもに与えるお年玉(秋田・青森・岩手) さっきのこれだね。
2)2月15日の涅槃会に供える団子(福島・佐渡・長野) わ、あった。
3)団子(豊後) ん?
4)小麦粉を練り、引き延ばして蒸した食品(大分) これって白糸餅?
5)踏み台 6)荷を背負って運ぶ用具 ※地方は省略
ありゃ、ちゃんと2)があるのね。長野のところにはしっかり「やしょうま」という言葉まで載せてある。いやいやごめんなさい、さきほどの山形の方丈様、勝手にちがうなんて言ってしまってすいませんでした。と心から反省いたしました。
でもさっき言ったように、秋田でお年玉をいう時の「やせうま」という言葉には、謙遜の意味合いが必ず付いてくるんだけどな。しかも秋田の場合は(自分で知らないだけかもしれないけど)、団子や餅を連想させるものはないんじゃないかなあ。あるいはお年玉は、昔子どもに団子や餅をやったんだ、って誰か言うかな。その可能性も薄いように思う。だとすれば、もしかすると〈方言〉の用例の1)と2)~4)は違うジャンルってことになりはしないかい。
で、方言の用例で3)と4)の豊後・大分というのがちょっと気になる。
そこでググってみたら、うわ、出るわ出るわ大分って「やせうま」王国なのね。
でも待てよ。大分の場合、いわゆる粉もんの「やせうま」はポピュラーだけど、それって涅槃とつながるのかな? 説明画像には京都の「八瀬」との関連を説くものがあるけど、涅槃との関わりはどうなんだろう。さっきの早とちりもあるから、軽々に判断できないね。大分方面の方、何か情報あったら教えて下さいませ。
さてこうなってくると、「やせうま」=1)お年玉説はしばらく置いといて、粉もんの「やせうま」説、つまり方言の用例2)~4)は同じ仲間とはいうものの、
2)涅槃会の供菓
3)4)宗教行事に関わらない粉もん食品
という違いも指摘できそうだ。
ただここで最前からfbグループ「仏事習俗アラカルト」で紹介していた秋田県大館市曹洞宗寺院の「涅槃だんご」の例も勘案すると、名称は「やせうま」(もちろん「やしょうま」も含むのだけど)と言わないけど、実態はおんなじということもアリですね。
秋田の「涅槃だんご」にくらべて長野の「やしょうま」がはるかに洗練されているようすはよくわかる。ほとんどお店に陳列できる和菓子って言うレベルですもんね。
ただ同じ長野でも、ちょっと違う傾向ものもあった。
もういちど辞書の説明に戻ると、まだ未完成の固まりかけた粉をにぎにぎした状態が馬に似ているという記述もあった。こんなんかな?
さあて、ちらっと述べてきたけど、以上の「やせうま」のバリェーションをひとつの根っこから分化変成してきたものと考えるのは今の時点ではまだ無理だろうな。
ネット情報では大分に集中して見える「やせうま」。ほんとにそうかな。もしそうだとすればどうして大分なのか。それは涅槃と無縁なのか。
長野の「やしょうま」が群を抜いて洗練されているのはどういうわけか。
秋田(ばかりじゃないと思うけど)の涅槃だんごに「やせうま」の名称がついていないのはなぜか。
いいなあ、わかんないことたくさん。でもこの手の「わからなさ」は、その先に有意なおもしろさがひしひし感じられるからいいね。
そしたら『日本民俗大辞典』の「涅槃会」の項に、こんなのもあった。
「民間でもこの日(中略)、ヤショウマ(痩せ馬)という藁の馬を作ったりする」
おお、また新たなる「やせうま」が!
こりゃしばらく楽しめそうだ!!