BON's diary

「何考えてんだ、お前はっ!」 「い、いろんなこと」

よこみち【真読】 №27 「花という饒舌」

  本編の語る「供養花」の由来、どこかしらで仏伝に関わるもので、そしてこれを用いることで他では得られない結果(功徳・福徳)が得られるというもの、これまでの説相と軌は同じ。

 これを、花と仏教、花と宗教、花と文化というところまでアングルを引いて「見る」とどうだろう。

 世界の諸宗教・諸文化を俯瞰できる知識などはなから持ち合わせていないが、少なくとも思いつく限りの古今東西の事案に、花の登場しないものはないように思う。

 仏伝ならば、ルンビニーの誕生からクシナガラの涅槃に至るまで花々に彩られて物語は展開する。他の聖者たちの場合はどうだろうか。個々の聖者の生い立ちを詳しくたどることはここではしないでおくが、それぞれ思い浮かぶ、聖者たちを祀る場所には花があふれているように思う。

 そもそも土色の大地から生え出てきた「緑」自体驚くべき異色の存在。しかもその延長上に開花するのさまざまな花の「原色」の様は、人間のこしらえた人工物を除けばまさに異形のもの。しかし同時に人間の営為の肝心な部分をそこに重ね合わせてゆくことに寛容なのも花。

 人間の営為と花。このあたりに「よこみち」の焦点を合わせてみよう。

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 じつはこうした関心は、人類学の得意分野でもあるので「花」関わるそうした業績がすでに公にされいてるのかも知れない。ちょっと検索した程度ではいくつかのそれらしい情報に当たるのだけど、代表的な・・と形容されるようなものを不勉強にして私はまだ知らない。というわけでなんとか蛇に怖じずで、いつもながらの身勝手な展開に進んでいく。

 「花に仮託される人間の営為」といきなり言ってもどうにも不親切なわけで、せめてこうした入り口くらいは世に共通する定義などを示しておいた方がよいだろう。辞書類の中で『日本国語大事典』の説明が比較的多くの分量を載せている。そこには「花(華・英)」項を次の六つの構成で綴っている。

 〔一〕植物の器官の一つで、一定の時期に美しい色彩を帯びて形づくるもの。12項目

 〔二〕(色や形から比喩的に用いる)6項目

 〔三〕花にあやかったり、花をかたどったり、あるいは花を描いたりした物や事柄。11項目

 〔四〕花の美しく、咲き栄えるさまにたとえていう。8項目

 〔五〕実に対して、花のあだなさま。本物でないもの。あるいは、花のうつろい、はかなく散るさまにたとえていう。5項目

 〔六〕隠語。5項目

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 かくも「花」は饒舌なる意味合いを展開していけるのだが、身勝手な展開とは言いつつも、話がとっちらかってしまってはなんにもならないわけで、話題を絞り込んでいこう。

 〔一〕は、植物の花のバリェーションなのでここはスルー。

 〔二〕あたりから引っかかってくる。いわば「花」が何かの比喩になっているもの。「雪の花」「波の花」「湯の花」「火花」「風花」etc.

 〔三〕もおもしろいのがある。この(3)に二つに分けてあるものを引こう。

 (イ)芸人や力士などに祝儀として与える金品。また、祭の寄付をもいう。かずけもの。てんとう。心付け。紙花と称して、紙をひねって与え、のちに現金に換えることもある。

 (ロ)「とこばな(床花)」に同じ。

 (イ)はいわゆる「おひねり」。友人に、20~30代の頃東京都内のショーも行うホストクラブでホストをやっていた男がいる。女性客の相手とステージを歌を披露することがそいつの仕事だった。追っかけの固定客もいたらしく、彼のステージになると千円札を挟んだ割り箸がブンブン飛んできたとか。中には諭吉もあったという。バブリーな時代。一晩の稼ぎが数十万円(おひねりの「花」だけで)、おおっぴらには言えない稼ぎ方を含めると小さな車を買えるくらい稼いだもんだと言う彼は、現在とある工務店で大工の下働きをしている。移り変わる「花」模様を感じさせる話。

 (ロ)はご存じの方もあるだろうか、遊郭でなじみになったしるしに客が直接遊女に与える祝儀の金」だそうだ。今で言えば風俗店で店に(接客の女性を通す場合も少なくないが)支払う正規の金額以外に、接客嬢に直接渡すチップと言える。

 なんでも「花」とつくと当たりが和らぐものだな。

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 もちろん正規の料金も「花」と言った。

 〔三〕-(6)だが、芸娼妓の花代を計算するために用いる線香。また、それによって計る時間を指して言う。今ならスマホのアラームでピロリンと音がするまでのワンクールになるのだろうが、花線香という方がいかにもゆかしい。どうせコトにおよぶのが一緒なら、そこに関わるアイテムにはこんな「ゆかしさ」があった方がいい、と思うのは歳のせいだろうか。 

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 さて〔四〕。ここにいたって当初のテーマ「花に仮託される人間の営為」の中心にやってきた。舞台や演芸また人生の「花」という言い方が示すように、この場合の花とは「そのもの」の中でもっとも「よい」部分を指す。そして〔四〕-(5)では、男女のはなやかなさかりをいうことば。また、特に美しい女をいい、さらに遊女をもさす。とある。やはり「花」という言葉は、男女のむつみごとに関わっていっそう色鮮やかさが際立つように思う。

〔四-(6)は直球どまんなか。豪勢な遊び。贅沢な遊興。楽しいこと。特に、色事をいう。情事。とある。

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 「花芯」という言葉がよく示しているように、もうここに至っては隠喩とか暗喩じゃなくて直喩いや直接表現というほどに花は生命の根源の象徴だ。

 なんのことはない「受粉」と「受精」の一致を考えれば、ここにことさら「情事」の具体的な場面を想起して鼻息荒くすることもないと思うがいかがだろう。あるいは鼻息荒くすること自体が「自然」のありようなんだからいいんだよ、という方もいるだろうか。

 考えてみれば大地から生まれる自然の生き物の中で、もっとも美しい「花」になぞらえて、人間の生の営みが言われているのは大きな意義あることだと思う。その意味では、ひひひと下卑た笑い声を上げる薄暗がりではなくて、燦然と陽光を浴びる表舞台でこそ「花と人間」の関係は議論されていいと思う。

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 だがここで〔五〕の用例が釘を刺す。その(1)は、人の心などに誠実さがなく、あだなこと。うわべだけであること。また、そのさま。とあり、(2)には、人の心や風俗などの変わりやすいこと。うつろいやすいこと。また、そのさま。とある。

 さらに(4)は、外観。うわべ。虚飾。とあり、「花多ければ実少なし」という文例も紹介されいてる。

 なるほど、饒舌は冗長に通ずる。「花を愛でる」とは、眼・耳・鼻・舌・身・意の6六根によって、色(かたち)・声・香・味・触・法(心意)の六識を味わうもの。言葉を費やすのはどこにも属さない下手の手段。

 あまり多くは「言わぬが花」というところか。

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