BON's diary

「何考えてんだ、お前はっ!」 「い、いろんなこと」

よこみち【真読】№47「声明と転読」

 今回の本編の文章、初めて読んだのは十数年前のことになる。それは「転読」について、ある別の資料を読んでいた時のことだった。その時以来、「転読」と「声明」についてある見通しが出来、考えもまとまってきた。このたびの「よこみち」は、そうした自分の文章から引っ張り出してまとめることとしたい。やや長いものだけど、あしからず。

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 「転読」についてしばらく考えてみましょう。

 「大般若転読」がありますね。あの「転読」を考えることが、これからのお話を考える上でのヒントになりました。江戸時代の川柳に「大般若 ときどき大きな 声を出し」というのがあります。ブワーッと開いて、ドコドコドコドコ太鼓が鳴って、「ダイハンニャ~」あとはブツブツブツブツ、思い出したように「ゴウブクイッサイ~」と。見ているとあれは大変に威勢良く見えるのですが、少しうがった見方をすると「なあんだ、和尚さんたち。ちゃんとお経を読んでないじゃないか」というふうに見られてしまうらしいのですね。あの「大般若転読」の「転読」は転飜して読む、つまりパラパラ転飜して読むということだと思うのですが。すでにご存じの方もいらっしゃると思いますが、お経の本は今のような折本になるまでは巻物です。巻物のお経の本の中には『大般若経』も当然あります。すると、これをどうやって転読し、どうやって巻くのか。京都(京都市左京区曹洞宗地蔵院)に現在でも巻軸でやっているところがあるそうです。しかし、私の考えからすると、それは折本が発明されて今のようなスタイルができた後に、そのスタイルを再び巻軸でやろうとしたのが、今そこでやっている姿だと思いますので、本来の転読とはやはり違うと思います。中国には今のパラパラやる転読というやり方はないはずです。もし、あったらごめんなさいですけれど。

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 では、「転読」とは何かを考えた人が、面山さまという方でした。二枚目の資料を読みながらまいります。面山瑞方という江戸時代を代表する大学者がおります。「轉読般若考訂」という文章を書いておりますが、それを書き下したものが次の文章です。

 

a 『轉読般若考訂』(一七五五年刊)の所説

面山瑞方(一六八三~一七六九)撰述

 

轉読と云うことを若輩の時、ある真言宗の学匠に問いければ、巻きたる経を一行づつ読みて、次に行を転ずるゆえに、読経のことを云と答えらる。その後右の旨を以て、またある真言師に質しければ、その道理もあれども、実は字より字へ転ずるゆえに、轉読と云と談れける。その証拠をと尋ねけれども、経論には見ず、右の旨に聞き伝ふと答えらる。この両説ともに非なり。今考うるに、元来轉読とは、声を轉じて経咒を読む。今時の四智讃や、梵唄等のことなり。

『名義』四に『法苑』を引いて云く、「西方に唄有るを尋ねるに、なお東国の讃有るが如し(中略) また『仏道論衡』を引て云く、「陳思王、幼きより常に経文を読む。流連にして嗟き、玩ぶこと、至道の宗極なり。遂に転読七聲の昇り、降り、曲り、折りの響きを製す云々」と。この轉読七声とは、音声の昇り・降り・曲り・折ること七種に轉ずる義なり。

梁高僧伝十三に曰く、「釈智宗、最も転読に長けたり。聲は至清にして爽快、座に升りて一たび転ずれば、梵響雲を干す」と。また云く、「釋道慧、特に自然の聲を禀く。故に偏に転読を好くす。響きを発し奇に合う」と。また云く、「支雲籥、特に妙聲を禀く。転読を善くす。かつて天神にその聲法を授くと夢む。乃至、六言の梵唄今に伝響す」と。また云く、「釋曇遷、転読に巧みにして、無窮の聲あり」と。また云く、「釋曇智、高亮の聲あり。雅にして転読を好くす」と。また云く、「釋曇憑、少くして京師に遊び、転読を学ぶ。白馬寺に止まりて乃至、梵音を一吐するごとに、すなわち象馬悲鳴し、行途の足を住む」と。また云く、「帛法橋、少くして転読を楽しむ。しかして聲に乏し。つねに暢びざることをもって慨きとなす。ここにおいて絶粒して懺悔すること七日七夕。観音に稽首して、以て現報を祈る、乃至哀婉神に通じ年九重に至って聲なお変わらず」と。

