よこみち【真読】№49「宴だ!」
天の岩戸に隠れた天照大神を外へ誘い出す方法を画策した神々が、にぎやかな大宴会をくり広げたくだりに出逢った時、神様達って陽気だなあと思った。なにに比べてって、仏菩薩達に比べて。
飲めや歌えの大騒ぎは、アメノウズメの登場を得てさらにエスカレートする。酒も音楽も男女の睦み合いも全ては陽気なトーンのうちに混じり合う。こうした場面、夜も更けていつしかかがり火を囲んだ踊りの輪が睦みごとの場になる連想も誘うし、その手の場面が印象的だった映画を思い起こさせたりする。
いずれにしても「生の謳歌」たる場面に神道はしっくり当てはまる。
それとは対照的に酒もセックスもいけません、と言う禁欲主義を前面に出しているふうなのが仏教。そんな印象あるよね。
そんな神道 vs 仏教というステレオタイプ的理解は、実態からはやや外れた見方だと思うけど、そのあたりは今回の主題じゃないのでここまで。
今回、注意してみたいのは本編「音楽の功能」にあるような、仏をとりかこむきらびやかな華香やにぎやかな奏楽と歌声のこと。№48でも仏伝にはミュージカルこそふさわしいのかもなどと述べたけど、今回の描写もかなり陽気なラテン系。これってステレオタイプ仏教の持つ禁欲カタブツイメージからはかなり違うものだ。
そんなこと考えていたら、ふとお仲間の息子さんがやっている音楽活動のことを思い出した。期せずしてこれもラテン系だった。
なんだかおもしろい。
陽気な仏教、というのも案外アリなのかも知れない。