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BON's diary

「何考えてんだ、お前はっ!」 「い、いろんなこと」

よこみち【真読】№39 「お供えもの、ごちそうさん!」

 法要後の供物をどうするかという話し。

 №38に続くわけだけど、こうして再び項目に取り上げるほど、『真俗仏事編』編述当時も関心があったということなのだろう。
 坊さん仲間の話では、「うちではよく日本酒が上がるんだ。だから酒屋から酒買ったこと無いんだよな」というお寺がある。うちの先代はお檀家さんに、「仏さんには酒なんかあげるもんでないぞ」と教えていたそうで、その布教教化の成果あってでうちではお酒の上がることはまず無い。うらめしい話である。また他にも、「うちはシーズンになると毛蟹がどっさりくるんだよ」「ご祈祷の時はカツオが丸ごと何匹も上がるんだ。生だからさばききれなくて困っちまうよ」etc.

 が、今回、問題なのはこうした僧侶側の「うらめしい」という、さもしい根性なわけだ。

 「行者」と本編テキストでは言うが、われわれのフィールドから言えば、お檀家さんがお寺にやってきてそれをご本尊さまの前にお供えして法事を営む僧侶というのがその当事者ということになる。
 たった今「さもしい」私自身のことをカミングアウトしたのでそのあたりを突っ込んでみようか。
 前回の「よこみち」でも触れたけど、私のお寺というのは、北東北の内陸にある、もとはといえば農山村の複数の集落に支えてもらっている経営的には「やっとこさ」のお寺。
 今回も先代の話になって恐縮だが、私の見知っている昭和30~50年代頃というのは、お檀家さんの持参してくるお供物は、その家の田畑で取れた物や、近くの里山で収穫してきた山菜・茸がメインだった。当の仏さまにはお膳でしつらえた物をお供えするが、それにはとどまらない。

 お膳の一皿につけた一品、たとえば山菜の煮付け料理などは、お膳とは別に重箱で一つ分をお供えしてくださる。

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 フキ、ウド、シイタケ、ネマガリタケ、サク、ゼンマイなどなど。

 さらには色とりどりのガッコ(お漬け物)。

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 天ぷら。

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 そして、炊き込みご飯。

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 さらにはお総菜にととどまらず、いろとりどりの各家自家製スィーツ。

 たとえばこれは、ごまもち。

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 ごまぼたもち。

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 とうふカステラ。

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 いがもち。

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 え~と、これなんて言ったっけなあ?

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  とにかくこういうものが、あれやこれやと仏様の前に並べられるのだった。

 そして肝心な言葉が添えられる。

「これ、おらえ(俺家)で作ったいたし。めぐね(美味くない)がもしぇねばってあがってたもれ(お食べください)」

 つまり、施主家でははなっから、法要の後はどうぞ庫裏の方へ下げて、ご住職ご家族皆さんで召し上がってください、という気持ちが織り込み済みなのである。

 別に、だからと言って「喰っていいのだ!」と開き直ろうとしているのではない。言いたいのはそこじゃなくて、伝統的にお檀家さんとお寺との間に、そんな暗黙の了解が「しっかりと」あった、ということなのだ。

 今一度ここに挙げたお供物の数々を見直していただくと、それぞれがお檀家さんの家の畑で取れた物、あるいは近くの山から採ってきた物だ。街へ行って購入してきた「よそゆき品」ではない。少々あつかましい推測かもしれないが、お詣りに来たお檀家さんの中には、「うちの仏さんもこれ好きだったばって、和尚さんも話しっこ聞けば山の物好きだってあったがら、これ喜ぶんでねがな」と思って重箱を持参して来てくださる方もあるのじゃなかろうか(いい気になりすぎ?)。

 おお! なんと、こんなブログを法要の合間に書いていたら、さっきのお檀家さんからこんなのもらってしまった。そう、自家製DOVROCKである。

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 マジックで「新」と書いてあって、新しく仕込んだ物らしい。「和尚さん、好きだった聞いだがら」だって。「ごくっっっ!」こりゃすごい。(注:ほんとにたった今いただいたものです)

 あ、え~っとなんだっけ。

 そうそう、お供え物の話である。つまりそういうことで、お供え物には、「一、仏さまへどうぞ」という気持ちと、「二、和尚さんもどうぞ」という二重の意味が込められているんじゃないだろうか、ということなんだ。むろん、これが成り立つための時代や地域性、住職のキャラやお檀家さんの気質など、いつでもどこでもって言うわけじゃないけどね。

 で、じつの話し、こう言うことはだんだん少なくなってきた。あいやDOVに限らずなんだけど。お供え物は自家製の物じゃなくて、「よそゆき品」が増えてきて、かつてはその品物から、〈作ってくれたお祖母さんの顔〉が想像出来たもんだけど、いまでは〈買ってきた店〉が想像出来ることの方が多い。

 ま、もらってばかりのこっちがこんな所にケチつけるようなこと言っちゃ失礼千万だけど、実際のところすこ~しさびしくはある。

 なるほどな。「行者が供物に欲心ちらつかせているようじゃ修法の呪力は得られない」と、本編の言うのももっともだ。お供物の内容を憂えるのじゃなくて、自分自身の法力の無さを憂えなくっちゃいけないよね。