また『続高僧伝』三十巻に、「釋靜藹、経聲七囀、清靡ならざることなし」と。ここは「轉」を「囀」とせり。囀は声を轉ずることなりと注すれば一字にて轉読のこころ聞こゆ。この数件を証とすれば、さきの真言師の説は憶断なり。総じて、天竺は文雅の風土にて、一切の陀羅尼は押韻なり。ゆえに歌詠讃歎をもって仏菩薩を供養すること多く経典に見ゆ。「以偈讃曰」とも、「以偈讃佛」ともあるは、皆轉読の文句なり。『勝鬘経』の如来妙色神の類なり。

今時洞下の講式の伽陀等、曲節のある経は、みな轉読なり。隋の智舜は一切経を四辺まで轉読せられしこと、唐の『高僧伝』二十一巻に見えたり。

この轉読は、今ごろの真読と謂うよりも、なお丁寧慇懃の義なり。それを轉読はむづかしきゆえに、轉読とて、折本を回転するは、誰人のいつごろより始めたることか、上古の巻軸ならば成るまじ。これは日本僧のむかし轉読とある文字を麁草に心得て、始めたることなるべし。(後略)

 

「轉読と云うことを若輩の時、ある真言宗の学匠に問いければ、巻きたる経を一行づつ読みて、次に行を転ずるゆえに、読経のことを云と答えらる。その後右の旨を以て、またある真言師に質しければ、その道理もあれども、実は字より字へ転ずるゆえに、轉読と云と談れける。その証拠をと尋ねけれども、経論には見ず、右の旨に聞き伝ふと答えらる。この両説ともに非なり」。面山さまは、字から字へ移るのも、行から行へ転ずるのも違うというのです。

 

「今考うるに、元来轉読とは、声を轉じて経咒を読む。今時の四智讃や、梵唄等のことなり」。轉読とは「四智讃」や「梵唄」といった声明節だというのです。

 

『名義』、これは『翻訳名義集』という本の略称ですが、「『名義』四に『法苑』」、この『法苑』とは『法苑珠林』という中国の本です。「『名義』四に『法苑』を引いて云く、「西方に唄有るを尋ねるに、なお東国の讃有るが如し」」。つまり「梵唄」の「唄」と「讃」は同じ意味であるということです。

 

「また『仏道論衡』を引て云く、「陳思王(魏の始祖である曹操孟徳(武帝)の第四子)、幼きより常に経文を読む。流連にして嗟き、玩ぶこと、至道の宗極なり。遂に転読七聲の昇り、降り、曲り、折りの響きを製す云々」と」。転読七聲とは声を転じてお経の文句を歌い上げる、その音声技法を陳思王が七種つくったということです。この陳思王は、後に声明梵唄の祖といわれます。

 

「この轉読七声とは、音声の昇り・降り・曲り・折ること七種に轉ずる義なり」。この轉読七声とは、音声の昇り・降り・曲り・折るという七種の音声技法で以ってお経を読むことであるというのです。

 

この転読をよくしたお坊さんたちの伝が『梁高僧伝』にあります。梁とは達磨大師の時代ですから、かなり古い時代であることがわかりますね。『梁高僧伝』巻十三に『経師伝』があります。「経師(きょうし)」とは、お経をたくみに読み上げる人のことです。ただ棒読みではなく、音声を駆使して声明調に読むことに長けたお坊さんたちの伝がここに書いてあります。

 

「梁高僧伝十三に曰く、「釈智宗、最も転読に長けたり。聲は至清にして爽快、座に升りて一たび転ずれば、梵響雲を干す」と。また云く、「釋道慧、特に自然の聲を禀く。故に偏に転読を好くす。響きを発し奇に合う」と。また云く、「支雲籥、特に妙聲を禀く。転読を善くす。かつて天神にその聲法を授くと夢む。乃至、六言の梵唄今に伝響す」と」。この人は天の神さまから素晴らしい声を頂いた夢を見て、実際にそのようになったということですね。

 

「また云く、「釋曇遷、転読に巧みにして、無窮の聲あり」と。また云く、「釋曇智、高亮の聲あり。雅にして転読を好くす」と」。このあたりに書いてあることだけでも、すでに轉読とは転飜してお経を読むことではないということがわかります。

 

また云く、「釋曇憑、少くして京師に遊び、転読を学ぶ。白馬寺に止まりて乃至、梵音を一吐するごとに、すなわち象馬悲鳴し、行途の足を住む」と。「京師」とは都のこと、「白馬寺」は洛陽にあったお寺です。その洛陽の往来を、象や馬が人を乗せたり、荷物を運搬しています。そのようなときに釋曇憑が声明の一節をうなると、その声のあまりの素晴らしさに行き交う象や馬たちが悲鳴をあげて立ち止まるというのです。

 

「また云く、「帛法橋、少くして転読を楽しむ。しかして聲に乏し。つねに暢びざることをもって慨きとなす。ここにおいて絶粒して懺悔すること七日七夕。観音に稽首して、以て現報を祈る、乃至哀婉神に通じ年九重に至って聲なお変わらず」と」。「絶粒」とは「粒断ち」といいまして、立願のために稗や粟という粒類を食べないということです。「穀断ち」や「断食」というものもあります。「どうにかしてもっとのびる声が欲しい」という願いを観音さまに立てて絶粒をし、遂にその願いがかなったというのです。

 

「また『続高僧伝』三十巻に、「釋靜藹、経聲七囀、清靡ならざることなし」と」。

「経聲七囀」の「囀」の字をよくご覧ください。「轉」の字に口偏が書いてあります。この字は訓読しますと「さえずる」という意味です。

 

「ここは「轉」を「囀」とせり。囀は声を轉ずることなりと注すれば一字にて轉読のこころ聞こゆ」。轉読ということは、声明調に声の音声技法を使って読むことであるということです。

 

「この数件を証とすれば、さきの真言師の説は憶断なり」。文章の冒頭にあった「行から行へ、字から字へ転ずる」と言った真言宗のお坊さんの説は憶測に過ぎないと面山さまはおっしゃいます。

 

「総じて、天竺は文雅の風土にて、一切の陀羅尼は押韻なり。ゆえに歌詠讃歎をもって仏菩薩を供養すること多く経典に見ゆ」。

 

次に出てくる言葉は必携の解説表(?)の中にも少し書かれていることです。

「「以偈讃曰」とも、「以偈讃佛」ともあるは、皆轉読の文句なり」。「偈を以て讃して曰く」や「偈を以て佛を歎ず」というときの「偈」はすべて轉読の文句である。『普門品偈』や『壽量品偈』の、あの「偈」の部分は字句が五字或いは七字というように統一されている定型詩です。その定型詩を元来は節をつけて読んでいたのです。それが漢訳され、やがて日本に伝わり、いつの間にか私たちは棒読みをするようになっています。しかし、日本でも節をつけて読んでいた時代がありました。

 

「『勝鬘経』の如来妙色身の類なり。今時洞下の講式の伽陀等、曲節のある経は、みな轉読なり。隋の智舜は一切経を四辺まで轉読せられしこと、唐の『高僧伝』二十一巻に見えたり。この轉読は、今ごろの真読と謂うよりも、なお丁寧慇懃の義なり。それを轉読はむづかしきゆえに、轉読とて、折本を回転するは、誰人のいつごろより始めたることか、上古の巻軸ならば成るまじ。これは日本僧のむかし轉読とある文字を麁草に心得て、始めたることなるべし」。『勝鬘経』の中で「如来妙色身」というのは、「如来唄」のことです。「如来妙色神」の「妙」の一字に節をつけて読むやりかたがあります。昔は、「如」、「来」、「妙」、「色」、「身」のすべてに別の節をつけて読んだそうです。そうなりますと、この五字だけを読むとしても大変な時間がかかりますし、『勝鬘経』一巻をそのように読むとしたら想像するだけでも気が遠くなります。でも、昔はそのように読んでいたのです。というのは、平安期や奈良期、つまり折本ができる以前、朝廷や東大寺延暦寺に当時一流の声のよいお坊さんたちが集められ祈祷を行いました。例えば都の疫病消除や天皇家の安産祈願のために、『勝鬘経』や『金光明最勝王経(?)』の轉読を莫大な予算を投入してお坊さんたちに行わせるわけです。記録では、『般若心経』一巻を轉読するのに丸一日を要したそうです。また、『大般若経』六百巻を読むために比叡山延暦寺では、承和四年(八四七年)に一日に二巻ずつ読んだことが『続日本後紀』にあります。もし、毎日欠けることなく読んだとしても三百日を要します。それを一日の法会の中で、おそらく数十人、数百人体制で延暦寺内のお堂で行ったものでしょう。時々テレビや映画で目にしますが、密教系のお坊さんたちの声明、あれがその流れであろうかと思われます。

 

お経を略して読むことを「略読」といい、それよりは丁寧だけれど早く読むことを「速読」、一字一字声を引いてゆっくり読むのが「真読」といいます。さらに、一文字一文字に丁寧な音曲をつけ声明調に読みあげていくのが「轉読」となります。「大般若 ときどき大きな 声を出し」ということは、到底ありえないのです。あれは「略読」よりも読んでいませんからね。

 

『梁高僧伝』にあった「経師」とは声明のエキスパートでした。日本でも鎌倉時代に出来た最初の高僧伝で、『元享釈書』という本があります。その本の中にも『梁高僧伝』の「経師」に相当する篇があります。お経を読むのに長けた人、声明の巧みな人たちだけを集めたものが『元享釈書』の「経師(けいし)篇」です。

 

さて、皆さんは各種寺院法要で「詠讃師」というお役につく機会が多いと思います。この「詠讃師」という存在、「たかだか五十年少し前に梅花流が出来たおかげで「詠讃師」などという法要の邪魔になるようなものが生まれ、その連中のためにどこかへ寮舎まで用意をしておかなくてはいけない」と思っている人がどこかにいるやもしれません。実は、曹洞宗が日本に伝来するずっと以前からの伝統で、この「詠讃師」という役名は中国の梁の時代からはっきりと存在していた、そういうお役目なのです。梅花流が出来たから詠讃師が生まれたということではありません。

 

二枚目の資料bに『梁高僧伝』の作者である慧皎という人が、「経師篇」の最後に次のような論を書いています。

 

b 『梁高僧伝』作者慧皎『経師篇』の所説

「天竺の方俗、およそ法言を歌詠するをば、皆称して唄となす。この土に至ては、詠経をばすなわち称して転読となす。歌讃は号して梵音となす。

 

「天竺の方俗、およそ法言を歌詠するをば、皆称して唄となす」。「法言」とは法の言葉、教えの言葉です。それを歌詠することを唄というと。「この土(中国)に至ては、詠経をばすなわち称して転読となす。歌讃は号して梵音となす」。私は、この言葉はとても大事な言葉であると思っています。仏法の言葉を歌詠する。この「歌詠」と同じ意味で「唄」「詠」「讃」、そして「詠経」という言葉もあります。

 

 ととりあえず引用はここまで。

 もし、これってなんの本に載っているの? 読んでみようかな、というかたはメッセにてご連絡ください。最後までお目通しいただいたお礼に一冊差し上げます。(一応数に限りありますので、早いもん勝ちってことで)